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「小説 名娼明月」 第1話:不思議の蓮の花

 むかし、博多柳町薩摩屋に、明月という女郎があった。
 この女郎、一旦世を諸行無常と悟るや、萬行寺に足繁く詣で、時の住職正海師に就き、浄土真宗弥陀本願の尊き教えを聞き、歓喜感謝の念、小さき胸に湧き溢れ、師恩に報ずる微意として、自分がかねて最も秘蔵愛護し、夢寐の間も忘れ得ざりし仏縁深き錦の帯を正海師に送った。
 そうして、廓(くるわ)の勤めの暇の朝な朝な萬行寺に参詣するのを唯一の慰めとし、もし未明のとき、余り早くして寺門を閉ざしてあれば、明月は地に跪づき、門外より拝して帰るのが常であった。
 天正六年の春、明月病に臥して本復おぼつかなしと悟るや、枕辺の人に向かい、死後のことなど細々(こまごま)と語らいたる後、自分が死んだら萬行寺に葬ってくれと、くれぐれも頼んで、安らかに呼吸(いき)を引取った。
 よって遺言に従って、萬行寺境内に明月の骸(なきがら)を葬ると、数月ならずして、その墓より、一茎の綺麗な蓮の花が生じた。日を経るに従い、その花の鮮やかさ、葉の沢(つや)やかさ、まったく池の中に生えているのと同じである。
 これを見る人、あまりの不思議に堪え兼ね、その墓を掘ってみたところが、蓮の根は、安からに瞑せる明月の口中から出ていたのであった。
 この話が、いまなお、多くの人の口から口に繰り返されるので、名娼明月の名は、世に隠れないところである。
 明月逝きて、ここに三百三十五年、世は幾変転して、柳町は新柳町となり、新装の高楼櫛比(せつび)して、さながらの不夜城を現出している。
 しかして明月が安らかに眠れる墓石は、いまなお淋しく、萬行寺前町の萬行寺跡に、独り淋しく残って、当年のことを語っている。いまの萬行寺には、元の萬行寺から移した明月の墓碑がある。
 そうして明月の口中より生じたという蓮華、及び明月が奉納せしと伝えられおる蜀江錦(しょくこうのにしき)は、同寺宝物の一に数えられている。
 新柳町と切っても切れぬ、故(もと)の渡辺與八郎氏は、この明月の墓を新柳町に移そうと熱心に奔走しているうちに、病のために死んだ。
 氏の志を継ぐ人々、故人の意を戴して、明月の三百五十回忌大法会(だいほうえ)を、大正元年9月18日より、5日間にわたり新柳町に修し、あわせて故人與八郎の法要をも執り行うこととなり、南花山新柳寺(なんかざんしんりゅうじ)と名付くる模擬寺院を、遊郭地入口の空地に建設し、各宗の僧侶を集めて盛んな法会(ほうえ)を行った。
 この機において明月の生涯の概略を語ることとした。
 ただ憾(うら)むらくは、先年萬行寺の火災の事によりて、明月に関し信頼するに足るべき旧記多く消失もしくは散逸し、僅かなる記録と口碑伝説とに依るほかはないのである。この点は幾重にも読者の諒を仰いでおく。
 しからば、明月の生い立ちは如何(いかん)、そもそも、どこの何者であるか。


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