また、同じ人を愛する。
先日、妻が入院した。
入院したキッカケは心の病。突然、普段は質問しないようなことを質問し出したかと思えば、挙動不審になり、クローゼットに閉じこもる様子もあった。側から見ると、仕事の何かを解決しようと一生懸命だった。仕事に関連する人物や解決したサマを描写しようとしていた。
「もう仕事はいいんだよ」
「元気なのが大事だから」
少しでも落ち着かせようとした言葉が、最後の一押しだったのかもしれない。土砂崩れのように、彼女の精神は崩壊していった。あの時の表情は忘れられない。
「もうどうでもいいんだ」
責任感の強い彼女の心の支えを折ってしまった。
もう一人では歩けなかった。
運び出そうとする時には平手打ちを喰らった。
かけていたメガネが遠くへ飛んだ。
妻の実家に連れて行ったが、今までの妻はそこにはおらず、もう別人だった。その時は「遠いところに行って落ち着こう」という一心だったと思う。「実家に帰ればなんとかなる」と思った、というよりも、願った。
でも、願いは叶わず、入院が決定。
それから一週間ほど病院から連絡はなく、無気力状態だった。できるだけ、妻のことを考えずに過ごそうとしたが、てんで無理な話だった。何も手につかない。
実は、僕自身、鬱で会社員を辞めている。それから10年、不安定な自営業でパッとした結果が出ずに今に至る。
妻は会社員として「わたしが家族を支えねば」と責任感強く生きていたんだろうと思う。その10年分のストレスが、バッと溢れ出たのだろうとも思う。
僕はそんな彼女に甘えていた。自分が「鬱っぽくなりやすい」ことを武器にしていた。彼女は「守らねば」と思っていたはず。入院前、うわ言のように、仕事のことばかり言っていたから。
なんで早く気づけなかったんだろう。
なんで聞いてあげられなかったんだろう。
長く連れ添ってきたパートナーなのに。
「大変」ってずっと言ってたのに。
わかってやれなかった。
妻がそばにいることを当たり前に思っていたのだろう。当たり前なんて、この世にないのに。
心を通じ合わせて話せる日がやってくるのか。
子どもと三人で笑い合う日に戻りたい。
くっだらないことで笑い合いたい。
妻には夢があった。
「出会った人全員をハッピーにしたい」
僕が「自殺すればいいよね」と言った時に、「それであなたが幸せでも、私も子どもも幸せではない。あなたの親も悲しむ」と強く言い聞かせてくれた。
連絡がない間、何かあったらすぐに駆けつけられるように、妻の実家に滞在させていただくことになった。正直、親になんと言えばいいのか。どんな顔をしたらいいのか。
自分をとにかく責めた。
自分なんかいなければいいのに。
愛娘をこんな風にしたのは僕だから。
心のどこかで「妻は他人」と思っていた。自分が経済的に余裕になれば、一人になろうとくらい思っていた。
でも、違った。
「妻は僕の一部」だった。
「人は自分を愛で満たしてから、他者への愛が広がる」のようなことが言われるが、他人どころか自分だった。
当たり前だと思っていた日々が帰ってくることを心底願った。贅沢なことは言わないから、元気で一緒に過ごしたい。普段はしない神頼みも、いつもより念入りに行った。
「今度は同じ後悔をしないように生きるから」
入院してちょうど一週間後に、面会ができるようになったと連絡があったので、すぐに駆けつけた。
僕がかつて愛した人がそこにはいた。
少し不安げではあるけれど、彼女だった。入院前にコミュニケーションが取れなかったのが嘘かのように、会話をすることができた。
あなたの顔が見たかった。
あなたの声が聞きたかった。
面会時間は13:30-19:00。
面会できる日は、開始時間が待ち遠しく、一緒にいる時間はあっという間に溶けた。会えなかった日々を忘れさせるほどの勢いで。
面会ができてから間もなく、退院することが決まった。奇跡的に、その日は、妻の誕生日だった。神頼みが効いたのだろうか。神様、ありがとう。
三人で今日の出来事を話した。
「お気に入りの服を買った」
「一日中、講義だった」
「ケーキは誕生日の私に選択権がある」
「お風呂は誰と入る?」
なんてことのない言葉を交わせるだけで幸せだった。
妻の実家にいる僕が、妻に向かって「おかえり」と、妻は僕に「ただいま」という何気ない挨拶をした。
「ああ、またこの人に恋をしてしまった」
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