心の元気を失っている人に、「部屋を片付ければ気持ちも整理される」と勧める矛盾。

以前からずっと思っていたことではあるのだけれど、特にうつ病になってからひどく気になっていた言葉があった。
タイトルの通りである。

うつ病に限らず、心療内科医や臨床心理士のよく言う、"心のエネルギー"を失っている人がいる。
もっと簡単な言葉にすれば、元気がない、やる気が出ない、何をするのも億劫、疲れが取れない、そんな人。

そういう人に、決まって「部屋の整理整頓」を勧める人がいる、とわたしは感じている。

理由は明らかだ。そういう人は、部屋や身の回りの整理整頓ができない状態にいることが多い。
疲れていて、でも他にやらなければならないことがあって、二の次にする。
あーいつかやろう、やらなくちゃと思いつつ、仕事、家事、学校、その他生活に直接的に関与する出来事を優先し、手付かずの状態になりやすいからだろう。

だがしかし、ここでわたしはいつも、疑問が湧く。
整理整頓を勧める人は、だいたいが「部屋を綺麗に片付ければ、気持ちもすっきりするし、心の整理にも繋がる」というような謳い文句を続けるが、果たしてそれはどうだろうか?

世の中には、様々な人がいる。
部屋が綺麗なことが、多くの人にとっては、すっきりして良い環境なのかもしれない。
全部を見渡せて、綺麗に物が並べられていて、隅々に足が行き届く。
そんな状態が、"理想"であることは、大概の人がわかっていることだ。

けれど、そもそも、"それが落ち着かない"一部の人がいる。
一歩歩かずとも、手の届くところによく使う物があって、わざわざ開け閉めしなくとも、取りたいものを手に取れる状態を好む人もいる。

そういった部屋の方が落ち着けて、所謂"綺麗な状態"が落ち着かない、という人もいることは、事実だ。
ソースは、わたし。

ただ、今回はそういうことだけを言いたいのではない。

問題は、「そもそも今現状、疲れていて、やる気が起きなくて、何をするのにも億劫だと感じる人」に対して、"掃除"という、なんとも疲れる行為を勧めることだ。

掃除が好きで、趣味が整理整頓の人もいる。
そういう人には、疲れている時でも、部屋の掃除をすることが、ストレスの発散になるのかもしれない。

けれど、そうではない人にとっては、部屋の掃除というのは、なんとも疲れる作業、億劫な作業なのではないだろうか。
だからこそ、疲れている時ほど、部屋が汚れていくのではないだろうか。

確かに、物がごちゃごちゃと散乱していて、足の踏み場もない部屋にいることは、"一般的には"良くないことなのかもしれない。

けれど、"心が疲れていて掃除ができていない"状態の人に、「心がすっきりするから掃除をしなよ」と勧めるのは、少し矛盾しているのではないだろうか。

わたしはこれを、医師と心理士、そして親から勧められた。
同じ病気になった経験のある知人に相談したところ、その知人も同じように、1度は部屋の掃除を勧められたという。

心理学的、医学的に、そういう結果が出ているのかもしれない。
ごちゃごちゃした汚い部屋にいるより、綺麗な部屋にいる方が、心の状態がよくなると。
統計的に、それはそうなのかもしれない。

けれど、それと「疲れている本人が、これからより一層疲れる"掃除"という行為をする」ことは、そんなにも簡単に結びつけて良いのだろうか。

掃除は、単に体力的に疲れるだけではない。
過去の物を手に取り、これは要るのか要らないのか、今後使うか使わないか、その物に関する思い出が蘇ったりなど、精神的にも多少なりとも負担がかかる行為だと思う。
既に疲れている人に、そんな「過去と向き合う」行為が、簡単にできるのだろうか。

物には、思い出が宿ると思っている。
既に心の整理ができている人は、過去の嫌な思い出がつまった物を手にとっても、「過去のことだ」と思えるかもしれないが、疲れていて心の整理もついていない人が、その嫌な思い出と対峙したら、どうだろうか。
手に取るだけで思い出し、その場で捨ててもしばらくは、「思い出したこと」を思い出すのではないだろうか。
また、感情的になって捨てたことを、あとになって後悔するかもしれない。

ただわたしは、整理整頓自体を反対している訳でも、掃除を毛嫌いしている訳でもない。
実際、自分から思い立って掃除をした後は、すっきりとした気分になることはわかっている。

そう、だからわたしは、そもそもが逆ではないか、と思っている。

物に対して、その物を通じた相手や思い出に対して、まだ愛着や執着などの気持ちが拭い去ることができない状態で、すっぱりと切り分け、捨て去ることは、難しいのではないか。
よもや、上記のように、せっかく今まで忘れかけていたのに、思い出して嫌な気分になることだってあるかもしれない。
それを、「今現在、心のエネルギーが減っている人」に勧めるのは、些か酷なことではないだろうか。

わたしは、"掃除"や"整理整頓"というのは、心が落ち着いて、きちんと自分と向き合える状態になった時に、自分から思い立てた時に、やる物ではないかと思う。
そういう時に、やっと"できるようになること"なのではないか、と思う。

わたしを担当してくれた心理士さんは、「認知行動療法」というものを何度も勧めてくれた。
「認知行動療法」を簡単に説明すれば、「心が変わってから動くのではなくて、動くことで、心の状態を変えましょう。感情が動いてから体が反応するのではなくて、体を動かすことで、感情も動かしていくのです」ということだ。

だが、わたしはこれはうまくいかなかった。
何故なら、「とても疲れていた」から。

これはうつ病に限らず、様々な精神疾患の治療に使われている方法だ。

だけど、正直自分にとっては、酷な治療法だった。
簡単に言えば、「心が動かないのに、行動なんかできないよ」な状態。
「ただでさえ疲れているのに、気分がすっきりするから外を歩こう、っていうの?」といった感じだ。

結局のところ、何が言いたいかというと、「心が疲れている人には、さらに疲れる行動ではなく、休息をあげてほしい」のだということだ。

先に記述したように、わたしは綺麗な部屋はあまり落ち着かないし、汚い方が落ち着くタイプだが、それでも自分で思い立って掃除をした後は、すっきりとした気分を味わうことができる。

ただそれは、「自分で思い立った」場合であり、人に勧められて嫌々やった場合でも、強制された場合でもない。
そういう場合は、なお嫌な気分と倦怠感が残るだけだ。
分かり易いわたしの身体は、これに加えて、掃除を強制されて行うと、次の日、風邪をひく。
たまたまではなく、毎度だ。

掃除をできない、片付けができない人は、心に何か問題を抱えていることが多いと、心理士さんが言っていた。
だからこそ、人は掃除を勧めるのかもしれないが、
だからこそわたしは、休息を勧めたいと思う。

部屋が散らかっているのは、よく言うように、心が散らかっている状態なのかもしれない。
でもそれと向き合うには、その為のエネルギーが必要で、それを貯める方法を、わたしは"休息"でしか補えなかった。
薬より、人と話すことより、何よりも、休息だった。

だからこそ自分は、疲れて掃除ができていない人を見つけたら、「少し、心をお休みさせるのはどうですか、」と話したい。
掃除まではなかなか、思い腰が上がらなくとも、心を休ませることは、掃除よりは簡単に、着手しやすい課題かもしれないからだ。

掃除なんて、嫌でも年末になれば、"大掃除"と銘打って、半強制的にやらされる期間がある。

それよりも、本来は大事とされているのにも関わらず、世間的に重きを置かれていない"心の休息"に、時間を使って見るのはどうだろうか。


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