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真摯があれば何でもできる

こんにちは。

株式会社プロタゴワークスあかねです。

ウチの会社は組織開発をメイン事業にしています。

組織開発で他社に関わらせてもらっているとよくある話ですが、“組織の課題”に取り組み始めると、大抵、“個人の課題”に直面する場面に出くわします。

その“個人の課題”は、組織の中のどの階層であっても直面する場合がありますし、その課題をどんどん深掘りしていくと、とても人間らしい課題である事がほとんどです。

それが例え、その組織の中で“エース”と目されている人物であろうと、“凄腕”と評されているマネジメント側の人物だろうと、入って数年の若手であろうと、個人が抱えている課題についてはあまり大差は無いんじゃないかと思っています。

もちろん、その組織の中でそれぞれの階層によって任されている役割も期待されている成果も異なるのは当然ですが、マネジメント層からすると「それほど重大な責任がある仕事ではない」と思えるような仕事であっても、任された若手からすれば「初めて取り組む責任重大な仕事」であったりする事は往々にしてあるわけです。

そうやって個人のレベル、個人の立場になって考えてみると、例えば“個人の課題”として「責任重大な仕事によるプレッシャーがきつくて、つい後まわしにしてしまう事が常態化している」なんていう課題があったりするのは、別に若手や中堅どころに限った話ではなくて、マネジメント層でも抱えている課題だったりするというのをたくさん見聞きしています。

とは言え、“組織の課題”として考える時には、どうしたってマネジメント層が抱える課題の方が大きな影響を与えていそうに見えるわけです。

そして、実際にマネジメントの立場にいる人が上に書いたような「責任重大な仕事によるプレッシャーがきつくて、つい後まわしにしてしまう」という事が起きていて、それが部下にも知られているとなると、ここで生まれる組織としてのダメージはかなり大きいモノになっていきます。

そこには、部下のマネジャーに対する信頼感が大きく下がるというのも当然ありますが、それよりも、部下からすると「上もああやって後まわしにしているんだから、俺がこの仕事を後まわしにしたって問題ないだろ」と思える余地が生まれてしまうことが大きなダメージです。

これが生まれてしまうと、上司であるマネジャーが部下に対して「なぜその仕事を後まわしにしているのか?」と問う場面が出てきたとしても、問われた部下からすると「あんただってやってるだろ」という思いが必ず生まれて来るので、例え正当性のある指摘や助言をしたとしても、そこに納得感はうまれずらくなってしまいます。

そうなれば、そこから上司と部下の間の信頼関係は弱まっていきますし、段々とマネジメントの力も及ばなくなっていきます。

それは当然ながら会社としてはダメージですし、それが組織内の至るところで起きていればその総合的なダメージは計り知れませんし、そのダメージを回復させつつ、ダメージが起きないように取り組んでいく事は計り知れない労力が必要になってきます。

そんな、考えてみれば当たり前と言える程当たり前のことがたくさんたくさん起きていたからこそ、かのドラッカーはああ言ったんじゃないかと思うんです。

「マネージャーにできなければならないことは、そのほとんどが教わらなくても学ぶことができる。しかし、学ぶことができない資質、後天的に獲得できない資質、始めから身につけていなければならない資質が、一つだけある。才能ではない。真摯さである。」(P.F.ドラッカー)

この文章を、僕は昔働いていた会社の上司から言われた事があります。

その時は、「だから、真摯さが最初からないやつはマネジャーにはなれないんだ」という風に言われました。

その時は、「そういうもんなんだなあ。ドラッカーなんて初めて聞いた」と思って言われたそのままの言葉をそういうもんなんだと思って聞いていました。

ただ、あれから随分と時間が経って、今はこんな風に思っています。

「マネジメントとは、一番重要な役割として真摯さを発揮する事が求められている。だから、マネジャーはいつ何時であっても真摯でなければならない。そして、真摯さは、意志によってしか発揮されないものだから、真摯であろうとする意志を持って言動をしなければならない。真摯さは人間が生まれながらに持っているものであり後天的に身につけるものではない。真摯さを意志の力で発揮し続ける事がマネジャーに求められる唯一の資質だ」

これが、ドラッカーが言わんとしていた事だったんじゃないかな、と。

組織開発をしていると、どうしたってマネジメントについても考えざるを得なくなります。何しろ、組織とマネジメントは切っても切り離せないし、そもそも、この二つは同じモノだと僕は捉えています。

その時に、マネジメントをいうモノを徹底的に考えていたであろうドラッカーが「生まれつき持っているヤツと持ってないヤツがいるから気をつけろ」みたいな話をするわけがないんじゃないかな?と思えるんです。

これはあくまでも僕が考えている事なので、実際にどうだったかはわかりませんが、少なくとも僕の中ではこう考える方がマネジメントというモノについての整合性が取れて来るように感じられますし、納得感が大きくてとてもしっくり来ているんです。

