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不安と悲しみが少しずつ怒りとしてエネルギーになってきた。

適応障害で休職中の保育士です。
結局職場を辞めることになりました。
休み中にいろいろな選択肢を考えて、一度は元の職場に戻ろうと思ったり、やっぱり転職しようと思ったり、実家に帰ろうと思ったり、とにかくぐるぐると考える毎日で、何を選択してもその先には不安しかない。という感情でした。

正直、また転職か、、、と自分にうんざり。

今まで、職場を選ぶときに、給料とか、その保育園の理念とか、自分が成長できるかとか、そんなようなことを考えていたのですが、
これからは、長く続けられるかどうか、自分が無理なく働ける職場なのかどうかを考えないといけないのかなと思いました。

休職中に10日ほど福島の実家に帰りました。
田んぼの真ん中、コンビニまで車で5分、wifiなし、自分の部屋にエアコンなし、両親は定年後で家にいます。

東京の自分の部屋にいると、自分の好きなこと、やりたいことを常にできますが、実家では自分一人ではないので、見たい番組を見ることもできないし、youtubeも見れない。なんだかそれが久しぶりで、今まではそれが嫌で実家に帰りたくなかったけど、今回の帰省ではそれが心地よくもありました。
人と喋らなくてはいけない状況が、今の私にとってはありがたかったなぁ。

本当に、実家に帰ってこれたらどんなに生活が楽になるだろう。とも思い、いっそ帰ってしまおうかとも。

でもでも、強制終了になって初めて感じる働きたい欲。
やっぱり仕事してない時間は、社会の動きに自分だけ混ざれていないようで悲しいんですね。
それも、自分の体調不良で休んでいるということが更に自分を情けない気持ちにさせました。

職場の人から見たら、なんだか可哀想な人に見られているのかもしれないし、あの人ストレスに耐えられなかったんだね、って思われてるのかもしれないし、世間では適応障害って聞くとメンタル弱いみたいな感じなのかもしれない。

自分でもそんな暗示がかかっていたのか、休職中は近所で保護者や同僚に会うのが怖くて引きこもったり、外出しても常に俯いて歩く、知ってる人に似てる人を見つけたらびくぅぅっとして引き返す。みたいな奴でした。

でも今回退職することになって、もう、、、職場の対応にも嫌気がさして、吹っ切れました。

私のメンタルのせいで休んだんじゃない。辞めることになったのも私のせいじゃない。私はここでずっと働きたかった。
こうなったのは私のせいじゃないんだから、自分に合った場所で幸せに働いてやる。絶対私を手放したことを後悔させてやる。笑
そう思いました。

まだまだ自分の向上心が残っていたことに驚きます。

適応障害は私へのギフト。
新しい道を選ぶチャンスをくれたんです。

うん、なんだか一度ポキっと折れた心が、修復されて以前よりも強くなったような気がします。

こうやって失敗と挫折をたくさん経験した私の方が、絶対にすごい人になるんだから!たくさん転んで受け身を覚えて無敵になります。
見てろよ!




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