うつ病になってから、まるで「就職活動」状態な話。

まず初めに記載しておくと、わたしがなった「うつ状態」は、思っていた「うつ状態」と違っていた。

「うつ病」と言って想像されるのは、「自分には何の価値もない」「死にたい」など、何に関しても悲観的になって、暗くなって動けなくなって、ベッドに寝たきりの状態になり、最悪の場合、”死”を選択してしまうイメージであったが、わたしの場合は、それには当てはまらなかった。
だからわたしは、自分がまさか「うつ」だとは思わなかった。

わたしの場合、まず身体症状が出始めた。
頭が痛い、吐き気が酷い、くらくらする、耳鳴りがする、胸に穴でも開いたんじゃないかと思う程痛くて、息をするのも苦しい。
これはおかしいと思って、内科を2箇所、受診してみたが、ともに精密検査を受けても「異常なし」。

それからしばらくして、今度は電車内でパニックに陥る。
満員電車はいつものこと。それなのに、過呼吸になり、冷や汗をかき、息ができないと思い込み、電車のドアが閉まると、自分がこのまま呼吸困難で死んでしまうのではないか、と思いこむ。
(※これは併発していた「パニック障害」による症状であり、直接的なうつ病の症状ではない。)
それが続くようになり、精神状態が悪くなる。

身体症状も続いていたので、「やはり自分はどこかおかしいのではないか」と思いつつ、「パニック障害」という存在を知らなかったので、自分がただおかしくなっただけだと自分に言い聞かせる。
どうしようもなく辛かったけれど、生きていく為には仕事を休む訳にもいかず、毎日苦痛を伴いながらの出勤、退勤を繰り返す。
(今思えば、この時休まなかったことも、状態を悪化させた原因かもしれない。)

そこから、ある日突然、一気に状態が悪くなる。
仕事中、急に涙がこぼれ出す。通常時、人前では一切泣かない性格だったので、自分自身でそのことに激しく戸惑う。
急いでトイレに駆け込み、しばらく収まるまで待つ。が、収まって廊下に出ると、またたちまち涙の嵐。
廊下ですれ違った人に確か声をかけられたり、やたら見られたりした気がする。今となっては、あまり覚えていない。

不思議だったのは、この時、「うつ病」と聞いて自分が今までに想像していたような、急激な不安感などはなし。
気持ちが暗くなり、落ち込んで泣いた訳ではなく、通常通りの業務を行っていて、気付いたらぽたぽたと、頬から水が垂れてきたようなイメージ。
自分で自分が怖くなるが、これも「きっと疲れているんだ」と言い聞かせ、いつも通り残業。
またもパニック発作による苦痛に耐えながら、電車での帰宅を終える。

仕事中に急に涙腺が崩壊することを何度か繰り返しつつ、同僚にばれないようにやり過ごしていると、今度は突然、今やっていた目の前にある仕事内容がさっぱりわからなくなる。
勝手に誰かに、「データ消去」ボタンを押された感覚。
仕事用に自分でつけていたメモの内容さえも理解できず、戸惑いを隠せない。

そこから、何度ファイルに目を通しても、文章を読み返しても、毎日少しずつ、でも確実に、どんどん理解ができなくなっていく状態が続く。
1日目、2日目までは、「今日だけだ、きっと疲れてるから。今だけだ、」と自分に言い聞かせていたのが、どんなに土日ゆっくり休んでも毎日健忘が続くようになり、いよいよ自分は「健忘症になった」と、ここで初めて強い不安感に襲われる。

健忘の頻度が、1日毎に増えていき、わからなくなる度合いもどんどん酷くなる。
ここら辺で、ついに「得体の知れない涙」ではなく、「健忘による不安感からの涙」に変わり、健忘の症状も酷く、仕事に明らかな支障が生じてくる。

健忘だけではなく、思考力、読解力までもが低下していくのが怖くてたまらなくなる。
ここで、いつか”他人事”として見たTV番組の内容を思い出し、「自分はやっぱり健忘症だ」と強く思う。
いよいよ仕事がまったくできなくなり、上司からの勧めもあって、心療内科を受診。
あくまで、自分としては「健忘症」としての受診。

で、診断名は、「うつ病」。
(パニック障害併発の診断も、この時点で受けた。)

医師に何度も、「自分は死にたくもならない。自分に価値がないとも思わない。」と抗議。診断結果が誤っていると感じ、異なる心療内科を複数受診。

そのすべてで、「健忘症ではなく、うつ病」との診断を受ける。

わたしがこの診断結果に納得がいかず、受け入れられなかったのは、何も「死んでしまいたい」と思わないから、というだけの理由ではなかった。

勤めている会社に、何の不満もなかったから。
今の環境に、何の不自由も感じていなかったから。
むしろ、人生で初めてともいえる程の、「充実」を感じていた。
その、真っ只中だったからだ。

