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かさぶた

そういえば、今日、あれから初めて、電車に乗っている時に外の景色を楽しめるようになっていた。曇った夕暮れのグレーがかった青が、大きな水を含んだ川と同じ色をしていて、その川の上をわたしとたくさんの人を乗せた電車が駆け抜ける。わたしは電車の中からそれを見ていて、「綺麗だな」と思った。

「あれから」というのは、「約3ヶ月前に性被害に遭ってから」。夜19時の最寄駅から家までの帰り道に。いつもの帰り道だった。お気に入りの、森みたいに木がいっぱいある公園のすぐ近くで。
わたしはまだその公園を通れない。

それでも、わたしはましなほうだった。(今はそう思える。)知識があったから、わたしがされたことの整理がすぐついて、すぐ警察を呼べた。家も近かったので、家族もすぐ駆けつけてくれた。警察はわたしを気遣って、最低限の適切な受け答えをしてくれたと思う。もちろん、それでも事情聴取は苦しい。あの人が捕まってもう誰にもそんなことをしないでほしいと思うから、質問に応じるが、できたら記憶を反芻させないで、今すぐ忘れたかった。

わたしはその人に触られたお気に入りの緑のカーディガンを捨てた。

駆けつけてくれた母に「大事にならなくてよかった」と言われた。わたしには十分大事だった。自分の被害を小さく扱われるのはとても辛かった。怒りが湧いた。(けれど母の気持ちもわかる。きっと心からそう思っていたのだとわかる。)
弟はその人を殺したいと言った。わたしはそれを言ってくれて嬉しく感じ、自分がその人の死を望んでいることに気づき、怖くなった。

1週間くらいは、毎日泣いていた気がする。
電車に乗るのも怖くて、バイトに行くのも怖くて、車に乗って近所を通るのも怖かった。あの人を探してしまうから。初めて、自分が性的に消費される存在なのだと自覚し、周りの視線が怖くなった。知らない人の肌に触れるのがバックフラッシュを引き起こすので、都内の大学に通うのも難しくなった。初めて満員電車に乗った時には近くにパートナーがいてくれたのに泣いてしまった。泣くと周りの人の視線を感じて、それもさらに嫌で、さらに気持ち悪くなった。それから電車に乗る時は、体にギュッと力が入って、呼吸が浅くなって苦しい日々が続いた。

でも、人間不信を治してくれるのも人間だった。北海道の変わらず懐かしく、温かい人たちに飛行機とバスを乗り継いで会いに行って、たくさん話をした。この会わなかった10年をお互いどう過ごしたのか、そしてこれからのことを、ぽつぽつと話しあった。わたしの覚えていない、今より小さなわたしの記憶をみんなが持っていて、そのわたしを愛おしく感じる。それはきっとその人たちが、わたしが存在する思い出を愛おしい話し方で話すからで、それがとっても嬉しくって、こそばゆくって、わたしはいつもばれないように少し涙目になる。

電車が怖いということを身をもってわかってくれた友人から、「そういうときは自分の好きなことをしな。楽しく感じる場所に出かけな。」と言われて、それを少しずつやっていったら北海道に行けた。
そうやって少しずつ少しずつ以前の自分を取り戻していく日々が必要だった。

わたしは今も、以前のような自分には戻れていないし、これからも完全には戻れないのかもしれない。わたしは傷に絆創膏を貼って、治ったと思ってその絆創膏を剥がす。だけど、絆創膏を剥がして出てきたかさぶたを、何かの拍子にとってしまって少し血が出ちゃうような感じを何度も何度も繰り返す。きっとこれからもそういうことが続いていくのだ。

それでも、傷の跡は残るかもしれないけれど、少しずつわたしの好きなようにしたいし、好きな自分になりたい。

今日、電車から見える景色を綺麗だと思えたから、1回絆創膏をとってみてもいいかな。

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