雨の日の由紀子

 今日みたいな雨の日に、大笑いした記憶がある。


起きて時計を見た。12月の○×日。それより大きく表示されている7セグ表示の時間を見て、とりあえず、今から家を出ても間に合わないことがわかった。天井を見上げて一息つく。頭痛がする。腕を頭の下に重ねたら、自分のわきの匂いがこっそり香って、ふうむ、と声が出た。
天井。外の道路を走り去った車のボンネットに反射した、曇りの日の光が、カーテンの上の隙間から、反射した光が映って綺麗、と思った。
「きれえ」
その声は僕の頭の中に響いたんじゃなく、隣の口から聞こえてきたのだった。由紀子も同じ天井を見ていたのだった。横を向くと、彼女の小さい顎を見ながら、今日、有休使ったら、もう来年度まで有休取れないな、と思い、まあ、何とでもなるか、と思えるようになる。でもさすがにあきれられて、次休んだら、俺の椅子は捨てられてる、と思いながら、もじゃもじゃの頭をかく。相変わらず陰毛みたいにちりちりで、雨の日だから余計それだった。
「てっくん難しい顔してるぜ」
気がつくと由紀子が僕の方を向いていて、ぐっとキスしてきた。それで僕が舌を入れたら、しばらく絡めてから離して、「口くっさ」と言って腹を抱えてお互いに笑った。「抱腹絶倒だあ」、と言った彼女の陰毛みたいな髪が、笑いに合わせて揺れた。

 由紀子が、「朝はバン、バンババーン!」と言いながら、僕の差す傘から飛び出してファミマの入り口まで走っていった。店舗の敷地より広い駐車場に、トラックが2台と外車が止まっていた。ワンオクロックの知ってるバラードが流れてきて、少し腹が立った。
 入り口に立つと、入店音が聞こえてくる。由紀子を探すと、アイスの冷凍庫との前で、真剣な顔をしていた。この表情の由紀子を僕は覚えているな、と思いながら眺めていたが、どうしても思い出せない。そのうち、どこかに移動していて、追いかけたら、文房具売り場の前で小さな男の子としゃがんでいる彼女を見つけた。
「何してんの、早くしゃがんで。見つかっちゃう」
二人は文房具コーナーの隙間から店の外をじっと見ていた。
「ハンターだ!」
と少年が言う。由紀子がでんでんでででんでん、と歌いだし、僕を見た。分かってる。
「動けば、見つかるリスクも高まる」
と僕が逃走中のナレーションの真似をして言うと、少年と由紀子がげらげら笑って、そのうちにハンターのサングラスをかけた父親がやれやれ、という感じでやってきて、腹を抱えて笑う少年を連れ去っていった。
少年はハンターに抱えられながら、手を振ってどこかへ行った。

 雨の降る中、坂道を登りながら、部屋に戻る。朝はバン、バンババン!と息を荒げながら、鮭ハラミのおにぎりを食べて、喉を詰まらせていた。

 暖房もホットカーペットも入れて、スマホの小さな画面で、YouTubeを見た。インドでインド人がチャーハンを大量に作る動画。チャーハンが食べたいな、と話していて、気が付いたら、二人とも寝ていた。

 起きて外を見たら雨が上がっていた。夏みたいな分厚い雲の合間に、晴れ間がのぞいていた。急いで由紀子を起こす。だが、ゆすっても起きない。仕方がないからおっぱいを揉んだ。
右、左、右、と見せかけて左、左、左、左、と揉んだら、目を覚ましてた由紀子に股間を蹴られた。

 股間を抑えながら、二人で駅まで歩いた。由紀子は股間を抑えながら歩く僕を、漏れそうな人、漏れそうな人、と言って笑いながら歩いた。空が飾り物みたいに天井に張り付いていた。
 隠れ家みたいな古着屋に入って、お互いに敢えて絶対着ない服を選んで買おう、となった。10分かけて選んで、先に会計を済ませて店の外で待つ。由紀子が会計を済ませて出てきた時、にやけていた。由紀子は僕に花の刺繍が入った青いスカートを買った。なるほど、と僕は思う。それで僕が袋から、白いワンピースを出すと、由紀子は「童貞かよ」と言った。結局、店に戻って試着室を借りて、買ったワンピースを着せる。あまりに可愛かったから、出てきた彼女を抱きしめたら、満更でもない顔で、よしよしと僕の頭を撫でてくれたから、なぜか少し泣きそうになった。
次はてっくんの声を無視して、店を出た。