恋愛対象として好きな人はいなかったけれど、好きな会社で、好きな仕事ができていた。
社内に親友と呼べるほどの人はいなかったけれど、人間関係も、良好だった。
収入の面でも、何不自由もしたことはなかった。今以上を求めることもなかった。

なのにわたしは、うつ病になった。

そこから、医師、上司ともに強く「休職」を勧めてきて、何度も拒否をしたけれど、(だって理由が会社とはどうしても思えなかったから)それでも日々、仕事ができなくなっていき、自分でも限界を感じて、会社に迷惑をかけているからと、「休職」を申し出る。

それでも、会社が配慮して「病気による休養」も、「休職」という旨も公にしなかった為、部下や同僚から、また先輩からも、自分が担当していた仕事に関連することを、休んでいる間もメール等で聞かれたり、説明を受けたり。
純粋な、「先輩、いつ戻ってきますか?あれ、先輩がいないとできなくて、わからないんですけど…」という内容のメールにも、後輩に悪意がないのは百も承知でも、傷ついた。

一番、戻りたかったのは自分だ。何よりも、誰よりも。
仕事がしたくて仕方なくて、毎日、家の時計を見ては、「出社時間だ」「休憩時間だ」「定時だ」などと思っては、平日に会社にいない自分を責めたりした。

そこから数か月間、通院しながら、投薬による治療を続けたが、薬がなかなか合わずに復帰することができず、「会社に所属していながらも出社しない状態」に罪悪感を強く感じ続け、医師から「それではいつまで経っても心の休養にならない」と言われ、長く悩んだ末、退職。

そこからもしばらくは薬の副作用に悩み、医師との相性に悩み転院などを繰り返し、やっと合う医師、合う薬に出会える。
症状がだいぶ良くなり、カウンセリングを受けることになる。

実はここからが、本題である。前置きが長すぎたが。

実はわたし自身は、カウンセリングを希望していなかった。
むしろ、初期段階からカウンセリングを勧められていたが、拒否してきた。
前述の通り、今の環境にも不満はなく、仕事のせいではない、いわゆる「突然の発症」であると思っていた為だ。
だから、カウンセリングで話すことなんかないし、カウンセリングは悩みがある人が話して、アドバイスをもらうものだと思っていた。
(これはよくある勘違いだそうだ。わたしも実際に行ってみて、自覚した。)

わたしの場合の一番の問題は、「自分の問題を自覚できていなかったこと」。
その為に、医師はカウンセリングを勧めていたらしい。のちに知った。
要はカウンセリングというものは、「自覚できていない問題を共に見つけていく」作業であった。(あくまで、わたしの場合。)

話は飛ぶが、学生時代の就職活動時。
エントリーシートに記入する、長所・短所・自己アピール文などに手こずった人は多いのではないだろうか。
自分と向き合い、”人に言うのが”恥ずかしい自分の短所、”自分から言うのが”恥ずかしい自分の長所を見つけ、自己をアピールしなくてはならない。

「自分はこういう人間で、こういう部分があって、それの改善の為、こう努めている。」
これを今、病気を通じて、わたしは行っている。
病気から、卒業する為の活動だ。

うつ病というのは、再発率が高いとされる。
それは、勿論諸説あるが、薬に頼り治ったと思い、根本の原因に目を向けることなく、元の環境に自分を戻してしまうせいもあるのではないかと、わたしは思う。

わたしの場合、根本は、会社ではなく、もっと別のところにあった。
でも、症状が出たのが社内で、仕事中が多かった為に、「会社が原因?そんなハズがない。だからうつではないはずだ。」と、自問自答を繰り返していた。
要は、思い込みだ。
症状が会社で出ているからと言って、会社自体が問題である根拠は、ないのに。

自分と向き合うのは、就職活動で苦戦した人、恥ずかしい思いをしたり、嫌な思いをしたり、大変だと感じた人はわかるかもしれないが、できれば「あまりしたくないこと」だ。
安定した未来の為に、自分の今と、さらには自分の過去とも向き合わなくてはならない。
嫌な思い出も、恥ずかしい思い出も、たくさんある。

きっと誰にだって、「黒歴史」なるものはあるのではないだろうか。
わたしはそれと、向き合わなくてはならない状況下にいる。
それは何より、過去を無視して、なかったことにして、見て見ぬふりをしてきた自分による代償だ。

