何をどう捉えて何にどう囚われるのか
こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。
「外側から見た時には、一見すると“同じモノ”に見えたとしても、“それ”を実践している人からしたら、その中身は“全く別のモノ”だと考えて実践していることってあるよなぁ」
あらためてそう実感することがありました。
それは、とある飲食業をメインでやっている経営者の方と話をした時のことでした。
その経営者の方が、お店を運営するにあたって“大切にしていること”について思いを語ってくれたんです。
その方とは、たまに顔を合わせるくらいの関係性ではありますが、会うと趣味の話や仕事の話など色んなことについて話しをさせてもらうんですが、そのキャラクターや仕事に対する考え方がとても共感できるところが多いなと感じていて僕はその方と会う機会をとても楽しく過ごしています。
この時も、たくさん話を聞かせてもらいながら、僕たちからもたくさん質問をさせてもらって、それについてまた考えながら話をしてもらってと、かなり長い時間一緒に対話をさせてもらいました。
そうしてその方の想いや価値観について知れば知るほど、なんとなく違和感のようなモノがあることに気が付きました。
ただ、この時に感じた“違和感のようなモノ”は、他者の相談を受けている時によくあるような「あれ?この人の話は何だか整合性がとれていないような気がするぞ」という“本人が気付いていないけど生じている認知的不協和の解消からくる欺瞞”からくる“違和感”ではありませんでした。
そういう“何か引っ掛かりを感じる違和感”とは全く別の、何と言うか、「あ、もしかして自分の中のバイアスによって“こういうものだ”と決めつけが起きていたことによる誤解があったかもしれない」というような“違和感のようなモノ”があることに気が付きました。
それをきっかけにした問いかけをしたことで、僕の中の“違和感のようなモノ”が明らかになりました。
「もしかして、飲食業をやっているけどお店で一緒に働いてくれる人に求めているのは“料理人になること”じゃなくて“○○になること”ですか?」
「あー、それです!それ凄くしっくりきました!」
そう言って、手元のノートにメモを取り始めました。
どうやら、その方にとってはその時の問いかけがとっても肚落ちしたようでした。
「自分の店で一緒に働いてくれる人には、まさにそれを求めていたんです。やっとしっくりくる言葉が見つかってホントに良かったです」
「でも、僕が今投げかけたことは、これまでにあなたがずっと話してくれていたことですよ」
「いや、だけどその“言葉”がみつかるってことが大事だと思うんです。自分の思いを伝えやすくなるから」
そんなやり取りをして、僕もその時に腑に落ちました。
「そうか!この方も“言葉”を大事にしているから、自分はこの方に共感をしてきたってことなんだな」って。
そして、やっぱり一番の気付きは僕たちの中にあった、いわゆる“人事業界”や“就活業界”で「当たり前の知識です」とされている[業界]ってモノで括って考えてしまっていた「“専門家たる者”バイアス」に自分が囚われてしまっていたことです。
そして、このバイアスによって目の前の人が話してくれている内容についての“本質観取”が邪魔されてしまっていたことです。
本質は、「やっているのは飲食店だが、料理人を育成したいわけではなく“○○”を育成し、○○としてお客様に価値を提供してもらうこと」でした(○○に入る言葉は、この方の話をじっくり聞かせてもらわないと想像も出来ないモノです)。
そして、当然ながらこの“○○”によって生み出され提供される価値は、いわゆる料理人の提供する価値とは自然に差別化がはかれるので付加価値が生まれてくるわけです。
そこまでわかると、「なんてとこまで考えてるんだろう」という驚きとともに、冒頭のように、「外側から見た時には、一見すると“同じモノ”に見えたとしても、“それ”を実践している人からしたら、その中身は“全く別のモノ”だと考えて実践している」ってことの凄さみたいなモノも受け取れた気がして、僕の中でこの時間の楽しさが倍増したような気がしました。
次にお会いした時には、“肚落ちした言葉”が手に入ってからの話を聞かせてもらえるんじゃないかと、今から楽しみにしていようと思います。
あかね
株式会社プロタゴワークス
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