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【随筆】悔いと恋

「私の小学校の後輩のミユキちゃんがあなたを好きなんだって」

中学二年生の夏休み明け。
同級生の女子、ミエにそう告げられた。

私が通っていた田舎の中学校は、三つの小学校から生徒が集まり学年が形成される。
その為中学校に上がってから初めて出会う同級生もいれば、先輩や後輩もまた然り。
私が通っていた小学校は一学年に二クラス。
全校生徒とその家族構成や家庭事情を把握することは田舎特有の慣習のようなものであり、把握が可能な程に狭い町とコミュニティ、そして少ない生徒数だ。
だがミエは私とは異なる小学校から来た同級生であった為、その後輩のミユキちゃんもまた私が知らない子だ。
同じ小学校出身ならば言わば兄妹のような間柄である為、思春期の私は未だ知らぬ女の子に胸を躍らせる。
すぐにミエを連れて一年生のフロアへ行き、どの子かを教えてもらう。
教室から出てきた彼女はスラリと背が高く、おっとりとした女の子だった。
目が合ったような気がするが、恥ずかしそうに小走りで教室へ戻ってしまった。
当時の思春期全開で寂しい私が惚れるには十分なきっかけだ。

数日後、ミエから「ミユキちゃんから」と手紙を受け取った。
隠すことも出来ない程にウキウキしながらトイレへ駆け込み手紙を開く。
そこには丸みを帯びた可愛らしい、だがとても丁寧で綺麗な文字が並んでいる。
私のヒエログリフのような文字とは大違いだ。
その手紙で改めて告白を受ける。
ミエとミユキちゃんが所属するバレー部は、私が所属するバスケ部とバスケットボールコートが二面取れる大きさの体育館を半分に分けて活動していた為、放課後は毎日同じ空間にいるわけだ。
自分で言うのもなんだが、転校前の小学校からバスケを始め、高校では県の強化選手に選出されるくらいの技術は持っていた。
隣のコートで暴れ回るそんな私を、いつしか夏休みの間もネットを隔てた先から目で追ってくれていたとのこと。

ウキウキのまま教室に戻ると、ミエが「なんて書いてあったの?」と聞いてきた。
詳細は省き告白されたことだけを伝えると、ミエも色めきたった声を上げて喜んでいる。
「どうするの?ねぇ、どうするの?」
そう急かすミエに実際に会って返答することを伝えると、ミエの表情が少しだけ困ったように曇る。
「あの子極度の恥ずかしがり屋だから、あなたが行ったら驚いちゃうかも・・・」
いや、付き合いたいのならばそんなこと言ってられないだろうとは思ったが、女子とはそういうものなのかと納得した。
「部活の時に聞いてみるから明日まで待ってて!」
とは言われたが、隣のコートでレシーブ練習をしている彼女を今度は私が目で追ってしまっていた。

翌日ミエが私に手渡してきたのは交換日記だった。
メールやSNSが当然となった現代では想像が難しいかもしれないが、当時のコミュニケーションツールはアナログだ。
友人や彼女への電話は固定電話だし、彼女へ電話を試みようものならば父親が電話に出る恐怖に打ち勝たねばならない。
そんな時代に女の子同士や、恋人達が仲を深めていくために用いていたのが交換日記であった。
私達より以前は所謂一般的なノートだったようだが、その頃には交換日記専用のフォーマットで、装丁も可愛らしいデザインのものが流通していた。
ミユキちゃんから預かったというその交換日記も、そんな可愛らしいデザインのものだった。
要はこれに返事を書けということか。
なんとも煩わしいし、まどろっこしいが仕方がない。

その日の晩。
出来るだけ丁寧に、その時の私の最高の文字を一文字一文字紙面にのせて返事を書き上げた。
翌日ミエを通してミユキちゃんに渡してもらう。
その翌日、ミユキちゃんからの返信を受け取り、ウキウキでトイレへ駆け込む。
返信のページには、前回の手紙と同様の可愛らしい文字で喜びが綴られていた。
私とミユキちゃんの交際が開始された。

