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 サメの人形をきつく抱きしめる女性が、友達と楽しそうに話している。ここはガタンゴトン、公園のベンチではなく、総武線千葉行きの3両目。だけども、何故か、中央に噴水が見える。噴水から湧き出る水が、真夏の太陽を反射させ、一瞬煌めいては消える。捉え所のないしぶき。大家族の母親が、ベビーカーを押して、颯爽と走る(逃げる)息子と娘を嗜めている。その顔は幸せそのものだった。近くに動物園や水族館があるのかもしれない。そんな様子だった。ジョギングをする老夫婦。ベンチでぼんやり話すカップル。大きなレンズのカメラを構える女性は、何を切り取っているのだろう。ダンゴムシをポケットに集める女の子。いつかダンゴムシは嫌われるのだろう。項垂れるスーツ姿の男。

 男の白いシャツの襟は黄色く汚れ、白髪混じりの髪は伸びきっている。犬の耳のように垂れているもみあげが鬱陶しい。窓を流れていく景色、どこまでも続く住宅街だ。ここは総武線、3両目だった。青いシートに座る人々はスマホの中にいる。気がつくとここには誰もいなかった。

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 沖縄の水族館にいたジンベエザメが死んだ。うとうとと、日曜日の午睡のような水温の中で、心地よい眠りに引っ張られるようにして、もう水の中を歩かなくて良くなったのだ。それでももうすこし、踊りたかったのだろう。海遊。そこはステージの上だ。みんなが見ている。彼はジャケットを着て、革靴を履く。ハットを被ると、スピーカーからドラムのエイトビートが始まり、どこからか歓声が湧く。幕が開くと、リズムに合わせて腰を振った。ビリージーンだ!音楽に酔いしれ、踊る。ムーンウォーク。それももうすぐ叶わなくなる。

 ビリー・ジーンは僕の恋人じゃない。


 段々、天国に引っ張られるようにして、真っ直ぐに進めなくなる俺。でも、ああ、俺は重力に引っ張られて、床に伏せて押しつぶされるのではないんだ。俺はそうだ、浮力に持ち上げられるんだ。良かった。海底で静かに眠るより、俺は一度でいいから、最期に海面で、ぽっかりと浮いて、青空を見たかったんだ。海水越しに時々、ゆらめいて見える光の正体。あれは、源だ。この海を作り、星を作り、誰かを作り、生まれ、あるいは殺し、焼き、冷めさせた。そうだ、俺が生まれて、死ぬまでを支えていたんだ。今、その元に、帰っていく。ああ。ようやく出会える。俺は身体を引き上げられる。もう真っ直ぐには泳げなくなっている。チラリと見える光、あれがお日様?いや、違う!これは、太陽じゃない!白い、青白い!あれは自然の光じゃない。母じゃない!あれは…でも俺はもう帰れなくなっている。水槽と外気の間の、アクリルの中に挟まって、死ぬ。水槽の中で踊っていただかだったんだ。ただ…俺は…そこそこいい人生だったのかもしれないな。

 葬式。大学の時の悪友が、自殺した。すこし前から、この国はおかしい、と言っていたまま、自身は仕事のストレスを解消できないまま死んだ。どれだけ人間としてダメでも、決して身近な人を蔑む奴ではなかった。そして、人が良かったから、転勤先の友人に裏切られて、人を信じられなくなった。もちろん、僕のことも。そして死んだ。

 大阪で彼の葬式に出て、儀式を通してから、そのまま沖縄に来た。観光でも何でもなかった。まだ葬式の続きなのだ。喪服のまま、なんとか沖縄に来て、水族館に来た。海は台風のせいで荒れていたが、水族館は、演奏前のコンサートホールみたいに静かだった。これから何かショーでも始まりそうだったが、静かに魚は泳いでいた。小さな頃はアクリルが今にも割れて、僕らは水に飲み込まれて、サメに食い殺される、そんな夢をよく見た。思い出して鳥肌が立った。

 一際大きな水槽にジンベイザメが泳いでいた。サメだ。哺乳類の鯨があの大きさなのは少し分かるが、魚類がこんなに大きいのか、と未だに納得できず、驚いた。

 東京に海が雪崩れ込んだ時、生き残るのは魚類たちだ。

 ジンベイザメはいつ死ぬのだろう、と思う。そしたらどうやって捨てられるのだろう。地面に埋められるのか、燃やされるのか。海に帰されるのか。

 できれば僕も、海の中で踊りたかった。



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