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大きな画③ —タイラントと中国史の歴史法則—

はじめに

当記事は「89年東欧革命と今日の中国との対比」という原題で公表していたものを、有料マガジンの発刊に合わせて改題したものです。

1. 春節期間の実際と「春節明け」

春節(旧正月)週間の連休(1月21日から27日まで)は数日前に終わりましたが、これはいわば狭義の春節期間です。本当の暦(旧暦、太陰暦)上の春節は特定の日であり、今年はそれが1月22日(日)でしたが、例年政府がこれを含む週末から7連休とすることで、次の週末と休みがつながって、実際には29日までの9連休となるという仕組みです。
もう一つ、この期間を含めたいうならば広義の春節が存在し、それは鉄道の「春運」(春節に伴う帰省ラッシュ)と呼ばれていて、例年40日間に及ぶ特別ダイヤが組まれます。今年はそれが1月7日に始まって2月15日に終わります。つまり本来の特定の日付けの旧正月、それを含む連休期間の1週間の「春節」、それをさらに含んだ40日間の「春運」という三段階が、現代中国の春節の全体像という訳です(伝統的な春節期間は上記の初日から半月後の元宵節までの計15日間だそうですので、厳密には四段階なのでしょう)。
上記の狭義の「春節」期間は年ごとに変動する法定休日であり、広義の方の「春運」は大規模な帰省ラッシュと、必ずしも帰省ではない個人や家族による内外での旅行の期間になります。
当局は中国国内での新型コロナの全国的なパンデミックの波(当局は認めていないものの、11月下旬の「白紙運動」の頃にはすでに始まっていたとされる)は年内でピークを過ぎたと喧伝しており、破綻した政府のコロナ政策に対する人民の不満の火消しに躍起になっています
短期間での数百万人単位の人口減少(下記note参照)という死者の激増が表面化するのはもう少し先、上記の広義の春節の明ける今月半ば以降のことでしょう。それまでは日本風にいえばまだ松の内、お屠蘇気分で、不満は表面化しにくいはずです。

2. 再革命の歴史的評価

さて冒頭のタイトルで話を説き起こしましたが、一連の東欧での政治変動と同じ1989年の5月に、ゴルバチョフ旧ソ連大統領(昨年8月逝去)が北京を訪問しており、当時ソ連圏にあった東欧諸国に呼びかけていたのと同様に、中国政府に対しても改革を促したことが、現代中国における歴史的な民主化運動となった天安門事件の契機となりました。
この天安門事件が潰えたことで、人々は中国での民主主義の波が挫折したと嘆いたことでしょうが、歴史や革命というものは、その程度のスパンで語れるものではありません。たとえば1917年のロシア革命に至るまでに、1905年の血の日曜日事件以来の長い前兆のプロセスが存在しました。同時代的にはそれらは個々の事件にすぎませんが、革命後の後世になってみれば一時的な失速の局面にも意味が与えられて、断続的ながら一連の動きであったことが明らかになるものです。
後年、中華人民共和国が転覆してから振り返れば、30年以上前の天安門事件は中国での再革命の第一段階(第一次民衆蜂起)であったという歴史的評価になるでしょうし、昨年11月から12月にかけて起こった習政権のゼロコロナ政策に対する広汎な抗議運動(下記note参照)は、それに続く第二の波(第二次民衆蜂起)であったという位置づけとなることでしょう
もっともこの間の香港での潰された民主化運動に関しては、日本を含む西側では大きく報道されましたが、大陸側では香港人が反中国勢力に扇動されて勝手に騒いでいるという受け止めですから、残念ながら大勢に影響したとはいえません。

3. 東欧革命との対比 ―大きな力の作用と呼応―

ソ連崩壊に先行した東欧革命(冒頭の画像は1983年のポーランドの地方都市での、自主管理労組の支持者による行進)は、直接的には旧ソ連圏の自他ともに認める盟主であった旧ソ連邦で政治・経済を含めた上からの社会改革が進行したことの結果です。

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