それから数日後、私の誕生日の際には日記と共にプレゼントをミエの手から受け取った。
部活で顔を合わせているのだから、直接渡してくれたら嬉しいのにとは思ったが、「恥ずかしいんだって」と言われては仕方がない。
だが、せっかくプレゼントをくれたのだからお礼くらいは言いたいと思い、その日の晩に勇気を出して彼女の家へ電話することにした。
何度拭っても手の平の汗が止まらない。
最後の数字を押すのが怖い。
一時間程の葛藤の末、最後の数字を押すことに成功し受話器を耳へ運ぶ。
何度かのコールの後、野太い声が聞こえてきた。
最悪だ、父親が出た・・・。
「あの・・・夜分遅くにすみません。僕、ミユキさんと同じ学校の〇〇と申します。ミユキさんはいらっしゃいますでしょうか・・・?」
わずかだが、永遠とも感じる沈黙の後、「お待ちください」との言葉を残し保留音が流れる。
この保留音もどのくらい聞いていたかは今では思い出すことは叶わないが、とても小さな、消え入りそうな声で「ハイ・・・」とミユキちゃんが電話に出てくれた。
震える声で、用意していた言葉だけを述べる。
初めて話が出来ること。
プレゼントが嬉しかったこと。
また明日学校で会おう。
その間彼女は黙って聞いていた。
本当に恥ずかしがり屋なのかとも思いはしたが、同時に違和感も感じていた。

翌日、私と同じ小学校卒業でミユキちゃんの同級生で、ミユキちゃんと同じバレー部のマミから呼び止められた。
マミは私の実の妹よりも仲が良く、平気で私の顔面にハイキックを打ち込んでくるような活発で気の強い女の子だ。

「あんだ達、本当に付き合ってんのが?」

強い方言と共に発せられた言葉に理解が追いつかない。
マミによると、昨晩の電話の件でミユキちゃんから相談を受けたとのことだ。
ミユキちゃんは部活で隣のコートで見掛ける程度の人から、何の身に覚えのないことを聞かされたと。
頭の中が真っ白になった。
マミにことの顛末を話すと、「それさ・・・」と静かに語り始める。

私は教室へ戻り、ミエの正面に座り目を見つめた。
「どういうことだ?」
ミエはばつの悪そうな表情を見せ、「場所を変えてもいい?」と聞いてきた。
いくら思春期で鼻垂れ小僧の私でも理解してしまう。

ミエの口から語られたのは、大方マミの予想通りであった。
ミユキちゃんから私が好きだなんて話は無かった。
小学生の時のミユキちゃんは本当に恥ずかしがり屋で、人ともなかなか打ち解けられないような子だった為バレないと思った。
プレゼントも自分が用意した。
そして、交換日記も自分が読んで自分が書いていた。

全て理解していたつもりであったが本人から直接語られると、恥ずかしさと騙されていたことに対する失望と、何故そんなことをしたのかという疑問、そして怒りの感情が湧き上がってきた。
そんな感情が余さず顔に出ていたのだろう。
ミエが「ごめんなさい・・・」と呟き泣いた。
涙を見せられては怒髪天を衝いた私の感情も頭を垂れる。
完全に道化だ。
一年生の間ではどんな噂が広がっているのやら。
ミエが言葉を続ける。
「あなたが好きなの・・・」
無理だ。
私のことはどうでも良い・・・いや、どうでも良くはないが、ミエが取った行動はミユキちゃんに対しては大変な失礼であり最低な行為だ。
擬似的な恋愛を楽しんでいたのはミエだけだ。
私も夢を見させてもらったようだが、その先には断崖絶壁が待っていた。
目の前にいるミエは幼い子供のようにしゃくりあげながら泣いている。
嘘をつき始めた時から苦しかったのだろう。
後に引く術もわからなかったのだろう。
いずれ真実が明るみに出る日が来ることに怯えていたのだろう。

ミエがしたことを許すことは出来ない。
だが責めることはしなかった。
あの後、ミエの目を見ることは一切無かったわけだが。

一年生の間でも、ミユキちゃんは口外することも無く、マミもミユキちゃんに上手く説明してくれたようで大きな問題にはならなかった。
だがミエに対しては違った。
後輩からの信用を大きく失ったミエはバレー部を退部。
同級生の間でも誰が広めたのか噂が広がり、いじめにこそ発展はしなかったが肩身の狭い思いを中学生の間強いられることになる。
以前書いたが、私は自分のことで手一杯であった為、庇ってあげることも出来なかったことは悔いている。

マミには世話になってしまった。
小学生の頃はピーター・アーツ(女)にしか見えていなかったが、彼女も変わったのだと感慨深かった。
彼女とは高校までの付き合いとなるのだが、その際は私が彼女を助けるという出来事があった。
その話はまた別の機会に。

余談だが、そんな縁もあってミユキちゃんとは正式に付き合うことになる。
明るく活発な、とても優しい女の子だった。
前の晩に書いたという手紙を毎朝昇降口で私が登校してくるのを待って渡してくれる。
現代ではなかなか味わうことが出来ない経験だろう。
便箋に並ぶのは幼い頃から書道を習っているという綺麗で達筆な大人びた文字。
以前ミユキちゃんが書いたと思っていた文字との差に笑いが込み上げる。

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