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ちょっぴり読書感想 vol.2

「スター」 朝井リョウ

今回は、朝井リョウさんの「スター」の感想をちょっぴり書いていきたいと思います。
※ネタバレを含む場合があります。

朝井リョウさんといえば、私は「桐島部活辞めるってよ」の映画を初めて観たときがとても印象深いです。あとは、就活のときに「何者」を観て、就活が恐ろしく感じたことも覚えています。笑
今回の「スター」も、まさに朝井リョウさんらしい小説だなと感じています。現代の若者の視点の描き方が抜群に上手く、私だけではなく、多くの現代人に刺さる作品だと感じています。
少し前に読んだため記憶が薄いですが、この作品を読み終えた後にたくさんのことが思い浮かんだため、できる限りここに書き記しておこうと思います。

この小説の主人公は、「立原尚吾」と「大土井紘」の2人が主人公です。ともに大学で映画サークルに属しており、大学在学中に新人の登竜門となる映画祭でグランプリを受賞します。大学卒業後は、尚吾は名監督への弟子入り、紘はフリーターを経てYouTubeでの発信という、映像系の真逆の道を歩みます。

この小説の題名でもある「スター」ですが、時代におけるスターの定義やその物差しの変化を表しているのではないかと個人的に思います。昔だと、有名な映画の主役となれば、それはもう大スターだったかもしれません。ただ、現代では技術が発達し便利になったことで、享受される側だけでなく、自分が好きなときに必要なものを享受する側に慣れてしまっていると思います。そのため、昔のような大スターは存在せず、スターの多様化、スターが身近になっているのだと思います。この小説は、プロとアマチュアの境界線がない現代において、考え方の違う2人の若者の葛藤を描いた小説だと思います。

尚吾と紘は、そもそも育ち方が全く違います。
尚吾は、都内で育ち、幼い頃から祖父とともに映画館に通いつめ、映画雑誌やサイトを読み漁ってきた、生粋の映画オタクです。そのため、サークルの人々が引くほどのこだわりと情熱があり、少し頑固です。YouTubeで映像制作する人をアマチュアだと思っており、クラシックな考えの持ち主です。自身は映画監督になるために、日本を代表する監督に指示し、有名な制作会社に就職します。
紘は、離島育ちで、高校の時に島のPR動画を作成し、島中の人に注目されたことで映像制作に興味を持ちます。尚吾とは違い、映画が好きというより、描写が好きな感じで、型にはまらず感覚派のような感じがします。そのため、比較的柔らかい考えの持ち主です。大学卒業後は島に帰り、フリーターをしますが、あることをきっかけにボクシングジムのYouTubeチャンネルの運営を始めます。

この2人は、映像に対する考え方も違うし、卒業後にやっていることも違いますが、2人の感じる違和感は似ているように感じます。
というのも、
尚吾は、名監督の映像チームで働くものの、チームの先輩が夢破れあきらめるところを目にして、そこまでたどり着くにはとても厳しいものだと実感します。また、名監督でさえも自分の好きなように映画がとれなくなるというところも目の当たりにします。現代では、昔のようにはいかないことを実感するんです。
紘は、YouTubeでボクシングジムのYouTubeチャンネルを運営していくなかで、ちょっとこだわっただけの映像が大バズりします。映像の世界を知っている紘だからこそ、技術や才能ではなく、現代のニーズに合えば有名になることに違和感を覚えます。その後、YouTuberやインフルエンサーが所属する事務所兼インターネットTVの会社に属しますが、そこでも違和感を覚えます。また、島の人々は、有名な映画祭で賞を獲った監督のことは知らないのに、流行りの料理系YouTuberのことは知っている人が多いということにも違和感を感じます。
2人は、過程やアプローチは違えど、同じような違和感を覚えるのです。

2人とも現代における映像の問題に直面します。
小説の中にわかりやすい象徴的な言葉があったので、紹介します。
「尚吾さんが選んだ場所は、時間はかかるけど確かな技術によって高品質なものを提供できる可能性が高い。でも有料ということもあり、拡散されづらい、その結果リターンも足りなくて持続可能性がいよいよヤバい」
「紘さんが選んだ場所は、無料で提供できるから一気に拡散されやすい。だけどそのぶん消費されるスピードも速い。そのペースに合わせて生産することが第一優先となり、質の担保が難しい。そして誰でも送り手になれるため秩序も整わない」
これは、1学年下の映画サークルの後輩の泉のセリフで、YouTubeなどの現代に疎い2人に、2人の現在直面している問題を客観的に説明している場面です。
2人は、真逆の環境に身を置きつつ、隣の芝生は青く見える的な気持ちだったが、抱えている違和感は同じだったということも言っています。まさにそうだと思います。
そんな泉は、映画に関するオンラインサロンを運営しています。2人の中間のような、良いとこどりのようなものと2人に説明しており、オンラインサロンの運営メンバーにならないかと持ち掛けます。
ただ、2人はその誘いを断ります。一見、良いとこどりのような気がしますが、会員の人数が増えると、そのオンラインサロンでもリターンを受けられないという人が出てくるという問題点を伝えています。
このとき、2人は、人を騙すようなことはしたくない、自分が納得したものを提供したいと思っているのかもしれません。

尚吾には、同じような考え、感覚を持った彼女がいます。彼女は、料理人です。その彼女も尚吾と同じように、超有名な料理人に師事し、料理系YouTuberをプロと認めないような人でした。しかし、その料理人がお店を離れ、別の人が総料理長になったときに、納得のいく質の料理が提供できなくても、お店を存続させないといけない、何か付加価値をつけないという状況になったことを尚吾に伝えます。彼女は尚吾より先に現実を受け止め、前に進んでいるという描写だと感じます。そこで、彼女は、騙す、騙されるの中には、今はそれに騙されていたい人もいると尚吾に伝えます。その上で、この世の中の全部の現象の質とか価値って本当はわからないんじゃないかなと発言します。質とか価値とかを判断する物差しは、人や時代によって変わるし、もしかしたらわからないものじゃないかということを彼女は先に感じ、それを尚吾に伝えています。


この小説の解説の言葉をお借りすると、この小説のテーマは、「変化する時代と、質と価値」まさにこれだと思います。
結局、尚吾と紘の考えていた、心を震わす映画、本当の映画、納得のいくもの、質とは何なのか。それって、時代によって変化するものってことかもしれませんね。
2人のプライド、ぶつかる壁、挫折、妥協、様々な思いや考えが交錯しますが、2人はその時代で生き抜いていかないといけない。2人の揺るがないところ、柔軟に変えていかないといけないところを持って、2人は頑張っていくのだろうと思います。
この小説は、現代という時代を切り取っているよう感じますが、「変化する時代と、質と価値」という揺るがないものを描いているという、解説に共感しまくりです。

これって、自分の人生にも紐づけることができるかもとか、考えながら読むことができる作品でした。


最後まで読んでいただきありがとうございました。
また次回。



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