わたしは、本来ネガティブだ。でも、大丈夫なんとかなる、自分は楽観的に考えられると、言い聞かせてきた。
人一倍、誰かに甘えて頼りたいくせして、自分は大人だから自立している、甘えなくても生きていけると、強がってきた。
寂しがり屋なのに、一人でも平気だと、見栄を張ってきた。

そうやって無理をして”自分”を作ってきた結果、本来の自分との差に無理が生じ、溜り溜って、「うつ病」を発症した。
再発防止の為には、その”無理”と、向き合わなくてはいけない、そしてそういう「認めたくない自分」を認められるようにならなくてはならないと、そう言われた。

嫌で、嫌で。途中何度も放棄した。
カウンセリングを突然キャンセルして、次回予約を勧められても、放置した。
理由をつけては、自省を勧めてくる医師に、転院を申し出た。

わたしは、プライドが高い。
ここでいうプライドというのは、一般的なプライドとは、少し違うかもしれない。
自分に対して、のプライドだ。

弱い自分を認めたくない、みじめな自分なんかいなければいい、成功している自分だけは認めるけれど、それ以外の自分は見えないことにしたい。
だからこそ、仕事などがうまくいっている時ほど、本来の自分を無視してきた。

疲れた、休みたい、帰りたい。同僚が、嘘をついて休みをとっては旅行していたように、1度くらい、自分だってさぼって遊んでみたい。
あの人は、嫌な事をしてきた訳ではないけれど、生理的に好きになれない。
今日、挨拶を返してもらえなかった。嫌な気持ちになった。
先輩に飲みに誘われた。本当は仕事で疲れてるし、行きたくない。
先輩たちとの飲みの席なんか、先輩を良い気持ちにするだけで、後輩にとっては苦痛だ。

そういうマイナスな言葉は、気持ちは、全部、蓋をして生きてきた。
悪口も、マイナスな言葉も発しない自分でいたかった。
プラス思考な自分、で在りたかった。
でも本来は違うから、無理が生じたのは、至極当然の事だった。

今は、就職活動を行っているような状態だと思っている。
まだ完全に、エントリーシートを埋めることはできていない。
でも、未着手でもない。
毎日、少しずつだが、着々と、空欄は埋まっていっている。

これが全部埋まる頃、自分は今までの自分とは、変わっているだろうと思う。
悪い言葉だって、口に出すかもしれない。
怪訝な表情を浮かべることも、あるかもしれない。
少なくとも、今までの「いい子ちゃん」なわたしでは、ない。

でも、良くも悪くも、それが本来の、わたしだ。
わたしはもっと早く、自分と向き合うべきだった。
だけど病気が、それを教えてくれたようにも、感じている。

「うつ病」は、少しずつ病名としては浸透してきているものの、まだまだ偏見が多い病気だ。
これからは、その偏見とだって、向き合っていかなくてはいけないだろう。

でも、嫌な顔をされたら、わたしだって、していいんじゃないか。
「うつなんて、調子のいい。ただの甘えだろ」なんて言われたら、今までみたいに、愛想笑いしたり、謝るんじゃなくて、「違います、れっきとした病気です。医学で、認められています。あなたは癌になった人に、癌になったなんて、お前の甘えだろって、言うんですか。」って、言い返しても、いいんじゃないだろうか。

だってそれが、わたしの思考で、わたしの病気だ。
理解を強要はしないけれど、攻撃を受けたら盾を構えるくらい、したっていいのではないだろうか。

こう考えられるようになっただけでも、自分にとっては、本当に進歩だと思う。
昔だったら言い返すなんて、思いつきもしなかったから。
「甘えって言われた、怖い。甘えなのかな、きっと自分がいけないんだ。」
そう思っていたと思う。でも、本当の自分は、もっと思っていることがある。

SNSが流行っている。もうそんなこと、随分と前からの話だけれど、
今までは、あまり流行に乗るのは好きではなかった。
だけど、SNSのいいところは、普段思っていても言えないことを、言葉にして表現できるところだ。
それが悪いところでもあるけれど、わたしはやっと、この波に乗ろうと思う。

まずはこうして、誰に届くかもわからないけれど、自分の思いを吐き出すところから。
そして、いつか、自分だけでなく、見知らぬ相手とも、向き合うところから。

ネット上での、意味のない傷つけあいは嫌いだけど、向き合って、意見を交換し合うのは、大事なことだ、と思う。

わたしはうつ病を通して、それによる「就職活動」を通じて、様々なことを学べるようになった。
これから、どれだけ長く続くかわからないけれど、自分の為、将来の為に、今、甘んずることなく、きちんと自分と、向き合っていきたい。

だからこそ、うつ病、ありがとう。


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