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クルド人


クルド人は中東のクルディスタンと言われてるところに主に住んでいる民族のことをいいます。クルディスタンとはトルコ、イラン、イラク、シリアの4カ国にまたがる地域のことです。それでまた、クルド人は「国を持たない世界最大の民族」とも言われています。

クルド人の信仰してる宗教の大半はスンニ派イスラム教徒、ヤジディ教など他の宗教の信者もいます。

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さて、クルド人は国を持ってない故に様々な問題を抱えており、迫害・差別の対象になることもあります。トルコではトルコ共和国成立後はクルド語の使用から歌や踊り、衣装などの伝統文化の禁止をし、または国内のクルド人は「山岳トルコ人」と呼称しました。最近では緩和しつつあるもののそれでも人権的な問題は抱えています。またクルド人はトルコ国内において最大の少数民族である。ただ、エルドアン大統領がシリアのクルド人武装勢力(YPG)掃討をするなど今でも問題は起こっています。

他にもシリアやイラク、イランにもおいても弾圧されてることがあり、イラクではフセイン政権時のイラン・イラク戦争では化学兵器によりクルド人が攻撃されたことがあります。

なぜ、独自の国を持てなかったのか

 戦後の1920年のセーヴル条約では、オスマン帝国が分割され、連合国はクルディスタンの独立を認めた。これは高まりつつあったクルド民族主義運動の勝利であったが、セーヴル条約は破棄され、批准されることはなかった。結局、トルコは連合国と再交渉を行い、1923年に新たに結ばれたローザンヌ条約によりクルディスタンの自治計画は廃止される。その後もクルド人国家の樹立に向けた試みはあったが、成功していない。 ナショナルジオグラフィックより

16世紀、オスマン帝国がクルド人の居住地の大半を占領し、土地を失います。これがまず、最初のクルド人の分断といえるわけですが、さらに第1次世界大戦でオスマン帝国が破れると、クルド人も打撃を受けます。これによりオスマン帝国は領土を分割され(サイクス=ピコ協定)、連合国とセーヴル条約を結びます。その時にはクルディスタンの独立も入っていました。しかし、それはトルコ革命の後にトルコ共和国によって破棄されて、新たに1923年にローザンヌ条約を締結されます。その条約ではクルド人の独立などには触れられておらず、クルド人問題が現代でも残ることになります。またソ連の支援で現在のイランの一部にクルディスタン共和国が成立するのですが、この共和国はソ連の傀儡国家であり、またクルド人の独立を認めないイラン側の反発や石油開発の利権もあり一年ほどで滅びます。クルド人の住む地域には油田産出地域もあり、その利権も相まって分離独立の問題も複雑化してるところもあります。クルド人は歴代的には独立する機会が二度あり、そのうちの一回は独立したものの崩壊し失敗したということになります。

イラク北部のクルド自治区ではイラクからの独立の賛否を問う住民投票が行われ、(独立への)賛成多数となったが、未だ独立には至ってません。

独立運動はトルコやイラン、シリアにも存在してます。その辺ことはこちらを参照。


在日クルド人と埼玉県蕨市(ワラビスタン)

さて、日本にもクルド人が存在してる。いわゆる、迫害などで逃れてきた難民と呼ばれる人や中東からの移民である。そして日本のクルド人は埼玉県の蕨市に多く集まっている。いわゆる、ワラビスタンである。

なぜ蕨駅周辺にクルド人が多く居住し始めたのかはよくわかってないが、クルド人は家族や親戚の結びつきを重視する民族らしく、血縁関係がある人を徐々に呼び寄せたようである。それで蕨市や川口市といったところにクルド人が多くいるのです。

さて在日クルド人の多くはトルコ国籍が多く、また日本政府はトルコ政府との外交関係からトルコ籍のクルド人の扱いは難しく、仮放免になることも少なくはありません。難民として認定するとトルコは政治的迫害を行ってると認定することになるためからの配慮でしょう。これはトルコ以外の中東諸国にも同じことがいえて、日本は中東諸国との外交関係上あまり圧力を掛けられないのでしょう。石油や天然ガスの輸入は主に中東に頼ってることが多いので慎重にならなければならないので、中東外交は難しいことと思います。ただ、難民が出てるのは良くないのではそこは改善してほしいので、日本も少しは苦言してほしいものですが。トルコ嫌いではないんだけど、クルド人問題はどうにかしてほしい。エルトゥールル号の恩返しとしてイラン・イラク戦争時には取り残された日本人(邦人)を手助けしてくれたのには感謝してる。

難民に関してですが、一度この記事を見てほしい。


2015年には在日トルコ大使館でトルコ人とクルド人の乱闘が起こるといった問題があり、トルコ人とクルド人の対立が表面化したことがあります。また2020年にはクルド人の男性が職務質問されたことがあり、話題になりました。事情は道交法違反し、逃走しようしたので取り押さえられたということ。仕方ないでしょう。

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クルド人職務質問が報道された後、デモが起こって、その中に極左暴力集団が参加してたということでこの件は終わりです。


トルコと言えばですが、トルコ政府は中華(中国)から迫害、弾圧されてる同じトルコ系のウイグル族(主にイスラーム教徒)を受け入れてきたという経歴がある、一方でクルド人(こちらも主にイスラーム教徒)は差別してきたというダブルスタンダードなところがあります。しかも最近はウイグル族も政治の情勢や中国との経済的関係からウイグル族にも冷たくしてきたのですが。政治的に迫害してる国が、政治的に迫害されてる国の人を受け入れてるのは奇妙な感じがしますけど。


私はトルコのクルド人問題は日本にとって全く影響がないことではないと思います。少なくとも在日クルド人がいて多くが蕨市などに在住してる以上は。またはこれはミャンマーのロヒンギャにも同じことが言えるでしょう。因みにロヒンギャは群馬県に多い。ミャンマーではここ最近の国軍クーデターが起こりましたが、クーデターで軍の独裁(軍政)に逆戻りすればロヒンギャの難民も増えると予想します。私はこれが言いたかった。

あとこれも

クルド労働者党(KPP)

ここまでは割とクルド寄りで書いてきたが、クルド労働者党/クルディスタン労働者党(PKK)などテロリズムや独立は支持してない。トルコだけど、なんだかんだいってシリア難民を受け入れてるトルコなんだよなぁ。あとトルコ人もクルド人にはついて悪い人ばかりじゃないといってた。


外国人拉致に関与はこりゃあダメですね。KPPはアメリカやEU諸国もテロ組織扱いみたいですし。

あとトルコについて外務省のデータを。


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おまけ:


note記事紹介:

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