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母のネーミングセンス

31年も生きていると、まわりに出産した友達も増えてくる。先日も友達の赤ちゃんに会いに行き、天使のような可愛らしさにめちゃくちゃ癒された。

わたしは赤ちゃんの名前の由来を聞くのが好きだ。多くの親たちが悩みに悩んで、愛情や願いをたくさん込めてその名をつけているから。そこには必ず、誰かしらのこだわりがある。

わたしの場合はどうだったか。

「自分の名前の由来を親に聞いてきて、クラスで発表しましょう」

その昔、小学何年生の頃だったかは覚えていないが、こんな宿題が出た。わたしはさっそく家に帰って、母親に尋ねる。

「ねぇねぇ、なんで『麻衣子』って名前をつけたの?」

「え? あ、え〜っと…」

なぜだか、言い淀む母。しかしすぐに、取り繕っても仕方がないと判断したのか、こう言った。

「6月は、衣替えの季節だなぁと思って……」

今でもよく覚えている。「……」のあとに何か言葉が続くのかと思ったら、そこで終わりだったことを。

当時、「衣替え」という言葉を知らなかったわたしは聞いた。

「衣替えって、なぁに?」

「よく使うタンスの、夏服と冬服を入れ替えることだよ」

この人は一体、何を言っているのだろう? 名前の由来の話をしているはずなのに、タンスの入れ替え? わたしの頭の上に、いくつものクエスチョンマークが並んだ。

衣替えの言葉の意味は何となく理解できても、それをかわいい我が子の名前の由来にする意味は理解できない。

クラスで発表する際に「わたしは衣替えの季節に生まれたので、麻衣子と名付けられました」と言えば、友達も先生もキョトーンとするだろう。それくらいは小学生のわたしでも分かる。

「もっとなんかいい理由ない?」

いくらねだっても、母からは「インスピレーションかな」としか返ってこない。

そのときわたしは、ふと思い出した。母がこれまで名前をつけてきた、歴代の猫たちの名前を。

以下にその名前と由来を紹介する。

1匹目 ちゃいろ
理由:色が茶色だったから

2匹目 とら
理由:茶トラだったから

3匹目 くろしろ
理由:柄が黒と白だったから

4匹目 ぶー
理由:人から譲られたとき「ペコ」という名前があったが、あまりに太っているので気付いたらそう呼んでいた

5匹目 ねね
理由:人から譲られたとき「エネ」という名前があったが、聞き間違えて「ねね」で定着してしまった

こうして振り返ると、母のネーミングセンスといったら、直感というか、思いつきというか、見た目の印象そのまんまというか。猫のみならず我が子にまでそんなインスピレーションを働かせるとは、ぶれずに一貫していて、もはや感心する。

しかし感心している場合ではない。このままではクラスでの発表がまずいことになる。わたしは助けを求めて、父親に相談することにした。

当時、バリバリの証券マンで連日飲み歩いていた父は、帰宅が遅くて朝早くにしか会うことができなかった。いびきをかきながら眠る父をゆすり起こし、嘘でもいいからそれらしい名前の由来がほしい旨を伝える。すると父は、寝ぼけた様子でこう言った。

「じゃあ、こういうのはどう? 俺は麻衣子が生まれたとき、会社の付き合いでカラオケにいた。そのとき歌いながらダンスをしていたので、『舞い』から『まいこ』に……」

却下である。

父に頼ったわたしが愚かだった。そもそも、自分の子どもが生まれるときにカラオケに行くな(ウソだと思いたいが実話です)。

わたしは最後の手段として、一緒に住んでいた祖母に泣きついた。宿題は親に聞いてこいとの指示だったが、こうなったら手段は選べない。祖母も家族の一員だし、セーフだろう。

孫に頼られた真面目な祖母は、すぐさま辞書を引いて、「スクスクと育つ植物の麻のように、我が子が健やかに育つことを願って…」とかなんとかかんとか、それらしい立派な理由を考えてくれた。

こうしてわたしは自らの名前の由来を捏造し、無事にクラスで発表できた。嘘をつく後ろめたさはあったが、共犯になってくれた今は亡き祖母のおかげで、いくらか心が軽くなったことを覚えている。

まぁ、当時はなんてテキトーな親だと憤慨したけれど、産んだ当時の母の年齢に近付いた今では「一人で生んで、一人でインスピレーションで名前をつけるなんて、肝が据わっているなぁ」とも思う。我が子誕生の瞬間にカラオケで舞い踊っていた父のことは、一生理解できないが。

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