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ベーコンを焼く弱火になる

 「一番幸せなときってどんなときですか?」
と、数週間前にマッチングアプリで初めて会った男に聞かれ、何も答えられなかった。それまでにどんな会話をしていたのかはもう覚えていないが、その質問の冷たさを妙に覚えていて、冷蔵庫から出したばかりの冷奴を食べた時に、それを思い出した、それが昨夜の話。



 仕事に行くつもりで起きたが、身体がだるく、熱っぽい。コロナではないと思うが、その可能性を考えて怠くなる。頭が重い。胃の中に角張った四角い物体が入っているみたいに吐き気がする。あと、誰とも会いたくない。
 上司に連絡を入れる時に緊張したが、それを果たせば、残りの一日は余韻みたいなものだ。今は仏のように優しい上司なので、LINEで休みを伝えれば済む。ショボンとしたスヌーピーのスタンプだけでも伝わるんじゃないかと思うが念のため、文章を送り、スタンプ。分かりました、大丈夫ですか?お大事に、とあって、同じスヌーピーのスタンプ。
 この居心地の良さも何年続くか分からない、と思って一瞬不安になったが、考えている間に脱力しソファで寝ていた。

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 目が覚める。身体はスッキリしていた。が、体調がよくなったそれが逆に罪悪感となって体を重くする。誰も見ていないのに、身体が怠いふりをして、熱を測ったが、35.0℃。真夏日みたいな温度だが、どちらかと言えば低体温。
 カーテンの奥から青い空が見えて、時計を見たら11時前だった。空腹になっていた。

 Uber eatsでヤンニョムチキンを頼む。ずっと呼ぶのを躊躇っていたが、食糧もないし、誰とも会いたくないから使うことにした。普通に頼むより、値段が倍する。この時間にも人はいて、ちゃんと物を運んできてくれる。若い元気な男の子がやってきて、「Uber eatsです!」と空に向かって言うみたいに、到着を告げた。わたしの「ありがとうござ、います」と言った声は雨みたいに垂直に、玄関前に落ちたから、多分聞こえてなかっただろうけど、彼は間髪入れず、ありがとうございました、と言って消えていった。会計がない分、現金を交換するとかおつりを探す、みたいな不思議な間が、ない。便利によって人はこうして孤独になっていく、と思う。しかし自分も便利なほうが便利だし、そういう世の中を作っていく仕事を少なからずしている。自分のことは、棚に上げて、棚に上げている。私は棚上げ用の棚をDO IT YOURSELF する。ある意味サステナブルで建設的なことを、している。概念的環境委員会を立ち上げる。

 ヤンニョムチキンは、食器を出したくないという理由と、フォークも箸も入ってなかったという合理的理由で、手で食べる。毒を以て毒を制す、シン感染症対策。Uber eats配達員の好青年と、チキンを使ったスタッフの手の温もりを感じながら手を汚し、食べる。手と口が汚れる食べ物ほど、美味しいものであるという理論を、ユイが言っていたのを思い出した。それも誰かの受け売りな気がしたが、彼女が1番好きな食べ物は、ママの塩焼きそばだった。どこかで聞いた話を根拠なしに信じられるのが、彼女のいいところだ。
 PCを開く。YouTubeで韓国の業務用の調理をしている動画を再生する。

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 ボウルに卵が次々に割られて、滑り落つ。スケートボードみたい。鉄板上でハンバーグとチーズが日光浴し、ベーコンが隣ではしゃいでいる。フライヤーでカラカラとポテトやらチキンがあがる。ワッフルが焼き上がり、生クリームとチップのチョコレートが乗せられる。バットに転がるサクサクと言った音、が頭に響く。食べていないのに脳に、食感の錯覚を与えてくれる。単純な作業。規則的。無駄のない動き。食材が、食べられないものから食べやすいものにただ変化していく。私はこういう作業をしたい、こういう作業の流れを見ていたい、こういう作業そのものになりたい。

チーズが溶ける。バターが力無く溶け出す、やる気のなく、なんの抵抗もなく。脂でべたべたする厨房、フライヤーが衣を揚げる、音、あの音になりたい。ベーコンを焼く弱火になる、フライヤーでジャグジーするチキンになる。○◆℃の油、湯につかり、身体が温かく、熱く、温まり、ふと見上げる。小さく回る換気ファンから覗く、ちらちらした青空。どこまでも広い、青空の断片を、ファンに遮られてコマ送りする、青空の映画を。

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 起き上がり、窓を開けると、ただだだっ広い青空が紙みたいに張り付いていた。終幕。網戸をしめると、サッシから、からから、という可愛い声がきこえた。暖かい、少し冷たい風が部屋に入ってくる。胃は形がなくなっていた。これから昼寝をしよう、お腹が空いたら何か食べよう、寝るのに飽きたら、仕事をしてもいい、仕事に飽きたら逃げればいい、逃げた先でチキンを作り、衣をあげる。衣になる。ただ平日の形に沿って。時々、軌道から逸れて。免れて。
 ゴミ箱でビニール袋が、かさ、と崩れた。

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