見出し画像

自己紹介をインタビュー形式で

以下は私の自己紹介をインタビュー形式で行っている記事です。最後までお読みいただければ幸いです。まずは写真から。

直七法衣店さんでショートストールを購入しました

Q:「牧師さんってやっぱり親も牧師さんでなるものなんですか?」

私:そういう方もいますけど私の場合は親、家族、親戚含めてだれも教会に通っている人、俗にいうクリスチャンはいませんでしたね。私も大学に入学するまで教会に行ったことも聖書を読んだこともありませんでした。

Q:「え〜、そうなんですか。じゃあどうして牧師になろうと思われたんですか?そもそものきっかけを教えてください。」

私:私の場合は高校卒業後に1年間浪人したんです。予備校に通ったんですけど先生に、「1年間あっても自動的に成績が上がるわけではないからね。勉強のモチベーションを1年間維持するために自分が何をしたい、どうなりたいのかをまずしっかり考えることが大切だよ」と言われて浪人が決まってから約1ヶ月真剣に考えました。そして大きな目標として2つを持ったんです。1つ目は実学ではなく思想や哲学、心理学を学ぶこと。そして2つ目は将来的に国際的に活躍したいという目標です。いろんな大学のパンフレットを取り寄せて学部紹介など見ていたところ、偶然同志社大学の学部紹介、最初が神学部なんですよね。何気なく目に入って読んでみたら「世界ではキリスト教やイスラームなど宗教を信じる人の方が圧倒的に多いけれど日本では少数で無神論だという人が多い。これからますますグローバル化していく世の中で国際的に活躍したいなら宗教的素養や知識は不可欠であり、神学部ではそれを専門的に学ぶことができる」みたいなことが書いてあったんです。その言葉に惹かれて同志社大学神学部を目指し、無事に合格して入学しました。


大学一年生のころ。赤のメッシュを入れてますね。

Q:「なるほど、でもそれだと牧師ではなく神学部を経て一般社会で働くという道に行くのでは?」

私:私自身、神学部に入学する時には自分がキリスト教の洗礼を受けてクリスチャンになり、ましてや牧師になるなんてこれっぽっちも思っていませんでした。現に同志社の入学式の後、神学部生だけ始業礼拝っていうのがあるんですよ。そこで初めて礼拝の独特な雰囲気を経験し、みんなが大きな声で賛美歌を歌ったり主の祈りっていうほとんどのクリスチャンが空で言える祈りをみんなが一斉に唱え出した時に、「めっちゃ宗教だ!学部選び失敗した。これから大学生活4年間どうしよう!」って本気で後悔した事を覚えています。これよく笑い話で教会でもするんですけど、この話をして笑ってくれない教会では私は牧師できないなって思っています。むしろそれだけ最初に驚いた人間が神さまに導かれて牧師になっているってところに神の偉大さがあるみたいなことをユーモアを持って感じ取ってほしいです。

Q:その後の学生生活はどうだったんですか?教会へは行ったんですか?

私:神学部の友人もいたんですけど、主には他学部で一緒のサークルの友人とつるんでましたね。教会へは神学部の授業の一環で礼拝に出席してレポートを書かないといけないものがあって、それのために行くくらいでした。年に2、3回くらい。

Q:そこからどうやって洗礼、牧師の道へと進んでいったのかすごく気になります。

私:何個か小さなきっかけはあるんですけど、大きな転機は大学3年、2008年に起きたリーマンショックですね。大学3年になり就職活動を熱心にしていました。けどリーマンショックの影響でそれまで売り手市場だったのが一気に就職氷河期と呼ばれる時代になり、全然就職先が決まりませんでした。当時は大学4年生の4月5月にはだいたい内定を頂いて就職活動が終わるのが普通だったんですけど、私は6月になっても7月になっても手応えすらなくてかなり自信を喪失していました。いうてもね、同志社って関西の私立大学の中ではそれなりにネームバリューがありますし、自分も一般受験で入ってますからプライドがあるわけですよ。そのプライドがズタボロにされ、人生初の行き詰まりを経験しました。


卒業式の写真です。目が笑ってないな


 そうやって人生に悩み、何をして生きるべきなのかみたいな問いを持った時に、そういうことを歴史的にずっと考えてきたのって宗教じゃないですか。私は偶然にも神学部にいて教会が身近にある。ということで教会の門をくぐり毎週日曜日に行われている礼拝に通うようになりました。

 大学4年生の夏です。その中で今でも忘れられません。鮮明に覚えているんですけど、後に洗礼を受けることになる教会の牧師さんが礼拝の説教という聖書に基づくメッセージの中でこういうことを言ったんです。「日本では年間2万人前後の人が自死をしている。人生努力すれば思い通りになるっていうけど、それが本当ならそれだけの数の人が自死に追い込まれるだろうか。むしろ人生には思い通りに行かないことがたくさんあり、聖書にも思い通りの人生を歩んでこなかった人がたくさん出て来る。でも思い通りにいかない人生の中で神に支えられてそれぞれが人生を全うした証が聖書には書かれている。私たちが聖書を読み、聖書を信じて生きるのは必ずしも思い通りにいかない人生の中で困難に出会っても生き抜く力を頂くためではないか」って。行き詰まりと悩みの最中にあった私の胸にドストライクに届いた言葉でした。


 いま教育の現場やビジネスの世界でも大切な力として注目されている「レジリエンス力」ってありますよね。「回復力」や「しなやかさ」と言われる力です。私は聖書を信じて生きる人ってこのレジリエンス力をすごい持っていると思うんですよね。

 実際ユダヤ民族って苦難の歴史の連続なんですよ。先日教会の季刊誌で『信徒の友』っていうのがあるんですけど、そこでユダヤ教が特集されていて、同志社大学神学部教授の勝又悦子先生が非常にコンパクトかつ的確に困難なユダヤ民族の歴史を紹介されていたんです。自分たちの国や故郷を失って世界中にバラバラにされ、ホロコーストのような迫害・虐殺を経験してもアインシュタイン然り科学や経済や芸術の世界でユダヤ人が活躍できるってすごいレジリエンス力じゃないですか。かつて栄えたフェニキア人とかヒッタイトとかみんな滅んでいるのに、ユダヤ人は国が何千年も前に滅びているのに今なお生きてるんですよ。


 話は逸れましたが大学4年の夏からほぼ毎週礼拝に通い、その年のクリスマスに洗礼を受けました。そして大学を卒業して大学院に進学、学部生時代は全然聖書の勉強とかしていませんでしたから、牧師を目指して必死に勉強して牧師になりました。

Q:なるほど、寒河江健さんが牧師になるまでの道のりがよくわかりました。最後に一言お願いします。

私:はい、人生思い通りには行きません。私たちの社会は新型コロナウイルスによってそのことを身をもって味わいました。絶対安泰と呼ばれていた業界が大赤字になり多くの人が職を失う現実がありました。でもそれは人生の終わりではありません。まだまだ他に生きる道がたくさんあります。ぜひ聖書を通して今の社会を生き抜くために必要とされているレジリエンス力を養っていきましょう!

見出しの画像は大学4年生の秋頃、一番思い悩んでいた時の自分です。

いまは亡き親友とのツーショット


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?