見出し画像

なんもないのになんかあるみたいにはなすわたしとなんかあるよのなかはなんもないみたいにはなす

なんもないはずなのに助けてってたまによぎる。

いみわかんね。

他人と関わるのは疲れる。他人が悪いわけでも私が悪いわけでもないと、思う。そういう時期ってあるし、特にこのご時世(2020年4月)は、皆んな不安かなにかでふつふつと何か溜めていると、思う。

ついさっき、私は、在籍していたガールズバーのようなキャバクラのようなお店を辞めた〜。

新型のウイルスにより混沌とした世の中で、キャバクラの様な接客業はめちゃくちゃ危ないとされていて、私は、今は、やりたくないんだよね。

noteって私の駄文つぶやきだからさ、無料でやってるし、無料だからこそ、文句あってもシカトするスタンスというか。これは聞きかじりだろうとか、他の人も書いていたとか、もしかしたら内容被ってるかもしれないけど、それは知らん。私は少なくとも今書いてる事で参考文献があるなら自分の周りの環境と、一応見ているニュースだけです。

ポリエは、TVが嫌いで、アニメは観れるんだけど、映画も見れるんだけど、ノンフィクションや、ニュースや、バラエティが嫌いで見れないの。人の沢山の話し声を聞くのはうるさい。でもこの時期なので、ニュースはなんとなく追ってるよ。

ポリエはね、死にたがりというわけでもなくて、ビビリなんだよ。つまり、ウイルスも怖いわけ。だから超自粛してるの。これは私の考えだけど、自粛要請は強制じゃないからwwって、職場の人が言ってたんだけど、あ、そ、そ、そう、、、って頭くらっときたね

強制じゃないって言ってポコポコ出歩いてる人がいわゆるクラスターになったりしてるわけで、働かないと生きていけないのもわかる。でもこの状況ってもはや、国単位だから、怒るならそっちにかなあって、思う。所詮私もみんなも国の偉い人じゃないから、言うことを聞くしかないから、指示を強く出されたら従うしかないし、だからみんな法律を守ってるよねって。

私達はこのウイルスの猛威で、大変なザコだった事を思い知らされちゃった感がある。それにすごく、なんとも言えない気持ちになってる。悲しいわけじゃない、なんか、こんな風になるなんて予想してないし、こんな風にならなかったら、私もみんなも、人間プラス何らかの称号があって、強いような気持ちだった気がする。人は健康を害するものの前では無力でした。ポリエは無敵じゃない。無力ですよ。

人を救うのは人か?それもわからない

救えない事もあると思う。でも、バカな考えの人が減れば少しは猛威が落ち着く気がします。しかし私なんかが断言も指示もできませぬ。

ひとつ謎に思ったのは、ニュースをみてて、こんなに大変なことになってるのに、いま春だからって、桜、桜って、アナウンサーがうるさかったことかなあ。

桜なんて毎年咲くじゃん。今年は桜より大変なニュースがあるじゃん。桜咲いてんのなんて見たらわかるじゃん。平安時代から、季節の言葉を入れる決まりがあるんだろうか。歌かよ。

〜人の感染者がでて、〜さいのひとが〜で、この桜の季節にこんな、、みたいな言い方をしていて

桜そんなにみんな好き?超わかんない。それより伝える事があるのでは、私はニュースに聞きたいことがあるから見てるのに、もっと気になる事があるのに、桜はいいよ、知ってるよ、春は桜が咲くし冬はさみーし秋は紅葉だよ、知ってるよ。それが覆った時だけ言えばいいのになんて思った。事実平凡な生活はひっくり返り覆っているのだから!

台本なんだろうか。本気で桜の事考えてるとは、思えないし思いたくないなあ。どうでもい〜

文章にまとまりがなくて…まとめられないんですけど

わたしはなにもないような日々なのに大事のように話すのに対してニュースというかTVは意外となんでもないようにはなす気がした。

バラエティが普通にやってる。不謹慎とは思わないよ。バラエティ好きな人もいるだろうし、私はうるさいのが嫌いだから、あんまり見れないの。でもバラエティを見てると、アニメを見てる時より、この今の世界は何も起こってないような錯覚に陥る。箱の中だほんとに。

とても偏見を言うけど、バラエティが好きな人って面白くない気がするし、くそつまんねえ空振りのノリだけで生きてそう。実際になにか怖い事が起こらないと何もわからなそうだなって

バラエティが教育に悪いとかそんな話をしたいわけじゃないんだけど、なんか、私は多分そういう病気なのか、おじさん芸人が沢山でてたら普通に画面が不愉快って、思うから。あの人達も笑うのが仕事なのにごめんね。

笑うのが仕事であるキャバクラで笑えない気がしたから

なんもないのになにかあるように話すのはキャバクラの仕事かもしれないな。だから、わたしは、そうなのかもしれないな。何もないくせにって思う。

なんもないのに、お互い何もないのに、なんもないくせに、って。

なんもないくせになんかあるように話すのはお客様もでした。

なんもないくせにおおごとのように話すのはお店でした。

何か起きてるのに桜が咲いてるのかTVから見える世の中でした。

私の常識では、桜の木の下には、したいがうまっている、と、そう思って育った、けど

わたしが生まれた時に桜の木を庭に埋められました。高校生くらいの時に切りました。伸びすぎたから。でも、どうでもいい

それより、一輪だけ咲いていた庭の鈴蘭が、いつのまにか無くなっていたほうが寂しかった

寂しいといえば     …

いつも家を出る時に、横切る、昔の飼い猫の記憶ですね。

今はただ、こんな私でさえ、世界平和を望んでる

もう切ってない左腕は、傷がないから心置きなく家事が出来る。

もう切りませんように

なんにもないと思いたいあたまでかいた、なんでもないにっきでした。

また。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?