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Essay Fragment/ 追憶のブランディーユ ④ おばあちゃん

🔘  ― 冬が来るけんねェ
と言って、おばあちゃんは納戸の中から、冬服を出してきてためつすがめつ見ていた。
― それをどうするん?
― 破れがあったらね繕 ( つくろ ) うんよ
そのときぼくの靴下に破れがあるのを見つけると、
― 貸してみ
と言ってその場ですぐに繕ってくれた。ぼくは傍 ( かたわ ) らで絵を描いていたけれど、
― もっと大きいに いっぱいに描かにゃあいけんで
とおばあちゃんは言った。 
― 大きい人にならにゃあいけんで
おばあちゃんはやさしくよくそう口にした。大きい人にならにゃあ…  おばあちゃんのその言葉は、人生の折々に自問の声になってこころに吹いていた。けれどおばあちゃんが思っていたであろう大きい人への道は、たどれそうにもない。

―  聴くくらいしかぼくにできることはないから…
―  いいえ 話しているだけで心が安らぎます
ある人からそんなありがたい言葉をもらったときも、浮かんでいたのはおばあちゃんの言葉だった。遠い昔のあのときの気持ちが、靴下の破れを繕ってもらいうれしかった記憶が、うれしさゆえに悲しさを引いて同時に浮かんでいた。おばあちゃんの言った大きい人とは、きっとあんなふうなうれしさをもたらしてくれる人。そのときぼくはそう思いたかった。 

🟣 左右から膝に引き寄せたカーテンで身を包むように、若い女性が蹲っている日本画だった。卒業制作「かくれんぼ」と題名が添えられていた。うつつの時間の苛立たしさを遮り、そしてつかの間、少女の日の記憶に、身を隠そうとする思いを、その絵は暗示しているのか。
 カーテン越しに透けて見える背後の植物は、カーテンの白さを映してけぶっていて、雪をかぶっているかのようだ。遠い処へ心が導かれる。輝いているのは描きたいという衝動そのものだ。細部まで仕上がっている絵なのに、完成なんてしていない、という呟 ( つぶや ) きがにじみ出ている気がした。
 
― ありがとうございます わたしがK(※)です
思いもよらぬことだった.。展覧会の帰り際この絵から受けた感動を、口伝えで作者に伝わればいいなという気持ちで、受付の女性に話しかけてみたその返事として…  まさか作者自身がそこにいようとは。
私の賛辞に頬染めてはにかむ女性は、その絵の作者として結び付かないほど、ひそやかな印象を与えてそこにいた。口には出さず私は心の内で告げていた。
 絵に載せられた卒業制作という冠は、この絵には何と似つかわしくないのでしょう。むしろあなたは卒 ( お ) えられない業へ、さらに歩みを深めたのではないのでしょうか。
引き寄せたカーテンに隠された内側の世界に、私が感じ取った稠密な白い静まりの時間を、きっとあなたの画筆は次の作品に描き起こすはず…
 
作者との不意の出会いもまた、ひとつの作品だった。吹いてゆく風をつかみ止める若々しい稀有な画才が、ぼかし技法でそこに静まっていた.。
                     ※Kー作者のイニシャル

🟩  階段の滑り止めを雑巾拭きしていると、滑り止めという言葉がなつかしく思えてくる。高校も大学も「滑り止め」としたはずの受験は失敗し、不思議にも「第一志望」の方へはどちらも合格した。
阿保らし と言われるのはわかっているが、結婚相手は「第一志望」ならぬ「唯一志望 ( たったひとつだけのもの ) 」が叶い…  結果として「滑り止め」は無用蛇足だったことになる。
 今や人生にかかわる行先を選ぶ局面はもうない。あとはおそらく大病難病を患 ( わずら ) ったときに、劇 ( はげ ) しい治療をやるかやらぬかの選択があるばかり。危険を承知の手術やら、未承認新薬投与などを選び、うまくいってまだ十年ばかりは永らえるのでは、などという都合のいい「第一志望」を持つ。
とすれば、劇 ( はげ ) しい治療なんて選ばず、すべてを天に委 ( ゆだ ) ねて、安らかな心を得るのが「滑り止め」というものだろう。術中死とか副作用での重篤化 ( じゅうとくか ) 、などという憂 ( う ) き目に会うのを避ける術 ( すべ ) としては。
 さはあれど、すべてを天に委ねての為 ( な ) さず企 ( たくら ) まず。それを生きる在り様の「第一志望」とするのは、思うほどには易 ( やさ ) しくはない。。第二、第三の別の途 ( みち ) として用意される手段の方が、理知的とか科学的とかポジティブとか、さまざまな形容に飾られて呼ばれ、誰もがうんうんと頷 ( うなず ) く魅力を持っているからだ。 
すべてを天に委ねて… 人の一生のいや果てにはそれが否応 ( いやおう ) なく、「唯一志望 ( おもいのきわみ ) 」になるのはわかっていることなのに。

      ※  二か所の「唯一志望」のルビはあえて別の読みにしました

                               令和5年6月                              瀬戸風   凪
                                                                                    setokaze nagi

 
 

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