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「実存は本質に先立つ」

かの有名な哲学者ジョン・ポール・サルトルの最も有名な言葉である。

聞いたことがある人も多いかと思うが、聞いた事がない人からすればなんのこっちゃ分からないだろう。

この言葉にサルトルが残したメッセージとはなんなのか。

サルトルは1900年代を生きたフランスの実存主義者で、積極的な政治活動でも有名だった。

彼の実存主義哲学の基盤にはこの「実存は本質に先立つ」があった。

しかし、これは人間や生物に限ることだと述べている。

物は「本質」が「実存」に先立つ。

どういう事かと言うと、例えば、イスを作る時、何か座る物がほしいと言って作り始める。

「なんか分からんけど適当に作ってたらイスが出来た!」なんて事はない。

つまり、イスという「実存」が出来上がる前に、座る物という「本質」が決まっている。

作り出される物に関しては全てそうである。

車や電車などの移動手段に使われる物や、キッチングッズ、家電、服、全てに当てはまる。

考えてみてほしい。なんか分からんけどとりあえず作ってみて「これ何に使お」となる商品は存在しない。

必ず「〇〇がほしい」という本質が作り出す前に存在する。

つまり物は「本質」が「実存」に先立っている。

しかし、サルトル曰く、人間は逆である。

「実存」が「本質」に先立っている。

なので、子供は別に意味を持って生まれてこない。

強いて言うなら「親のエゴ」であろう。

しかし、生まれた段階ではその人の価値や本質は何も決まっていない。

そして、それから教育や経験を通して生きる目的ややりたい事、自分自身の価値を創り出していく。

つまり「実存」してから「本質」を作っていくという点で「実存が本質に先立っている」。

この言葉は、普段から僕が述べている通り、何になるか、何をするか、全ての決定は自分にあり、どう本質づけるかはその人の自由だという事である。

こうでなければならない、この仕事をしないといけない、と元々決められたものなど存在しない。

本質は後から自分で決めていいし、いくらでも変えられる。

日本では特に、社会や企業の中の役割に囚われすぎてその人自身の本質を見失っている人が多い気がする。

しかし、その役割は絶対ではないし、いつ辞めたっていい。

我々の実存自体には何の意味も価値もない。

なぜなら「本質」に先立っているのだから。

そこから「本質」を作っていくのは他の誰でもなく、あなたしかいない。

社会の中での自分の役割に縛られて生きづらい人は一度全てをやめてしまえばいい。

実存が本質に先立ってる以上、あなたの役割や意味づけがなくなってもあなたの存在は決して消えない。

そしてまた本質は作っていけばいいだけなのだ。

「実存は本質に先立つ」


最後まで読んで頂きありがとうございました。

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