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『服と人 −服飾偉人伝』 VOL.4


日本ファションブランドは、この人・このブランドを無くしては語れない。
そんな偉人の生き方を通じて、ファッションだけでなく生きるヒントを伝えたい! その想いで、YOUTUBE動画を制作しているのが「服飾偉人伝」です。動画を撮る上で制作した原稿をこちらに公開していきます。「読む服飾偉人伝」として楽しんでいただければ幸いです。
動画で見たい方は、こちらから再生できます。

さて、今回は4回目。
この偉人の生き方を知った時、全てを失っても新たに何かを創造する力を人間は持っていて、”創造する力=想像力”なのだと思い知らされました。
クリエイティブな力が、戦後日本の高度経済成長までを支えた。そして、そのクリエイティブの根源にあったのは、”豊かな世界を取り戻したい”という人たちの想いだったと思います。そのリーダーとも言える人間、それが『イッセイミヤケ』です。

ちなみに、3回目の主役はこの方です、こちらからどうぞ。↓

01:言葉

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三宅一生は、服作りを「福創り」という。そんな彼の残してきた言葉は、とても奥が深い。ここで、彼の言葉を紹介したい。

"多くの人は過去を反復する。私には興味が湧かない。私は進化する方が好きだ。"
"言葉にできるのなら,服は作りません。"
"私は男女にかかわらず,歳を重ねてもプライドを持ちエネルギーを失わない人たちを尊敬します。ファッション界はそうした方々を忘れてしまっている。"

02:生い立ち

三宅一生、”いっしょう”と書いて、本名(読み)は”かずなる”。
1938年三宅一生は、広島県広島市に誕生する。時代は、第二次世界大戦中。小学校に入学した年、広島に原爆が落ちる。広島市の隣、疎開先の府中町で、一生少年も被曝する。母のいる自宅は爆心地から2、3キロ。
疎開先の家の人に頼み、母を捜しに1人で市内へ向かったという。
母に会えたのは翌日。半身にやけどを負っていた母は、長男だから安全な田舎に留まる事を諭した。
母親は、近所の人や親戚からも慕われ、気の強い人でした。
当時の広島では被爆後、『骨膜炎』で命を落とす人も多かったというが、一生少年も小学校4年生で、『骨膜炎』を発症。奇跡的に命をつなげる。しかし、母親は一生が10歳の時、後遺症で他界する。

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写真引用:朝日新聞社

被爆経験がありながら、彼はこの経験をあまり語らない。
その理由を残した言葉がある。

”自分も長くは生きられないだろうから、30歳か40歳までにできることをやろう。原爆を言い訳にしない。そう心に決めました。”
”「ピカドンデザイナー」なんて呼ばれたくなかった。”


03:デザインとの出会い

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小学生の頃から絵が好きだった一生少年は、当時から美術的な才能があった。筆が買えず、指で書いた絵に担任の教師が指導をするほどだったと言う。そんな美術少年とデザインとの出会い。それが爆心地近くに架けられた『平和大橋』である。

県立広島国泰寺高校に進み、通学の電車から眺めたり、絵画教室に通う時には自転車でこの橋を渡る度に、独特の世界を持つこの橋と、デザイナーへのリスペクトの念を募らせるのである。『つくる』と『ゆく』という意味を持ったこの橋は、イサム・ノグチのデザイン。この時に平和をデザインすることを意識したのではないだろうか?

04:転機

イサム・ノグチに魅せられた、三宅一生は上京し多摩美術大学へ進学しデザイナーとしての道を決める。図案科に身を置きながら、コシノジュンコや高田賢三らの文化服装学院の面々との交流を深め、ファッションデザインの社会的地位を向上させたいという思いを募らせていった。

衣服を単なる流行としてではなくデザインとして注目していた三宅一生。
日本ではまだファッションがデザインとして認められていなかった時代に、建築やグラフィックデザインと同じ観点でデザインとして認めるように、美術学生だった彼が働きかけたのだ。それが日本で初めて開催される『世界デザイン会議』に三宅一生が出した一通の手紙だった。

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”このWo De Co(世界デザイン会議)には、デザインの全分野と記しているにもかかわらず、何故服飾デザインが含まれないのでしょうか!
私には理解できません。衣服というものが生活にどれだけ大きな連なりを持っているかなどということは、今さら言うまでもないことです。”
※一部抜粋

05:パリ修行

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大学卒業後、初めてのコレクション「布と石の詩」を発表した後に単身フランスに渡り、パリの洋裁学校サンディカでファッションの基礎を学ぶ。その後はギ・ラロッシュのアシスタントを経て、ジバンシィで、デシナトゥールという、完成した服を絵にする職に就く。

当初は、華やかでエレガントな技巧に着目していましたが、パリ5月革命に遭遇したことを転機とし、ごくわすかな富裕層のためのオーダメイド服ではなく、ジーンズやTシャツのような、人々の生活の一部になる衣服を作りたいと思うようになった。