そして、当然ながら「仕事は、意志をもって真摯さを発揮して取り組む」というこの考え方は、マネジャーだけではなくて、どの階層であろうともどんな仕事内容であろうとも、必ずそうあって欲しいところでしょうし、そもそも働いているその当事者の中には必ず持っているべきモノなんじゃないかなとも思っています。

真摯さを持った人たちが集まる組織であれば、その組織はとても円滑なコミュニケーションがとれるでしょうから、当然ながら業績も上がっていきますし、その組織に加わりたい人が後を絶たないでしょう。それは、組織としてうまくいっているという事に他なりません。

そんな事を、組織開発に携わっていると考えさせられることが多いですし、たくさんの“個人の課題”に一緒に向き合う時には、真摯さというのがとても大事だという話とともに、意志を持って真摯さを発揮することによって、その課題は解決に向かうというのを様々な角度から伝える事がたくさんあります。

そして、最近では、「“真摯さ”とは何か?」というのも段々と理解ができてきたような気がしています。

どうすれば“真摯さ”を発揮することができるのか?

これに対して仮説を立てて実践することで、段々と「これが真摯さの発揮をするために必要だったのか。というか、これが“真摯さ”の正体だったのか」と腑に落ちました。

組織における“組織の課題”は突き詰めていくと、必ずそれぞれ“個人の課題”に当ります。そして、当然ながら“個人の課題”のほとんど全てが、“適応課題”です。

“適応課題”は、乗り越える為に痛みや苦しみを必ず伴うので、往々にして「適応がうまくできない」「適応なんてしたくない」「適応せずに今までのままでいたい」みたいな身も蓋も無いような部分に向き合わざるを得なかったりするわけです。そして、更に当然なのは、「そんな身も蓋も無くなる自分に向き合いたくない」という身も蓋も無いものが障壁として立ちふさがります。

そして、そんな“適応課題”を抱えていると、客観視する力や俯瞰する力や全体観でみる力は上手く発揮できない状態に陥ります。たくさんの事例に触れて来て、“適応課題”には、その人の概念化能力を減退させる力がありそうだというのが段々と見えてきました。

だけど、「意志の力で真摯さを発揮する」しか“適応課題”をクリアしていくことは出来ません。

だからこそ、ドラッカーはああいう事を言ったんじゃないかと思うんです。

厳しいけど、本当のこと。

悔しいけど、誰であっても思い当たる節があるだろうこと。

辛いけど、取り組んでいかないといけないこと。

そして、

本当は、自分でもよく理解できているけど認めたくないこと。

そういうモノを、頑張って、意志の力を発揮しよう。

それが真摯さだよ。

僕にとっては、あの一節が、ドラッカーからのそんな優しいメッセージに感じられて仕方ありません。

慣習や惰性や場の空気や雰囲気に流されない、強い意志の力。

真摯さを発揮して仕事に臨む人は、組織内の階層も仕事の内容も収入も一切合切関係無く、素敵だしカッコいいなと感じます。

そんな真摯さを発揮するには、「真摯さを発揮しよう」と思うだけではなかなか難しい場合があると思います(実体験から)。

じゃあ、どうするか。どうすれば“真摯さ”の発揮が出来るのか。

それを考えていて僕が腑に落ちた「真摯さの正体」とは、対話にありました。

つまり、“問い”です。

ウチが取り入れている梶谷真司先生の言う「哲学的に考える」の仕方が僕が腑に落ちたものでした。つまり、「問い、考え、語る」をグルグル回す事です。

「今の自分がしようとしている選択は、決断は、行動は、真摯なのか?」

例えばこんな問いを向けると、その次の考えが進みます。そして、進んだその考えを語る。語るとは、言葉として誰かに話すという事だけでもありません。文字として残すとか、何らかの行動をとる、というのもここで言う語るに該当するんじゃないかと考えています。

問い、考え、語る

これをする事で、例えば組織の中で働く際に、真摯さを発揮する事は充分に可能になるはずです。もちろん、そのベースにあるのは「人は生まれながらに真摯さを持っている」という事をベースに考えていますし、「真摯さは、意志の力によってだけ発揮される」という事をベースに考えています。

己で己に問う事で、今の自分が真摯かどうかは考えが進むはずです。

そして、この問いを己に向けると、実際には問いを向けたその瞬間に即、自分の内面の奥底では答えが出てしまいます。ただ、それを“語る”ことが出来るかどうかは“適応課題”の問題です。

だからこそ、僕は「意志の力=“問う、考える、語る”=真摯さ」だと考えていますし、だからこそ「対話が大事」だと考えていますし、ウチの会社は「対話の会社です」と謳っています。

組織開発という仕事に携わっていると、いつだって、ドラッカーが言う“真摯さ”の一節の途轍もない優しさが、身に沁みますし、いつだって「意志の力を発揮して真摯でいなければ」と思わされるので、自分自身の身も心も引き締まります。

時々、それが出来ていなかった自分に気付いて愕然としてしまう。

そんな事をしょっちゅう繰り返しつつ、今日も明日も明後日も、真摯さの追求に邁進していこうと思っています。愛しのドラッカーみたいに。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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