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愛の不時着について#2再確認と安心

 ドラマ「愛の不時着」を見て口を突いて出たのは「懐かしい」というひとことだった。

 ぼくがふだん北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国を描いた映像を見る時に何を見ているかと言うと正直ストーリーは追っていない。背景や小道具、脇を固める人物を見ている。

 例えば北朝鮮の家庭には必ずある金日成主席と金正日総書記の肖像画。時に韓国映画では金正日総書記死去以前のものが飾られていたりするが、「愛の不時着」ではしっかり同時代のものになっていた。北朝鮮で見たものが出て来るとスイッチが入る。

 ニュース映像も同じだ。例えば核実験成功に喜ぶ市民のインタビュー映像を見る際はそのことばよりも、その市民が会ったことある人物ではないか、また背景にあちらで会った案内員や接待員が映り込んでいないかを見る。

 「愛の不時着」で印象的だったのは、主人公ふたりの周りを固める特に北朝鮮側の登場人物たちで、ぼくは確かに彼らと同じような人たちを北朝鮮で見た、あるいは会ったのだ。北朝鮮の市民はもう少し肌が黒い人が多いのだがその点は目を瞑ろう。

 その多くは車の窓越しに会った人たち。ぼくがnoteで語ったことばを使うなら、神輿の上から見た人たち。彼らのことが実に生き生きと描かれていた。

 決して美化でも蔑みでもなく、等身大に近い姿を描くことへの努力がされていた。大佐の妻を頂点とする村の口さがない主婦たちのグループは実に生き生きとしていた。リ・ジョンヒョクをイケメンともてはやすさま。ユンセリを交えてとことん飲む缶ビール。人民班長がある家を抜き打ちで検査すると妻が出張中に別の女性を連れ込んだ男性が糾弾される。抜き打ち検査かよ!と若干引きながらも、やることやってるなぁということにどこか安心する。一方で一時零落した大佐の妻を守るべく一致団結した姿に「女性を怒らせたらあかんわな」と、また安心するのだ。

 リ・ジョンヒョクの部下たちもいい。鬼をもひしぐ朝鮮人民軍という、無慈悲ないわゆるイメージ通りの姿ではなく、韓流ドラマ好きであったり、ボディーソープの香りに魅了されたり、ネットゲームにはまったりもする。

 等身大の同世代の若者らしい緩さが漂っていて実にコミカルなのだ。

 北朝鮮当局を大きく刺激したのは間違いなくこの部分だろう。北朝鮮にもある緩さ。政府、政権への叛乱を企図するほどのものではなく、ちょっとお上に逆らってみる程度の小さな綻びのような言動。その綻びさえもないこととしたいところだが、この程度の綻びはどの国にもあってぼくの心の中にだってある。それは例えばスピード違反で捕まった時。警官に「もっと他に捕まえる奴いるだろ?」と悔しさの余り毒吐く。そんな程度のものだ。「愛の不時着」のあちこちにぼくの周りのここそこにある共通項を再確認してぼくは、大いに安心したのだ。

 同時にぼくは探したのだ。「愛の不時着」の中に北朝鮮で見た風景や出会った人たちの姿を。もちろん韓国のドラマだから北朝鮮の人が出演するわけはないが、似たような人たちを見つけ出しまた安心したのだ。その想いの結果が「懐かしい」ということばを吐かせたのだ。

 移動中のバスから見た、あるいは見学先で遠目に見た北朝鮮の人たち。興味深げにこちらを見るも、決して近寄って来なかった人たち。その人たちが果たしてどういう生活をしているか。何を思い普段生きているか。知りたいことは実はそういうことだったりする。正直、北朝鮮の権力構造や今後の行く末よりも、あちらで出会った人たちの安寧と行く末の方がぼくは興味がある。

 その意味で「愛の不時着」は実に面白いドラマだった。多くの人にとって新鮮な、一方で平凡で北朝鮮の人たちと大きな違いがないことを再確認し安心するドラマだった。そういえば反共教育をしっかりされた世代の韓国人の方からこんなことを聞いた。
「北朝鮮には角が生えた人が住んでいると本気で信じていました」と。

■ 北のHow to その23
 韓国で作られる”北朝鮮もの”の映画やドラマにはどうしても偏りが生まれる。両方に行って俯瞰で見るとその歪みを感じることが出来る。同じ民族だけれど休戦中の相手を描く難しさを感じることが出来る。

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