知らないってことを知っているから見えてくる
こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。
「最初は、“あの先輩こんなことも知らないんだ”って思われるのが怖くて、後輩の子達と一緒に研修を受けるのが不安だったです」
ウチが実施する研修に後輩と一緒に参加してくれた先輩社員Aさんが、研修が終わってからしばらくしてこんな話をしてくれました。
実は“こういう感想”を抱く人がそれなりにいるであろうことはウチの過去の経験から把握していますし「そういうこともあるかもね」と折込済みでした。
ただ、“こういう感想”を抱いた人がいたとしても大抵は研修を受けていく過程の中でいつの間にか雲散霧消してしまって、受講後には「楽しく学べたし、これからやらないといけないことが明らかになった」という感想を聞かせてもらうことがほとんどなので、Aさんが話してくれたような感想を直接聞かせてもらう機会はとっても貴重だなぁと感じています。
何しろ、「“先輩”である自分自身が“無知であること”が“後輩”に知られるかもしれないことが怖いし不安だ」という本来であれば他の誰にも知られたくないし隠しておきたいであろう自分の中に湧いて来た暗い感情を、自分の言葉で他者に向けて伝えるにはかなりの内省をしなければできないことです。
「自分が無知である」ということを受け止めないといけませんし、「自分が無知である」ということを「後輩に知られたくない」と思っていることを受け止めないといけませんし、「自分が無知であることを後輩に知られたくない」と思っていることが「自分の不安の原因である」ということも受け止めないといけませんし、“これらのこと”を「他者に伝える」ということも受け止めなければ、こうやって自分の言葉で想いを伝えることもできません。
このAさんのように「できれば一切向きあわず受け止めもせずにそれが存在していることにすら気付かなかったことにしておきたいような自分の中のネガティブな感情とその原因」について、しっかりと自分で向き合って内省をして言語化できる人というのは実際にはそれほど多くはありません。
だけど、極まれにこんな風に類まれな“内省力”を持ち合わせている人がいます。
そしてこの“内省力”がある人は当然ながら“客観視する力=メタ認知能力”もとっても高いですし、何しろ“観察力”がそのベースになっていたりします。
こういうAさんのような人が、その“強み”を発揮できる役割を任されていて、しかも、きちんと評価されているような組織だったとするとその組織では人材育成も進んでいくでしょうし組織の力が発揮されやすいのは言うまでもありません(ただ、Aさんを含めた「仕事の中で特別に訓練を受けたわけでもないのに“こういう力”を持っている人たち」は往々にして自己評価が低めだったりするという共通点があります)。
そしてこれまた当然ながら、“観察力”や“メタ認知能力”や“内省力”が弱い人が「人を育てる」という役割を担っていたりすると
人は育ちませんし組織力は上がらないどころか下がっていってしまいます。
そんな事例をたくさん見聞きしてきたし自分達でも経験してきた身としては、このAさんのような「無知の知」とでも言えるような在り方が本当に大切なことなんだなぁと痛感しています。
「自分は知らない」ということを認めるからこそ「知るためには取り組まなければならないことがある」ということがわかるんでしょうし、それがわかるから「自分事として本気で取り組む」ということができるようになるんでしょうし、本気で取り組むからこそどうしたって「“認めたくない自分”が自分の内側にいる」ってことを認めることができるのかもしれません。
このAさんのような人に出会うことはそれほど頻繁にはありませんが、“こういう人”に時折遭遇することができた時には何だかとっても清々しい気分になるというか、「未来っていうのは明るくすることができるのかもしれない」と強く思えるというか、いわゆる“希望”みたいなモノを強く感じることができたりして、この仕事をやっている役得みたいなモノについて実感させてもらっています。
ただ、Aさんのような人達は“そういう能力”があるからこそ大変な思いをする経験もたくさんやってくることが予想されますが、何かあればいつでも協力は惜しみませんし、実はこの時の研修の中には“そういう大変な状況”に立ち向かうためのモノが満載なのでたくさん復習してもらいつつ、仕事の現場でたくさん実践してもらえれば案外と大丈夫だったりするんだよなぁ、なんて思っています。
Aさんの健闘を祈りつつ、世の中にたくさんいるであろう「無知の知」を実践している未だ見ぬ人達の健闘も祈っています。
あかね
株式会社プロタゴワークス
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