認知症の方のQOLを考える

進行した認知症の患者さんに発症した肺炎に抗菌薬を投与すべきでしょうか?進行した認知症の患者さんの肺炎は細菌感染というよりも、飲み込む力が弱くるために誤嚥して起こることが多くなります。抗菌薬で肺炎が良くなっても、飲み込む力は時間とともに少しずつ落ちていきますから、肺炎を繰り返すようになる事が多いです。肺炎に対する抗菌薬投与は、日本では入院して点滴で行われることが多く、進行した認知症患者さんでは点滴を抜かれないように拘束されることも稀ではありません。また、回復した後に更に嚥下機能が落ちて、結局食事がとれなくなってしまうということも良くあります。そのような状況で生きていくのが幸せなのだろうか?そういった疑問に答えるために行われた研究があります(Arch Intern Med 2010; 170: 1102-7, PMID: 20625013)。

この研究では老人ホーム入居中の重度の認知症患者さんのうち肺炎にかかった人において、生命予後、QOLと治療方法(内服の抗菌薬、筋肉注射の抗菌薬、静脈注射の抗菌薬、抗菌薬なし)との関連を調べました。QOLは肺炎を発症した患者さんでは肺炎発症日を含む3か月間の平均を調査し、死亡した患者さんでは死亡前1週間の平均を調査しています。QOLは、老人ホームに勤務している看護師が評価表を用いて、痛み、呼吸困難感、抑うつ、不安、焦燥感、皮膚損傷、介護抵抗などを評価しました(介護抵抗がQOLに含まれているのは若干違和感がありますが)。

結果的には、91%の患者さんが抗菌薬治療(内服55%, 筋肉注射16%、点滴20%)を受け、9%の患者さんは抗菌薬治療を受けませんでした。抗菌薬治療を受けていない患者さんでは、生存期間は273日短くなりました。QOL尺度は、肺炎から回復した患者さんでは、抗菌薬治療を受けていない群で5-10点程度、高値でした(QOLが高かった事を示しています)。死亡した患者さんでは、QOL尺度は差がありませんでした。QOL尺度の点数差は、痛み、不安、介護抵抗などが週数回あったのが、月数回くらいになるというぐらいの差でした。

本研究は“認知症患者さんに対して抗菌薬治療を行うと、QOLが低下する”という風に頻繁に引用されています。私は、高齢認知症患者さんに対する侵襲的治療に対して否定的な考えを持っていますが、さすがにこの研究から、抗菌薬治療を行うとQOLが低下するという結論を導くのは無理があるのではないかと思います。

第一に、生存期間の差が大きすぎると思うのです。273日≒9か月間で、この差は抗がん剤の臨床試験ではあまり見られないくらい大きな差です。

第二に、本研究では施設看護師が評価したものをQOLとしていますが、QOLを本人以外が計測する事は本当に意味があるのか、という点です。人の幸せは外からは分からないものです。大金持ちで何一つ不自由ない暮らしをしている人が、強い閉塞感を持っている事もあれば、貧しくてもなんの不安もない人もいます。本研究のQOLは本当に本人の生活の質を調査していると言えるのでしょうか?

第三に、本研究は観察研究ですから、因果関係の証明はできません。本当は“抗菌薬治療を行ったからQOLが低下した”、とは言えないのです。例えば、抗菌薬治療を行わなくても改善するくらい軽度の肺炎だったために、QOLが低下しなかった、という、逆の因果関係である可能性もあるわけです。更に言うと、アメリカでは日本以上に耐性菌が社会問題になっており、抗菌薬を減らそうという強い社会的な動きがあります。そのような背景がある以上、抗菌薬使用を減らすために、医学界がこのような結論を後押ししたのだという見方もできます。日本でも議論になっていますが、有限である税収の中から認知症患者さんにどれくらいの社会保障費を投入すべきかという政治的な議論もありえるでしょう。

本研究は方法論に難点もありますが、大切なテーマを扱っている事は間違いないと思います。進行した認知症患者さん、ADLが低下した高齢者の方への積極的治療が有益かどうかは、簡単に結論が出せる問題ではありません。医学の臨床研究では治療効果はQOLでさえも数字で表されてしまい、その内容は見えにくくなってしまいます。本研究では9か月生命予後が伸びていますが、数字を伸ばすことに一生懸命になることは反対です。“家族にとってどのような時間なのか” “患者さん本人のどのような生活をイメージするのか” 平均の数字に表せないものを大切に、一人一人の患者さんの事を考えていきたいと思っています。

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