絶対的な安心領域
最近気づいた事だが、電車の両端の車両は真ん中辺りの車両に比べて人が少ない傾向にある。
僕が梅田から神戸に行っていた時、1番前の車両か1番後ろの車両に乗ると確実に座れるが、逆に真ん中ら辺の車両に乗って座れた試しがない。
橋の車両には空間がたくさん空いているのに、なぜか皆真ん中でぎゅうぎゅうになりながら乗っているのはなぜだろうと思う。
もちろん、降りる駅のホームの作りからして、乗っておくとすぐに降りられるという場所は誰しも持っている事だろう。
しかし、それだけが理由だとは考えづらい。
そして、この人口密度の偏りは正規分布の考え方に当てはめる事ができる。
正規分布とはこんなやつで、真ん中に平均値を取り、標準偏差1、2、3毎にその中に配分される割合が決まっている。
例えば、1番分かりやすいのでいうとIQなんかがまさにこれだ。
IQの平均値は100で標準偏差が15なので、真ん中に100が来て、標準偏差1のところが115、標準偏差2が130、
逆に標準偏差-1が85、-2が60という感じになっていく。
そして、その中に含まれる割合が決まっていて、それも表の通りなので、つまりIQ85〜115の間に人口の68%が集約されている事になる。
範囲を60〜130まで広げるとその割合は95%にまで広がり、ほぼ全員である。
こうやって見ると、IQ120というのは人口の上位16%以上であり、いかに凄いかが分かるだろうし、ジョン・ノイマンの246というIQがいかに常軌を逸したものかが分かるだろう。
これは人間の性質の偏りを表すのには最適な物で、大体の性質がこの分布通りになっている。
つまり、中間層にいる人が最も多くなり、それ以上でも以下でも、その中間層からはみ出すと『変わり者』となり、受け入れられ難くなってしまう。
特に日本は多数こそ正義だという国家であり、中間でいる事が『優秀』の基準となる国である。
特に突出した成績を納めずとも、皆と同じように言われた事をきちんとこなし、みんなと同じ事を同じようにできる人間が『優等生』となる。
この傾向にはつくづく疑問を感じるが、今は僕の感想を述べる時ではないので一旦置いておく。
とにかく、人はどうしても中間にいる事が安心に感じてしまうのかもしれない。
無意識のうちに皆が集まる中間に集まる習性がついているのだとしたら、その電車の現象も理解できる。
特に、脳が完全に死んで思考すら出来なくなった人間は人の行動をそのまましようとする。
明らかに列をなすべき場所じゃない所でも、そこに列が出来ていれば何の疑いも持たずに最後尾につけてしまう生き物なのだ。
なので、駅のホームに上がって、中間あたりに多くの人が列を成していれば、毎度満員電車にぎゅうぎゅうになりながら乗る事には何の疑問も持たずに列の後ろに着いてしまうのだ。
なぜならそこが彼らの絶対的な安心領域なのだから。
絶対的な安心領域。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
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