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学び続けることは新たな世界の扉を開く

 コロナ禍の今、録画された英語による講演に、翻訳字幕をつける仕事を仲間から請け負って、家族を巻き込み大騒ぎしながら、分業体制でやっている。コロナ禍の影響で、家族全員が毎日、家にいるからできる技。

 令和の家内工業。

 アメリカの高校に通う娘は、有給インターンとして動画への字幕つけに参加。本人は、カレッジエッセイでの自己アピールに使っている。
請け負ったビデオに登場するプレゼンターは毎回、英語圏出身のスピーカーではない。これがまた大変だ。アメリカ人の話す英語がどんなに聞きやすいか思い知った。そこで学んだのは、英語の発音や文法そのものより、プレゼンの中身が大切だということだ。起承転結がはっきりし、伝えたいメッセージが明確でなければ、翻訳は難しい。路頭に迷ってしまう。娘は、英語音声の波形を見ながら内容を推測してきた。音声学の授業か?!

 また、当然のことながら、どれだけ内容にまつわる事前知識があるかによって、英語の聞き取り具合は変わって来る。講演内容は、自分が昔、学んだ分野である。翻訳作業中、ある用語をめぐり、どう訳していいかわからず、詰まった。悩んだ。考えた。すると、はるか25年前、英国の大学院で学んだ授業がよみがえってきたのだ。あの時、あの先生が、あの本を使って、ああ説明したっけ・・・真剣に頭を使って学んだことは、何年経っても思い出すものだ。当時の自分から、たくさんの経験を経た今、どう訳すのか。朝、ジョギングをしながら、ああでもない、こうでもないと考える時間が、とても楽しかった。

 その蓄積が少ない娘はどうしているか。どうにも理解できない英文が出てくると、「SATやAP English Language and Compositionで、英文の間違いを探し、推測・訂正する問題が出てくる。それに似ている。だから、この文章は、正しくはこうなり、プレゼンターはこう言いたかったのではないか。」と説得力ある説明。ここでSATが出てくるか・・・受験勉強も役に立つじゃないか。SATスコアアップのために、大枚はたいて予備校に通わせてよかったと、本来の議論から逸脱して、感慨深くなる母。 

 逸脱と言えば、新学期に入り、毎週、時には毎日のように、娘の現地校が、大学出願に関するイベントをZoomで開いている。が、私は本来の目的から逸脱して視聴してしまう。カレッジ・カウンセラーの重鎮(推定60代前半、怖そうなおばさん)の毎回のプレゼンが、ものすごく上手で、スライドも簡潔。英語の抑揚、間の取り方、ジェスチャー、話すスピードなど、学ぶことは無限にある。的確な言葉ではっきりと話すので、頭に入って来るのだ。安定のクオリティ。さすが教育者だ。このカウンセラーの日本語字幕だったら、簡単に付けられるのにと思ってしまう。

 そんなわけで、時空を超えて、点が線となり、面となる。学問をし続けるということは、点と点を結び付ける作業をすることであり、結果として、新たな世界の扉を開くことにつながるのではなかろうか。新たな世界を知ると言うことは、人生をとても豊かなものにしてくれると、私は思うのである。

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