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高尾山ノスタルジア No.15:浄心門から薬王院へ

日本の町の成り立ちには城下町や宿場町などいくつかのパターンがありますが、そのうちのひとつに、門前町があります。門前町は、伽藍の門前につながる表参道沿いに参拝者を迎えもてなす宿場や商業地が発達することで形成されます。お伊勢さんや金毘羅さんがそうですね。薬王院有喜寺においては、表参道(1号路)の起点である清滝周辺にまず門前町が形成されましたが、近代、高尾山ケーブルカーの開業に伴い霞台も商業開発されます。そしてその先浄心門までは高尾山サル園などの施設が続き、世俗的な雰囲気です。

(写真①)浄心門。参道の左右の森の色が違い、左は濃く、右は明るい。左の斜面(南斜面)が常緑広葉樹、右の斜面(北斜面)が落葉紅葉樹の森。

浄心門(写真①)をくぐると雰囲気が変わり、ここから先は聖域であることを感じさせます。浄心門近辺では、薬王院方向に向かって左の斜面(南斜面)が常緑広葉樹、右の斜面(北斜面)が落葉広葉樹の森になっています。高尾山は、「暖温帯系の照葉樹林帯(カシなどの常緑広葉樹)と冷温帯系の落葉広葉樹林(ブナ・イヌブナ・コナラ・ホオノキなど)・中間温帯林(モミ・ツガなどの針葉樹林)の境界に位置するため植生が豊か(*2)」であることが知られていますが、ここはその豊かさをじかに観察できる場所です。同じ尾根で、これら本来植生の異なる木々が一緒に観察できるのは珍しいことなのだとか。「鎮守の森高尾」でも述べた通り、薬王院周辺は高尾の原生林が保存され、明治の森高尾国定公園のなかでも極めて貴重な領域です。

2009年に発売されたミシュラン・グリーンガイド・ジャポン(Michelin Le Guide Vert Japon)で高尾山が三つ星に選ばれ、以来観光客が急増したことは皆が知るところです。しかるにこの話が本当に不思議なのは、みなさんミシュランミシュランとおっしゃるにもかかわらず、実際にグリーンガイドを読んだひとに(それどころか見たことあるひとでさえ)出会ったことがないのです。

ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン(英語版)
なお、「ミシュラングリーンガイド」をその名称から環境やエコロジーに関係する解説書かなにかみたいに思っているひとがいますが、本の色が緑色なのでそういう愛称が付けられているだけで、「地球の歩き方」みたいな旅行ガイドブックです。

ご安心ください。最新のグリーンガイドでも、ちゃんと三つ星になっていますよ。ですが、説明は1ページの半分ほど、そしてその半分が山頂からの富士山ビューの写真ですので、解説は実質的に1/4ページしかありません。そこで一番触れられているのがなぜかこの植生の件で、「The forested areas are right on the boarder between Japan’s subtropical and temperate zones, with trees representative of both types of vegetation(*5)」とあります。さすがフランス人。着眼点が秀逸です。でも、せっかくだから薬王院の話をもっとしてほしいんだけどな。あと、さすがミシュラン。うかい鳥山が紹介されているのは嬉しい。今やあちこちに珠玉垂涎のレストランを構えるうかいグループは、このうかい鳥山が創業の地。地元の誇りです。子供の頃、親戚の集まりがあると連れて行ってもらえたうかい鳥山。今でもその名を聞くだけでワクワクします。

うかい鳥山。玄関に「とりよろし」の提灯がさがっているのは子供の頃から変わりません。高尾山でハイキングしたあと極楽湯で湯浴みして、うかい鳥山でご馳走にあずかるのは高尾観光のゴールデンルートです。
大正7年(1918)から昭和7年(1932)の間に発行されたと推定される絵葉書の写真に写る、男坂の階段。周囲が刈り込まれていて、できたてほやほやという感じがします。当時の様子が色々とよくわかる写真ですが、最も注目したのは、電気が引かれていることです。電線が行き着く先は、薬王院に違いありません。昭和の初め頃までには都市における電力の供給網はほぼ完成していましたが、こんな山奥にまで引かれていたのには驚きです。時代の勢いを感じます。(注2)
現在の男坂の階段。人間の煩悩の数と同じ108段あるらしいのですが、数えたことはありません。上の写真に写る木々のその後を探すのも楽しい。

そして参道は男坂女坂を越え、神秘的な杉の巨木が立ち並ぶ大杉原を過ぎると、山門(四天王門)が見えてきます。現在の門は、弘法大師の1150年ご遠忌事業として昭和59年(1984)に建立された(*3)、比較的新しいものです。この四天王門、江戸期にここにあった門と同様の形式で建てられたものとのことなのですが、その前後がどうだったのか、子供の頃何度も来たことがあるはずなのに全然思い出せません。これだけでっかいものが建てられたら目に入らないわけがないのですが、子供の頃なんてそんなことに皆目関心ないですからね。カブトムシ追いかけた記憶以外はホント曖昧です。こういうふうに大人になってから、間抜けな子供だった自分を残念に思うこと、いっぱいあります。