 日が暮れるのは速かった。僕らは公園でハトを追いかけまわし、追いかけまわした。そのうちに暗くなって、松屋で牛丼を買って帰った。牛丼のビニールがゆさゆさと揺れる。そんなにふったら、汁こぼれるよ。
「こぼれないよ」
「こぼれるって」
「こぼれないんだよ。免振構造のビニールだから」
「そんなんないから」
「じゃあ、てっくん」
「なに」
「会社いかんでよ」
「え」
「会社、いかんでよ」
「いいの?」
「いいよ」
「でも生活できないぜ」
「その時はその時たい」
「なんかソラニンみたいじゃん」
「え、てっくん死ぬん?」
「死なへん」
「ほんならええわ」

 まだ18時だ。明日まで6時間もある。朝になるまで12時間もある。まだ終わらない。まだ今日は終わらない。終わりたくない。終わればいい。終わってしまえば。

 二人で納豆たまご牛丼を食べた。満腹になると、抱き合った。気が付くと寝ていて、起きたら、裸の由紀子の太ももの上だった。

「んご」
「お風呂入ろうよ」
「やだ」
「てっくんくさいよ。わきの下が特に」
「やだ」
「くさい」
「やだ」
 由紀子が僕をどけて風呂に行ってしまった。時計を見たら23時だった。どれだけ長いこと彼女の上で眠っていたのだろう。裸のまま座らせていたのだろう。目をぬぐったら、ひりひりして、さっきも泣いていたことに気づいた。
 風呂の前まで行くとシャワーの音の合間から、由紀子のすすり泣く声が聞こえた。
「ごめんね、寒かったよね」
「シャアアアアア」
「ワンピース可愛かった」
「シャアアアアア」
「くさくてごめんね」
「シャアアアアア」
「でも仕事いかなくちゃ」
「シャアアアアア」
「仕事終わったら、土日になって遊べるから」
「シャアアアアア」
「俺仕事しないと、由紀子鮭ハラミ、食べられなくなっちゃうよ」
「シャアア」
「ごめんね、でも必ず帰ってくるからさ」
「キュ」
 蛇口が閉まる音がした。ガラっと扉が開いて、由紀子が出てくる。前髪が濡れて額に張り付き、目が隠れて表情がわからない。「ごめん」とうつむいたまま僕が言と、手が伸びてきて、由紀子が泡立つボディソープの口を僕の乳首の目の前にもってきて、ちょこんとのっけた。顔を上げると、目をはらした由紀子が腹を抱えて笑っていた。
笑っていることに笑って、また笑った。なんで鳩を追いかけまわしたのかを思い出して笑った。雨の中を走ったのに笑った。なんで謝っていたのかを思い出して笑う。口がくさいことに笑い、自分の乳首がボディソープで隠れていることに気づいてまた笑った。お互いに裸のことに笑う。「鮭ハラミ、食べられないよう」と真似して笑う。なんで働いているのか分からなくて笑った。お互いの髪の毛がちりちりで笑った。由紀子の太ももを触ったらまだ冷たくて、ごめんな、と言ったら涙が出てきた。いいよ、と言った由紀子もまた泣いていた。声を出して泣いた。でも、明日は来るんだよ、明日は明日でいい日になるんだ。俺がいなくても、由紀子がいなくても、明日はきて、いい日になるんだよ。
言葉は上手く口から出てこなかった。でもそれで良かった。
ひとしきり泣いた。もう疲れだけど心地よかった。もうやんだのかもしれない。
 「シャワー一緒に浴びよ」と由紀子が言って、狭い風呂場の中で洗いあった。シャワーがお湯になるのを待っている由紀子の横顔が今朝アイスを見ている顔と同じ気がした。それで自然と手が伸びて、おっぱいを揉んだら怒られ、僕の両乳首が思いっきりひねられ、少し切って、血が出た。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?