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『もののけ姫』を見るとなぜ哀しくなるのか

宮崎駿監督作品『もののけ姫』を何度も見てこれってただの「環境保護」がテーマの作品ではないはずだし、日本の古の人々の生態系とのつながりかたのスピリチュアルな話だけでもなく、なんなんだろう? でもとにかくいつも泣きたくなるのね。って思っていて。 今回60回目くらいでやっとわかったので書いておきます。 哀しくなる理由はやはり、この映画で活躍する三人アシタカ、サン、エボシがみんな元居たコミュニティを追われている人たちだからなのかなとぼんやり私が感じる寂しさの理由について考えてき

    • 劇場版シン・エヴァンゲリオン反応が分かれる理由

      以下の考察は 劇場版シン・エヴァンゲリオンのネタバレも含まれます。 エヴァンゲリオンは 1995年のテレビ放送から今まで続く アニメでサグラダファミリアをしてきた 唯一の作品であろう。 しかも製作者だけが作った巨大構造物ではなく 観客のリアクションや深読み解釈及び社会現象を含めて、観客と製作者の26年に渡るラブレターの往復がアニメのサグラダファミリアを積み重ねてきた。 で 劇場版シン・エヴァンゲリオンに対して、さまざまなリアクションがあるが 本論では なぜそのリアクショ

      • シン・エヴァンゲリオン考察

        2021.03.17水曜日。1回目のシン・エヴァンゲリオンを観てきました。以下感想です。ネタバレしてると思うからまだ観てない方は読まない方が良いかもです。 劇場版エヴァンゲリオン序、破、Qと観てきて、謎の答え合わせをしないままきっと、あわあわと終わっていくのだと思いながら見始めたら、むちゃくちゃ、シン・エヴァンゲリオンは答え合わせをしてくれてました。まずそれにびっくり。 そして前三作と比較して、圧倒的に戦争映画だったんだ!エヴァンゲリオンは。というテーマ性もはっきり描かれ

        • 生きたまま埋められる埋葬不安の裏にあるもの

          結構な割合でこの地球上に生を受けたら生きたまま埋められることって多いと思うんです。どんぐりはリスがうっかり土に隠したまま生きたまま埋められるし、その他の種だって結局発芽できるのはほんの一部で、大概の種は生きたまま埋められて土に還るのです。 にもかかわらず、人間の生きたまま埋められることに対する不安、埋葬不安が多くの文学作品のテーマとなっているわけです。特に今回はE.A.Poeの「埋葬不安」をテーマにした作品の裏に隠されたもう一つのテーマについて以下の仮説を立ててみたいと思い

        『もののけ姫』を見るとなぜ哀しくなるのか

          ウルトラの母の未来はAV女優であるかもしれないということ(『GIGANT』考察)

          先日「ウルトラの母は団地妻だったかもしれない」という記事を書いた(https://note.com/presentfuturetk/n/n86e3f0563410)。 1971年に日活が製作した日活ロマンポルノ第一作「団地妻 昼下がりの情事」における「団地妻」という「性欲を感じさせる誰かの妻」と1973年に円谷プロが製作した「ウルトラマンタロウ」においてテレビ初登場した「ウルトラの母」が持つあらゆるものを癒す女体性を重ねた考察である。 そして本稿では、脱いでいるのに脱いだ

          ウルトラの母の未来はAV女優であるかもしれないということ(『GIGANT』考察)

          子どものじかん。おとなのじかん。ウルトラマン・ゼンブのじかん。

          2021.3.8 小沢健二が 翌日3.9にシングル「ウルトラマン・ゼンブ」を配信する記念に ライブ配信してくれた。 以下は そのライブと新曲「ウルトラマン・ゼンブ」の感想。 新曲を聴いて伝わったのは 完全に小沢から 「僕」という ずっと彼のテーマだった 折り合いをつけねばならぬ20-40代の自分語りがなくなったということ。 自分探し第二章は 「僕」ではなく 子どものふとした全能の力から 気付かされる 自分の中の大人、子供 そして 本当の彼のふたりの お子さんたちからなる

          子どものじかん。おとなのじかん。ウルトラマン・ゼンブのじかん。

          好きなこと至上主義

          数年ぶりに渋谷109に行きました。 ギャル服の聖地です。 近年は 海外からのお客様が多く また ギャル文化衰退もあり わかりやすいのは 雑誌『popteen』が 保守化してしまい 看板モデルの めるるを ギャルとは呼べないことからも わかるでしょう。 益若つばさ、小森純、鈴木奈々を輩出した 『poppteen』が 普通のローティーンのオシャレ雑誌になった今 ギャルはいないのか? と考えてみたのですが。 意外にギャルは30-40代のレディースアパレルには 文化として 普

