見出し画像

fishmans の『MELODY』

自分の作る曲、否、音楽に“MELODY”と名付けるのはそうそう容易なものではない。代表的な楽曲の例として、その完成度を称え、取り挙げるならサカナクションの『ミュージック』くらいであろう。かなり完成度の高い楽曲であると制作者自他ともに認められなければ、なかなか(ましてや邦楽で)制作物自体を名前として採用するには勇気が要るものだ。

この楽曲はサカナクションとは違う完成度の高さがある。サウンドはさながら、音楽というものに向けた、目線の切り込み方の違いである。

fishmansの『MUSIC』は音楽そのものやその能動的な行為を唄っているのでは無いのだ。「音楽を聴く」能動的であり受動的でもある行為そのものをじっくりと捉えてそれを音楽に昇華している。この視点で音楽と名ずけられた音楽を作れるのはかなり稀有であり、その歌詞も文学的に評価されて然るべきものである。

ポップ・ミュージックが今〜未来へ向かうもの、ヒップホップが過去〜現在(今)へ向かうものだと定義するとすれば、ロックの時間軸は「今、ここ」そのものである。インディーさが良く現れる楽曲ほど、その傾向は強く現れる。

この楽曲は、「MELODY」を聴いてる「今、ここ」を唄う。fishnansと言えばその特色であるレゲエ調の音作りとその精密さに目が行きがちであるが、ここでは歌詞と共に楽曲を見ていきたい。この曲は紛れもなくロックなのだ。

サラッと聴いていても心地の良い音だが、それに乗せられた、(というより)共に流れる歌詞をよくよく聴いてみていただきたい。

最初の歌詞は英語で「MUSIC C'MON ROCKERS!」を繰り返す。だが、その後に続く歌詞はその曲についてでは無い。その中での「見えてる景色」を唄っている。しかもそれは消して明るいものと言いきれない「暗いメロディー」が「ずっと」流れている最̀中̀だ。

軽快なリズムと踊るように流れる歌詞は、実はポップス的に未来を目指す光ではなく、ただ流れる「今」であった。

この曲の真骨頂は01:34~のCメロの変調で歌われる「ホコリと光のすごいごちそう」だ。

「ホコリの匂いのする」部屋で、陽射と音楽から浮かんだ「暗いメロディー」。楽しいはずの
音楽を聴くという行為の中で「なんでこんなに悲しいんだろう」と思うわけである。そんな状況を「すごい/ごちそう」というプラスな名詞で締めくくる詩創りの秀逸さだ。佐藤伸治の歌声が「君」の描写へと伸びやかに歌い届けられる。

楽しいことをしていても何故か切なくなる瞬間は誰しも1度は経験するものではないだろうか。fishmansの楽曲全体に通じて伝わってくるこの若さと共にあるような揺蕩う感覚。誰かといても孤独を感じる「今」と、それを隠すような微笑み。この日本の文化特有である哀愁をここまで軽快に、「今」として歌えるロックはどれだけ存在するか。佐藤伸治の歌詞の秀逸さと爪を隠すような脳ある音作り、それを大成するバンドとしての完成度がよく分かる。

ロックなドラムに重ねられたディスクをまわし出したようなサウンドから曲は始まる。そして歌詞の終わりには楽曲のリズムを流したまま、エフェクトをかけたギターがかかり出す。この楽曲は遠のくようにメロディーとギターサウンドのディゾルブで消えていく……。

昨今の邦ロックは特に、というか大抵の楽曲にはA〜Dメロ辺りまで作りの型がある。その型を破っていながらポップス味のあるサウンドでロックをしている。この『MELODY』という音楽は噛めば噛むほど味のする楽曲である。このような味の深さが、今でも幅広い世代、地域で愛されるfishmansのひとつの理由では無いだろうか。

日本のバンドとして誇り高き『MELODY』という楽曲である。

この記事が参加している募集

思い出の曲

このデザインが好き

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?