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アトピー持ちや肌が弱い人のための US 生活ガイド

こんにちは。2010年に日本から SF ベイエリアに移ってきたソフトウェアエンジニアです。今回は住み慣れた日本から US に移ってきたアトピー持ちや肌が弱い人に役に立ちそう…

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ソフトウェアエンジニアとして心がけていること

SF ベイエリアで働く1人のソフトウェアエンジニアとして、楽しくエンジニアリングをやっていくために日頃からぼんやりと心がけている3つのポイントについて今回は書いてみ…

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Twitter での6年間 #8

(Twitter での6年間 7 からの続き) これ以後は、新アーキテクチャプロジェクトが長期間続くので、大きな変化はなかったと思う。 なので、この話はいったんここで筆をおく…

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Twitter での6年間 #7

(Twitter での6年間 6 からの続き) Apple のイベントからしばらくすると、テックリードから提案があった。ぼくがデモ用に作ったライブラリの設計もコードもきれいで見通し…

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Twitter での6年間 #6

(Twitter での6年間 5 からの続き) 2014年3月、グリーンカード、つまり永住権の申請プロセスをはじめることにした。そのときぼくは H-1B ビザで働いていたのだが、このビ…

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Twitter での6年間 #5

(Twitter での6年間 4 からの続き) 2013年の春ごろだっただろうか。上のほうの人が、A/B テストをプロダクト開発に活用することを推奨し始めた。A/B テストでプロダクトの…

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Twitter での6年間 #4

(Twitter での6年間 3 からの続き) 2013年に入り、iOS 6 の普及率も十分に高くなったころ、同僚のエンジニアから1つの提案がなされた。ツイートビューを作り直そうという…

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Twitter での6年間 #3

(Twitter での6年間 2 からの続き) 秋になると、上のほうが「Twitter は mobile centric company になる」という方針を打ち出した。つまり、それまではずっとウェブ中心の…

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Twitter での6年間 #2

(Twitter での6年間 1 からの続き) SQLite の導入とモデルレイヤーの刷新がうまくいったあと、ぼくは次のプロジェクトを探していた。何をやれば最終的に一番ユーザーのた…

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Twitter での6年間 #1

2012年1月、Twitter の iOS チームに7人目のエンジニアとして入った。 たまたま最初の週が Hackweek だったので、通常の仕事は一旦停止。なんでもやりたいことをやってい…

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アトピー持ちや肌が弱い人のための US 生活ガイド

アトピー持ちや肌が弱い人のための US 生活ガイド

こんにちは。2010年に日本から SF ベイエリアに移ってきたソフトウェアエンジニアです。今回は住み慣れた日本から US に移ってきたアトピー持ちや肌が弱い人に役に立ちそうな情報を紹介したいと思います。

はじめにまず最初に注意事項なのですが、ここではぼくが試してみて自分の体に合ってると感じたものを紹介しているにすぎず、みなさんそれぞれの体に合うことや効果を保証しているわけではないことをご理解くだ

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ソフトウェアエンジニアとして心がけていること

ソフトウェアエンジニアとして心がけていること

SF ベイエリアで働く1人のソフトウェアエンジニアとして、楽しくエンジニアリングをやっていくために日頃からぼんやりと心がけている3つのポイントについて今回は書いてみたい。

インフラを作る側にいるソフトウェアエンジニアとして普通の Software Engineer から Senior Software Engineer、Staff Software Engineer とだんだん昇進していくにした

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Twitter での6年間 #8

Twitter での6年間 #8

(Twitter での6年間 7 からの続き)

これ以後は、新アーキテクチャプロジェクトが長期間続くので、大きな変化はなかったと思う。

なので、この話はいったんここで筆をおくことにしたい。

ぼくは、今年3月に Twitter を辞めることにした。もともと新しい物事を学ぶことが好きなので、あまり同じ環境に長くいるのには向いてなかったのだと思う。それでも6年間やってこれたのは、すばらしいマネージ

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Twitter での6年間 #7

Twitter での6年間 #7

(Twitter での6年間 6 からの続き)

Apple のイベントからしばらくすると、テックリードから提案があった。ぼくがデモ用に作ったライブラリの設計もコードもきれいで見通しがいいので、そのライブラリをアプリ本体に組み込んで、既存のコードを置き換えてはどうかということだった。ぼくはその提案には反対だった。既存のコードによほど大きな設計ミスがない限り、同じ要求を与えれば同じコードができあがる

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Twitter での6年間 #6

Twitter での6年間 #6

(Twitter での6年間 5 からの続き)

2014年3月、グリーンカード、つまり永住権の申請プロセスをはじめることにした。そのときぼくは H-1B ビザで働いていたのだが、このビザには6年の最終期限がある。2010年10月からなので期限まで残り2年半しかなかった。一度期限が切れてしまうと、基本的には国外に出ていかなければいけなくなる。H-1B で働いていてこれからも US で働きたいと考え

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Twitter での6年間 #5

Twitter での6年間 #5

(Twitter での6年間 4 からの続き)

2013年の春ごろだっただろうか。上のほうの人が、A/B テストをプロダクト開発に活用することを推奨し始めた。A/B テストでプロダクトの方向性を決めていくというのだ。これにつられ、この頃の社内では A/B テスト万能論のような空気さえただよっていた。普通に考えて、A/B テストを数週間走らせてデータをとっても、それが長期的な成功につながるか判断で

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Twitter での6年間 #4

Twitter での6年間 #4

(Twitter での6年間 3 からの続き)

2013年に入り、iOS 6 の普及率も十分に高くなったころ、同僚のエンジニアから1つの提案がなされた。ツイートビューを作り直そうというのだ。その時点での Twitter for iOS は、iOS の黎明期に Apple が推奨していたように、できるだけビュー階層を減らして描画するようになっていた。たとえば、ツイートビューには一切サブビューがなく

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Twitter での6年間 #3

Twitter での6年間 #3

(Twitter での6年間 2 からの続き)

秋になると、上のほうが「Twitter は mobile centric company になる」という方針を打ち出した。つまり、それまではずっとウェブ中心の会社だったのを、これからはモバイル中心にシフトしていくという決意表明だ。その方針に従い、新機能を作るときにはまず iOS か Android に実装することが必須になった。もちろんプロジェクト

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Twitter での6年間 #2

Twitter での6年間 #2

(Twitter での6年間 1 からの続き)

SQLite の導入とモデルレイヤーの刷新がうまくいったあと、ぼくは次のプロジェクトを探していた。何をやれば最終的に一番ユーザーのためになるか。そのときに選んだのは、JSON パーザーの置き換えだった。当時の Twitter for iOS は、YAJL という C で書かれた JSON パーザーをプッシュ形式のインタフェースで使っていた。プッシュ

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Twitter での6年間 #1

Twitter での6年間 #1

2012年1月、Twitter の iOS チームに7人目のエンジニアとして入った。

たまたま最初の週が Hackweek だったので、通常の仕事は一旦停止。なんでもやりたいことをやっていいらしい。入ったばかりで何もわからない状態だったので、ぼくのメンターのテックリードがやっていた Twitter for Mac の多言語化を手伝うことにした。水曜にパッチをマージしてもらって、ぼくの担当部分は完

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