1969年にはニューヨークに渡り、ジェフリー・ビーンのもとで既製服としての衣服や機能性などについて重点的に学ぶ。1970年、大阪万博を控えた日本に帰国した三宅一生は「三宅デザイン事務所」を設立する。これがイッセイミヤケの始まりである。

06:日本のモノづくり

拠点を日本に於いた一生は、「日本でのモノづくりの可能性」を探求し始める。東洋や西洋という枠を取り払い、身体とそれを覆う布、そこに生まれるゆとりや間を追求する衣服づくり。ものづくりとは素材づくりで、そこには伝統的素材の刷新と科学技術を駆使した新素材の開発という明確な2つのビジョンがあった。

欧米とは違う、自分のオリジナリティをどうつくるか?また、人間に本当に役立ち、身近に当たり前に存在するものを目指したのである。
その後、日本の伝統的な技術と化学繊維技術の研究のうえ生まれたのが、『一枚の布ニット』である。一枚の布に袖を通すと、人の動きに布が呼応して衣服の表情が変わる斬新なアイディア。

これによって世界的な注目だけでなく、ファッションデザインとしての功績を認められ、『毎日デザイン大賞』を受賞するのだ。

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07:Pleats Please

イッセイミヤケの代表作と言われるブランドがある。
1993年にブランド化された「プリーツプリーズだ。」
「プリーツ プリーズ(Pleats Please)」のプリーズ(Please)とは英語で“喜ばせる”、“楽しませる”という意味。衣服を身につけた時の軽さ、着心地のよさを心で楽しんでほしいという狙いだ。
細身の衣服なのに着用すると身体のラインに沿い、細めの人はふっくらと、太めの人はスリムに見えるシルエット。また、コンパクトに畳んでもシワにならず、水洗いもできるという機能性の高さも、一生が服作りで大切にしてる「人々の生活の一部になるデザイン」への努力の賜物であると言える。

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 さらに、画期的な点は、安価な大量生産品とは一線を画し、工業的な過程で制作された「プロダクト衣服」だということである。ひとつのブランドとして、プリーツ技術を日々進化させ、継続的に新しい衣服を発売する。シーズンごとにテーマを変える、他のデザイナーとは異なり、プリーツという“真髄”に対して、「デザインは何を叶えるものなのか」というメッセージを発信しているように思える。

08:イッセイミヤケとは?

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◆糸のデザイン
東レとの技術開発により、早くから布作りに着目していた一生は、紙やシリコンラバーなど、天然素材を中心に様々な資源を使って服を作り続けた。その真骨頂が糸の開発である。

”糸が布になり、それが服となる”

また、糸に着目することで、限りある資源の再生・再創造を可能にしたのだ。戦後の焼け野原を見た一生だからこそ再生にかける思いは強いのかもしれない。

◆ダイバーシティ
イッセイ・ミヤケの服は、特定のターゲットに限定しない。人種や、性別、年齢、体型を超えて着られる、自由な服。
このコンセプトを象徴するのが、『1994年の春夏コレクションのラストで発表したプリーツプリーズの場面』だ。
黒人もアジア人も白人も、陽気に踊る。そこにボーダーはない。
戦争のないミライに向けた、平和で美しい服。
それがイッセイ・ミヤケの服なのだ。

■参考引用文献

・MEMOIRE DE LA MODE イッセイミヤケ
[著者] :ローランス・ベナイム
[出版] 光琳社
https://amzn.to/2QzURQ1


・三宅一生/ボディワークス
[著者] 三宅一生/編集:鶴本正三
[出版] 小学館
https://amzn.to/3jjuMB5

・Issey Miyake/三宅一生
[著者] 三宅一生 編集:北村みどり
[出版]Taschen America Llc

・名誉都民小伝
[出版]東京都生活文化局コミュニティ文化部文化事業課

あとがき

”サスティナブル”や、”ジェンダーレス”など昨今においてボーダー(境界や期限)を引かない考え方が当たり前になりつつありますが、ボーダーとは時に、自身と他社を区別するものであったり、追い詰めてしまうものでもあります。三宅一生の生き様は、常に平和な世界へ導く事が軸にあり、その理想に向かって勇気を持って行動してきた人とも言えるでしょう。
職場や、学校、家族関係など自身の置かれたの立場に境界を引いて、理想を諦めていないでしょうか?
男だから出来ない、女だから出来ない、長男だから、責任者だからなどボーダーを引いているのは自分自身で、理想の姿のためにボーダーを壊す力もあるのが自分です。ちょっとの勇気を振り絞って、ボーダーを壊して生きてみてはいかがでしょうか。勇気を持って踏み出した1歩は、いつかの理想の道に繋がっていると信じて。


偉人へのリスペクトの意味を込めて、「大人の自由研究」をテーマにドキュメンタリー仕立てに動画版は制作しております。ぜひ、YOUTUBE版も見てみてください。(チャンネル登録もお願いします!)

それでは、またお会いしましょーー♪

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