さよなら神戸

僕は、平成に入って間もないころ、神戸の隣の明石市に生まれた。
神戸で別れの話をするなら、震災が定番かもしれないと思う位には、震災の話はよく聞かされた。

弟がまだ母のお腹の中にいたころ、両親と3人で机の下に身を寄せながら、「頑張ろうよ」と家族に呼びかけたらしい。
3歳のくせに大したもんだと26歳になった今思う。

僕の震災で覚えていることと言えば後は、近所のそこそこ大きい公園のグラウンドに仮設住宅が立ち並ぶ姿だった。もっとも当時はそんなことを分かっておらず、その公園のグラウンドは”そういうところ”で、何も不思議に思っていなかった。風景だけをやけにはっきり覚えていて、その風景の意味を知ったのはずいぶん経ってからだった。その時はあそこが公園だったことも、被災して家を無くした人が何とか生きていくための場所だということも、全然知らなかった。

だいたいのものの意味は後からやってくるのだと思う。
「さよなら神戸」というタイトルで僕が震災で語れることはそれくらいなもんだから、僕個人のさよならを考えるに震災の話題は合っていない気がする。
そもそも、僕が被災したのは神戸でなく明石なわけだし。

別れは人並みにいろいろあって、中高の友人とも気づかないうちに別れが来ていることがよくある。
意味は後からやってきて、その時は思いもしなかったようなことが後から襲ってくる。
物を考えることを覚えてから、別れというものが自分の中で一番怖いものだと思うようになった。
僕は身勝手で、自分の人生の中で自分が考えている人はいつまでも自分の人生の中にいるものだと思ってしまう節がある。
別れに気付いた瞬間から、それまで忘れていた癖に急にその人の存在が大きくなる。
なんだか置いてけぼりにされてしまったような、そんな感覚に襲われることもある。

あの人はきっと怒っているだろうなとか、悲しませているだろうなとか、それでも僕はここにいるのになとか。自分でも勝手だなあと思う。別れを告げたのは、別れる原因を作ったのは果たしてどっちだったろうか。

意味は後からやってくる。

あの時それっきりになるなんて想像しなかった言葉や態度が、今でもふとフラッシュバックする。

大学にはいってから神戸はわが町になった。
とことん消費して、沢山の人と出会い、いろんな人と別れた。
そのだいたいは自分がそれっきりになるなんて想像してなかったことばかりだ。
最後に会ったのはいつだっけ、意味すらも覚えてないさよならが無数にあってそれを抱えながら、僕は今も生きているなあと思う。
連絡を取ろうと思えばいつだって取れるようになった現代だからこその虚ろな存在感がそこにはあるような気がする。
自己中心的に考えているから置き去り感にせよ虚ろな存在感にせよ頭によぎるのだとは思う。
僕はどこまでも自分が主役のストーリーを生きていて、そこから抜け出す術を知らない。

大学を卒業してから大阪に移り住んだ。舞台は大阪になった。
神戸はどんどん自分の中で小さくなっていっている。自分の人生上でもっとも濃密な時間を過ごしたあの町ですら小さくなっていく。
いつか消えてしまうのだろうか。
いつかそういえば神戸に行ったのはそれっきりだったななんて思う日が来るのかもしれない。

その別れの意味はなんなのだろう。
できれば別れたくないなあと思う自分がいる。
自己中心的な世界から抜け出す術はもしかしたらここにないだろうかって考えている。
なぜかは分からないけど。

意味は後からやってくる。
それでも、別れなくても意味が分かるようになりたいと思う。
別れる前に存在の大切さ、かけがえのなさを分かるようになりたい。

文:練間 沙(ねるま いさご)
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