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大人にも子どもにもなめられやすい私は、ダメな先生ですか?

私は保育士をしています。
保育園にもいろいろな先生がいますよね。
ほとんどは優しい先生ですが、中には怖い先生もいますよね。
同じクラスの中にも、この先生は一番優しいとか、この先生は怖いとか、
きっと子どもたちなりに見て判断していると思います。
その中で、私がいつも思うことは、

怖い先生って仕事が楽だよね。
ということです。

私はどちらかというと大人にも子どもにもなめられるタイプの人間だと思っているので(泣)、
怖い先生がいると子どもはその先生ではなく必ず私の方に何か困ったことがあった時やお願いがあるときなどは言ってきます。

初めは頼ってくれていたり甘えてくれるのが嬉しいと思うのですが、他の先生にはどう思われているかざわざわするし、人手が足りない時間や自分の気持ちに余裕がないときはしんどいです。

保護者と話している時にも構わず言ってくるので、ちょっと待っててね、と言うと逆ギレされたりします。
また、お部屋に他の先生がいるにも関わらずわざわざ保護者対応をしている私に言ってきたりします。
「〇〇先生に言ってごらん」と言うと渋ったりします。
言ったら怒られるかもしれないと思ってるんでしょうね。
正直、もう、、、、脳みそがパーン!てなりそうですよ、はい。

昔しくじり先生に出ていた人が言っていました。
怖がられていれば、なんでも思い通りになって超楽!
と言う言葉、こういうことね、と思いました。
怖がられていれば周りが言うことを聞く、
自分の思い通りにいく、

もしそんな保育者が周りにいたら、
子どもはその先生の言うことは怖がって聞くでしょう。
でも周りの先生たちは苦痛です。
きっと耐えられなくなっていくでしょう。

そしてやめていく。

保育士不足が深刻化する。

虐待がなくならない。

負の連鎖ですね、、、

不適切な保育には相当気をつけていますが、
保育士も人間なので、気持ちに余裕がないと常に穏やかでいることは無理です。

理不尽に怒られて育った子どもは、多分自分で考えるのではなく相手の気持ちを察して、怒られないように行動しています。
なので、その行動に何の根拠もないし、ただ怒られないための行動、となってしまうのです。
そして優しい先生の言うことは聞かなくてもいいや、となってしまうことも、、、。

いざ社会に出た時に自分で何も考えられない。
自分で決められない。
自分の意思がない。
そんなふうになってしまう。

ずっと言っていますが、
とにかく私は子どもたちの“考える力“を育てたい。
もっともっと考えてほしい。
考えて、決めて、発信してほしい。
そのためには、
怖い先生の存在は必要ないです。
もちろん悪いことは厳しく叱りますが、常に怖い先生である必要はないです。

恐怖を知った子どもたちを、説得して動かそうとするのはとても大変です。
この先生は怒らないから良いや、怒っても怖くないから良いや、となってしまう。
逆に、恐怖を知らない子どもたちであれば、信頼関係さえあれば話を聞いてくれます。

子どもになめられがちな私はダメな先生でしょうか?
大人数を1人でまとめられる先生が良い先生なのでしょうか?
正解はわかりませんが、、、

毎年とても悩みます。

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