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作品帳|大切な人をなくしたあなたに描いた絵本

10代の自分のために作った絵本を、どこかのあなたへ。

ある絵本コンペに出して落選した作品ですが
可愛い子には旅をさせよということで(?)一般公開しました。

私は中学生の頃家族を失ったのですが、
当時は思春期で、突然の喪失に感情のコントロールができなくなりました。
この作品はそんな10代のころの自分のために作った作品です。

(※PC推奨、リンク先でズームボタンを押していただくと、画面に合わせたサイズになるので見やすいと思います。)

当時、わたしは悲しい・寂しい、といった感情を絶対に人に悟られたくなくてずっと虚勢を張っていました。

テキトウで明るい性格を演じる反面、
少しでも「裏に隠れた弱さ・繊細さ」を指摘されたら一瞬でキレる。
失った家族のことは絶対に話題にしない。
自分は「強い」「強くあらねばならない」と勝手に思い込んで、
周りから見たらそれこそ哀れなふるまいを続けていたと思います。

でも、家族を失くした悲しみは、
そんな虚勢で拭い去れるはずもなく。
目を背ければ背けるほど、ポッカリあいた穴はどんどん深く大きくなっていたことに、後から気づいたんですね。

19才くらいになって、反抗期のトゲもすっかり抜け落ちたころ
為す術もない虚無感や喪失感に飲み込まれてしまうようになりました。

学生生活があったので、表向きは普通でいられたものの
ふと、ひとりになったときに、底なしの湖に沈んでいくような恐怖がぬぐえず、生きる気力が湧かなくなるような時間を多く過ごしました。

どうしたらいいか。

正直自分で答えは分かっていました。
失った家族のこと、そしてそのことに対する自分の心の声を、吐き出してあげることでした。
でも、たったそれだけのように思えることが、本当にできなかった。
気持ちを一言でも口にしたら、きっと自分が雪崩のように崩れ落ちていくような気がして。

やがてハタチも超えて、年を重ねていくうちに、
明確なきっかけは無くて、これはもう本当に月日といろいろなことの積み重ねの結果だとしか言えないのですが、何の緊張もなく家族のことを話せるようになりました。自分の気持ちも、強がっていたことも。

故人のこと、故人と自分の思い出、そして知らなかった故人と世界とのつながりを、ゆったり語り合う。時々目頭が熱くなる。そういう時間ができるほど、自分の中にあった”冷たい・苦しい・怖い”喪失感が、”温かく・楽しく・優しい”記憶になって、故人との思い出が活き活きしていきました。

悲しみは消えるわけでもないし、まだまだ寂しい。

でも、底なしの湖に沈むような恐怖は無くなって、
きちんと「かなしみの海」に向き合うことができるようになりました。

きっと似た経験をされた方も多くいるだろうと思います。
私は10代の頃、そういった経験者の話に触れることがありませんでした。
少しでも、どうしたら良いかの気づきがあったら、
また違った時間を過ごせただろうな、と思うんです。

だから、10代の頃の自分に伝えるつもりで書いたのがこの作品です。
同時に、だれか大切な人を失った方に微力でもサポートを表明したくて書いた作品です。

無理はしなくていい。ゆっくりでいい。

大切な人を失った君は、心に反して強がったりせずに、
すこしでも感情を吐き出したいと思ったなら、
泣いてぐちゃぐちゃに崩れてもいいから、語ってみるといい。
どうか抑え込まないで。抱え込まないで。

周りの家族・友人・知人は、どうかお互いを遠ざけず、
日常のどこかに心の声を受け止め合える柔らかい時間を作ってほしい。
もちろん、悲しんでいるひとの心だけじゃなく、自分の心も受け止めるために。

長々と作品の背景を書きましたが

Behanceで一般公開しています。
何だか悲しいニュースが多いから。
どこかのだれかに届くといいな。と願いを込めて。

ここからは作品としての反省

しっかりコンテを書けばよかったものを、
短期間で勢いで描いてしまったところがあって、作画に反省点も多いです。
主人公の熊に自分を置き換えたけれど、もう一人の羊飼いの少年の人物像が薄くなってしまったかな。

もっとメッセージが伝わるように、またいずれ筆を入れなおしたいと思います。そしてより良い作品を作っていきたいと思います!
良ければ覗いていってください。

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