「ストレスの時代」から「トラウマの時代」へ

わたしたちの生きるこの時代は、「ストレスの時代」から「トラウマの時代」へと、大変動期にあるといわれます(津田,2019)。

言い方を変えれば、もはや「ストレス」の枠には収まらない別種の新たなストレス、つまり「トラウマティック・ストレス」が表面化していると言えるのではないか(津田,2019)、ということです。

この場合のトラウマとは、診断基準に含まれている単回性のトラウマ(PTSD)、複雑性トラウマといった、命に関わる危険に遭遇するもの以外に、診断基準には含まれていないですが、養育環境などがもたらす発達性トラウマであるとか(花丘,2020)、さらに陰性外傷(岡野,2009)という、もうちょっと広義のトラウマも含めて考えています。

最近では、直接に命の危険に関わる大文字Tのトラウマ、必ずしも激烈ではないが人の対処戦略を圧倒してしまう小文字tのトラウマ(Swartz,2018/2023)という呼び方もされています。この大文字のトラウマと小文字のトラウマの両方を含めて、トラウマ・スペクトラム(Scaer,2005)と考えることもできると思います。

発達性トラウマや陰性外傷は、大文字のトラウマほど症状が目立たないものの、他人との間に基本的な信頼関係を築いたり、自分という自然で安定した感覚を持つことに障害が生じたりする問題を引き起こすとされます(岡野,2009)。

日本の内部にも、そして海外にも、こうしたさまざまなトラウマティック・ストレスを引き起こす出来事があふれかえっている現状があると思います。日々SNSを含めたメディアから流れてくる映像などにトラウマをもたらすものもたくさんあると思います。たとえば、戦地の惨状をほぼリアルタイムで動画で見ることができてしまうことを、現代の情報ネットワークは可能にしています。もちろん、そういう現状に影響を受けないように気をつけていて影響を受けなければいいわけですが。

しかし社会や世界と関係を断って生きることはなかなか難しいですし、世界のことを知ろうと思ったら、トラウマをもたらす現状と直接間接になんらかのかたちで出会ってしまうこともまれではないでしょう。

もっとも身近に不幸にもトラウマ的出来事に遭遇する可能性もあります。
こうしたトラウマは、さまざまな心の問題を引き起こします。

それに加えて、からだの問題も引き起こします。からだの問題としてとくに、痛みの問題が指摘されています。

「トラウマ系の人の慢性疼痛って本当に多い。…こころとからだって本当につながっている」(児童精神科医の杉山登志郎,2019)
慢性疼痛とトラウマとアディクション(依存症)の3つの病態がしばしば合併しうる(小児科医で自身も脳性小児麻痺であり頚椎の慢性痛に苦しんだ経験をもつ熊谷晋一郎,2016)。

トラウマと慢性的な痛みがなぜ関連するのかそのメカニズムを一言で言えば、トラウマ的出来事への防衛反応から自律神経バランスの緊張が生み出され、それが身体の緊張を引き起こし元に戻らなくなってしまうことにあります(Peter LevineとMaggie Phillipsの共著,2012)(トラウマと慢性痛の先駆的著作でもある)
アメリカの研究では、慢性痛患者の6~7人の1人(16%)に、トラウマ(PTSD)との関連性が指摘されています(アメリカ2017年データ、退役軍人除く。退役軍人を含めれば、ほぼ5人に1人19%)(David A. Fishbain et al.,2017)

痛みは生物にとって苦痛をもたらし嫌なものですが、しかし、生命維持にとってとても重要で命を守るために極めて有用なサインでありメッセージを伝えてくれるものでもあります。痛みは生命体が危険な状態にあることを伝えてくれるからです。

この痛みの機能が働かなくなる病気に、無痛症があります。無痛症の人は、文字通り痛みを感じないのです。痛みを感じないっていうのは、ケガをしても苦痛を感じることもなく、うらやましいでしょうか。

いえいえ。とんでもありません。痛みを感じないということは、骨が折れても深い傷ができても火傷をしても気にせず動き回り、目をこすっても失明したり、舌を噛み切っても気が付かなかったり、とんでもないことがおこります。無痛症の人は、寿命が短いとも言われています。

ですから、痛みは危険をしらせる大切な機能を担っています。しかし、これが慢性的な痛みとなると話は違ってきます。ケガは治っているのに、まだ痛みが続くという場合です。また、急性の痛みを繰り返す慢性痛というのもあります。身体を痛めることをよくやってしまう、ケガをしやすい、リスクのあることをやってしまう、身体に病気などを抱えている、などです。その原因は、身体や心の病気の特性はもちろん、仕事の内容や、生活環境や、これまでの行動パターンなどいろいろあるでしょう。

トラウマに起因する慢性的な痛みの場合、トラウマへの対処が役に立つことがあります。
現在では、トラウマと身体の関係性はよく指摘されるようになってきて、『身体に閉じ込められたトラウマ』(ピーター・ラヴィーン)、『身体はトラウマを記録する』(ベッセル・ヴァン・デア・コーク)という著作を筆頭に、近年トラウマと身体の問題を扱う理論や方法などについて著作も増えてきました。

こうした観点の、身体指向のトラウマセラピーも少しずつ広まってきてはいます。身体指向のトラウマセラピーは、身体感覚をゆっくり感じながら、身体の自然な治癒力を引き出し、自律神経バランスを整えていく働きがあります。この身体指向のトラウマセラピーの方法は、深刻なトラウマがない人にも、心身の健康の回復にとても有効性を持っていると思います。しかし、世界的に見て深刻なトラウマが急増しているのに、トラウマセラピーはまだまだ不足しているのが現状だと感じます。

【参考文献】
・David A.Fishbain et al.(2017).Chronic Pain Types Differ in Their   Reported Prevalence of Post -Traumatic Stress Disorder (PTSD) and There Is Consistent Evidence That Chronic Pain Is Associated with PTSD: An Evidence-Based Structured Systematic Review.Pain Medicine 2017; 18: 711-735.
・津田真人(2019).「ポリヴェーガル理論」を読む からだ・こころ・社会.星和書店.
・岡野憲一郎(2009).新外傷性精神障害.岩崎学術出版.
・Scaer,R.(2005).Trauma Spectrum. Hiden Wounds and Human Resiliency. W.W. Norton & Company.
・杉山登志郎(2019).発達性トラウマ障害のすべて.こころの科学.日本評論社.
・Swartz,R.(2018).Energy Psychology, Polyvagal Theory, and the Treatment of Trauma. W.W. Norton & Company. 花丘ちぐさ(訳)(2023).エネルギー心理学、ポリヴェーガル理論、そしてトラウマの治療.in Porges,S.&Dana,D.(編著)(2018).花丘ちぐさ(訳)(2023).ポリヴェーガル理論 臨床応用大全.春秋社.
・Levine,P.,Phillips,M.(2010).Freedom from Pain Discover your Body's Power to Overcome Physical Pain. Sounds True.




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?