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3.戦後日本とアニメ史の話

おはようございます。今日は日本の戦後アニメ史の概観を紹介していきたいと思います。noteでは、他にもいくつかアニメ史の考察の記事があったので少し驚いています。さすがnoteって感じです。内容が多少被る箇所もあるかもしれませんが、ぜひ読んでみて下さい。

(1)アニメと漫画映画の違いから考える当時の社会認識

僕は元々文学の研究をしていますが、日本の戦後社会を分析する上では、アニメ史の研究は欠かせないと思います。

例えば、お年寄りはアニメのことを漫画と表現することがありませんか?
それは、アニメ=子どもの見るもの(当時は漫画映画と呼ばれていました)とされていたからで、僕くらいの若者がアニメを見ていたら、「そんな子どもの見るものからは早く卒業しなさい」と言われたそうです。(もちろん人々の中にはそのように考えない人もいたと思いますが)
漫画映画は今で言えば本当に子どもが見るNHK教育テレビのアニメのようなイメージで結構です。

(2)戦争とアニメの発展のあり方

アニメは子どもが見るものである、という社会認識によって、アニメは子どもに夢を与えるもの(鉄腕アトム等)であると同時に大人が現実の世界では表現できないもの(特に戦争について、核についてといった題材は、日本が悪の侵略者であったという記憶が人々の中にありありと残る戦後において、公に戦争映画や政治色の強い映画として製作するわけにはいきませんでした。そこでその代わりに、初めはゴジラ、そしてゆくゆくは宇宙戦艦ヤマトやガンダムへと、ミニチュアとしての戦争表現の系譜は受け継がれていきます)を表現できる場として、日本での地位を確立していきます。
西欧の当時のアニメ(ディズニー等)は、技術こそ進歩しており、子どもたちに夢を与える存在であったものの、日本的な、当時の社会や精神が色濃く表出するようなものでは無かったと考えられます。
つまりアニメは純粋な娯楽であり、現実とは異なる夢物語だったわけです。
しかし対して日本では、本当は大人が考えたかった現実の諸問題を提起する技術としてのアニメの発展という側面を持ちます。

戦艦ヤマトやガンダムは、実際に一部の大人からの抗議でアニメが放送中止になったりしたこともあるそうですね、「こんなもの子どもに見せるな」ということです。
しかし当時の若者達はこれらの「大人でも考えさせられるアニメ・勧善懲悪ではなく、正義や戦争について考えさせられるアニメ」が大好きでした。
だからヤマトとガンダムは社会から消え去ることなく、映画館で完結編のような形で放映され、連日大人気だったそうです。(ちなみに漫画映画という言葉をアニメと言い換えたのはこの時代の若者達です)

(3)宮崎駿のアニメ史

そして次に日本のアニメ界に台頭するのが、あのジブリなんです。
宮崎駿の研究は日本の戦後アニメ史を考察する上で、非常に参考になります。
先程の話と関連させると、例えば彼は初めこそディズニーや西洋的アニメへの憧れから、パンダコパンダやハイジを作ります。
確かにこれらのアニメは高い評価を受けたものの、その後のヤマトやガンダムには完全敗北を喫します。

しかし、そこでめげない男こそ宮崎駿でした。
彼は自分に足りないものを冷静に見つめ直し、より複雑なテーマ性を持った作品(ナウシカや、後の千と千尋の神隠しまで)を制作します。(そしてそれは日本の大人達だけでなく、海外の人々の心にも衝撃をもたらします)
特に千と千尋の神隠しは海外でもかなりの大ヒットでしたよね。
ピクサーの創始者であるジョンラセターも宮崎駿が大好きでとても尊敬しているそうですよ。

アニメ史(特にジブリ)についてはまた後日詳しく書こうと思っています。今日のところは皆さんに興味をもって頂くための概観程度の紹介とさせて頂きます。

質問や意見がありましたらコメントへどうぞ!気になる質問があれば記事にして取り上げさせて頂きます!
それでは失礼します!