(資料①)「武州髙尾山畧繪圖」に残る薬王院の境内には、立派な山門が描かれている。(*1)

山門ですが、安政2年(1855)の髙松勘四郎による「武州髙尾山畧繪圖」に残る薬王院の境内には立派に描かれているものの(資料①)、それよりちょっと時代をくだった万延元年(1860年)以降に書かれたとされる地誌『八王子名勝志』の挿絵(資料②)をみると、柵の真ん中に木枠を組んだだけの、極めて質素な作りの「惣門」があるだけです。この間に、何らかの理由で山門は失われてしまったらしいのです。

(資料②)「八王子名勝志」の薬王院境内の挿絵。伽藍の入口には質素な作りの「惣門」があるだけで、山門は描かれていない。「八王子名勝志」には、「惣門そうもん 黒塗の冠木かぶき門なり。ゆゑあざなしてまた黒門くろもんともいふ」との説明がある。(注1)
(資料③)現在も高尾山山頂にお店を構える曙亭名義の「多摩御陵参拝 高尾山登山 便利案内圗」の絵葉書に残る薬王院境内の絵図。立派な山門が描かれている。(注2)

時はくだって、昭和6年(1931)頃に発行されたとされる「京王電車沿線名所圗繪」にある薬王院境内の絵図に山門はありません(*4 資料の閲覧は脚注参照)。しかし、おそらく同時期に発行されたと推定される絵葉書の絵図(資料③)には、立派な山門が描かれているのです。

「京王電車沿線名所圗繪」の作者である吉田初三郎は、大正から昭和戦前期にかけて活躍した鳥瞰図の絵師で、「全国各地の鉄道会社や観光業者、地方自治体や商工団体、新聞社などの依頼を受けて」鉄道沿線や観光地の鳥瞰図を描き、「商業出版物(印刷物)のかたちで生涯に残した作品は数千点(*4)」という超売れっ子作家ですから、数ある依頼のひとつにすぎない京王線のパンフレットに描かれた薬王院の伽藍の建築物各々が精緻な確認に基づくものか、という点は少々心許ない。この点、先述の絵葉書は現在でも高尾山山頂で蕎麦屋を営む曙亭が発行したものなので、より信頼できるはずなのですが、そこには確かに立派な山門が描かれている。まさか願望が書かれているなんてことは…。ただしこの依頼を受けた絵師にしても事情は「京王電車沿線名所圗繪」と同じかもしれませんので、確証とはなりえません。

現在伽藍の入口に建つ山門(四天王門)。

なぜこんなにウロウロしているのかというと、当事者の薬王院は、現在の四天王門について昭和59年(1984)に「建立」した(「建替」とかではなく)と公式に表明しており(*3)、そのほか、それ以前ここには同じような門はなかったという未確認情報がちらほらあるからなのです。この門の歴史は継続調査ですね。あゝなんか食ったら記憶が戻るとかあればいいのに、と思った次第です。


(*1)
《東京都立中央図書館「画像の使用について」に基づく表示》

東京都立図書館蔵 髙松勘四郎 武州髙尾山畧繪圖 安政二年(1855)

(*2)
林野庁HP 高尾山自然休養林

(*3)
参考資料
高尾山薬王院公式ホームページ

(*4)
引用ならびに参考資料
「日本鉄道大地図館」、小学館、2022.10、P.154、P.176 - P.177
「京王電車沿線名所圗繪」はこちらのサイトで閲覧できます。

(*5)
“Mount Takao,” The Green Guide Japan, Michelin Travel Partner, 2020.03, P.178

(注1)
《「国立国会図書館ウェブサイトからのコンテンツの転載」に基づく表示》

表示しているコンテンツは、国立国会図書館デジタルコレクション」に収録されているデジタル化資料のうち、著作権保護期間が終了し公共財産に帰属するものであることを確認し、転載したものです。

百枝翁『八王子名勝志 4巻』[3],写. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2577799 (参照 2024-04-18)

(注2)
《写真ならびに絵図に関する著作権について》
表示している写真ならびに絵図は、旧著作権法(明治32年法律第39号)及び著作権法(昭和45年5月6日法律第48号)に基づき著作権が消滅していると判断し掲載しているものです。
掲載している写真絵葉書は、全て著者が個人で所有しているものです。
本稿掲載の著作物の使用ならびに転用の一切を禁じます。
参考資料:文化庁 著作物等の保護期間の延長に関するQ&A


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