          好きなこと至上主義

          キリンジと労働

          今までに10以上の仕事をしてきました。ホテルのバンケット、レストランのホールでサービススタッフが4年。接客対応含む事務系が3年。空港の荷物預かり。などなど。 一番長いのが、高校・大学での講師業務。高校が4年間。大学が11年間。前者は、何かを教えるというより、高校生と一緒にもがく日々。 進学校のスパルタ授業と合わなくて、不登校になり、精神不安定になり、ご家族も不安を抱かれているなか、なんとか、学生、保護者、担任(わたし)で、進級できるように、最低限の出席日数を重ねていく。

          キリンジと労働

          学力とは

          結局のところ 学力って 体力な気がする。 厳しい環境でも 屈せず そこに馴染む体力。 勉強より ともだちにノート借りたり 一緒に頑張れたり そーゆー子が サバイブするねー。 一生をかけての 吸収力高い人 つまり 賢い人って 基礎体力=基礎精神力 つまり 人を信じられる力のある人。 学びたいという最初の一歩は 人それぞれなんだけど 学びを続けたいという意欲・モチベーションは 「しんどいことだが、これを続けたい」 「続けられる自分が好き」 という自己信頼 つまりプライド

          優しい時代から生きづらさの時代へ

          ひと頃、優しさや癒しがあることが評価されるトレンドがあった。叱るより褒める、褒めて育てる、気持ちに寄り添うなどのイメージ。 その甘さが更に進み、昨今は「生きづらさ」が共感を深める時代といえよう。いままで秘密にしていた自分だけの「生きづらさ」=多様な痛み故に、多数派には理解されなかった内情をあえて告白して、他にも同じ「生きづらさ」を持つ人たちが共感を高めあう。 その生きづらさの根幹として、自己肯定力の低さがあるとよく指摘される。しかし、自己をありのまま肯定出来る人なんて、た

          優しい時代から生きづらさの時代へ

          失敗とはとはプリンのカラメル

          いま、焼き芋、甘い焼き芋に黒い焦げが混じっている。それを食べるか悩んだが、食べてみてびっくりである。その黒い焦げが甘さに混じると、その焦げの香りと若干の苦みがイモの甘さを引きたてるアクセントとなる。 ああ、プリンのカラメルだなと思う。では、焦げというのは料理におけるいわゆる失敗だとするなら、プリンのカラメルはわざわざ失敗を作ってそれを甘いプリンという一見完成された 世界に乗せているということになる。しかしプリンとは、苦いカラメルと甘いイエローが一体となってプリンだと認識して

          失敗とはとはプリンのカラメル

          『ノルウェイの森』と「流動体について」インターテクスチュアリティ考察2

          前回、村上春樹の『ノルウェイの森』冒頭の、青年ワタナベを苦しめた目まいとその原因である過去のトラウマ(精神的外傷)の内容及びその描写方法が、小沢健二の「流動体について」におけるそれらと類似していると述べた。 『ノルウェイの森』では、過去の「君」と「僕」が、亡霊のように現在の「僕」の記憶にhaunted(取り憑いて)いるからこそ、ワタナベは目まいがして気分が悪くなる。一方、「流動体について」では、第一連から第三連までは、「僕」は、過去からの亡霊の存在を認めながらも(②もしも間

          『ノルウェイの森』と「流動体について」インターテクスチュアリティ考察2

          ウルトラの母は団地妻だったかもしれない

          昨今、ある俳優さんがその方の配偶者を「嫁」と呼んだことで、なぜ公の場なのに「妻」とか「配偶者」とかせめて「パートナー」とは呼ばないのかという一部の声がとりあげられていましたが。 長年日本のポルノフィルムをけん引してきた日活ロマンポルノ「団地妻」シリーズでは、一応「妻」なんだなと。「妻」ということばは「夫」に対する公で発言する女性の配偶者を示す言葉として、最も「性」を感じさせないものだときっと思われてきたと考えるのですが、「団地妻」は「団地嫁」ではないんだという発見がありまし

          ウルトラの母は団地妻だったかもしれない

          『ノルウェイの森』と「流動体について」インターテクスチュアリティ考察1

          『ノルウェイの森』は村上春樹による1987年に発表された長編小説である。37歳の青年ワタナべによりそれは語られる。彼を巡る10代後半から20代の苦々しくも、彼に"haunted"(取り憑いて)逃れることのできない記憶が。 よくあることと言ってしまえばそうなのだけど、10-20代の取り返しのつかない人間関係と自分自身のふがいなさは、きっと多くの人の20代後半以降を苦しめ続ける。そして人は、そのもう戻れない甘くて苦いトラウマ(心理的外傷)とも言えるよな、自分に降り掛かったし、自

          『ノルウェイの森』と「流動体について」インターテクスチュアリティ考察1