見出し画像

北朝鮮にツケ残して帰国したらえらいことになった 北の国の忘れ得ぬ人々 #2

 北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国本国でも、朝鮮総聯でもそうなのだが、偉い男性ほど不思議と声が低くてドスが効いているのである。顔もコワモテの人が多い。居並ぶ幹部を見ていると映画「仁義なき戦い」を思い出す。あ、でもみなさん優しい人です。このギャップがいいのです。

 さて。平壌で一番のバーテンダー、チェ・ユンジュさんにツケを残して帰国して数か月後、携帯電話が鳴った。京都の市外局番で始まる見知らぬ番号。詐欺か?と疑いながら出ると、朝鮮総聯の職員の方で、ぼくの6ドル、ユンジュさんへのツケは朝鮮総聯の幹部が支払ってきたので安心してくださいとの報告だった。

 おかしな電話をきっかけに関係者に取材を進めると驚くべきことがわかった。帰国後、朝鮮総聯の機関紙「朝鮮新報」で、ぼくがユンジュさんにツケを残して帰ってきた記事を読んだ、在日コリアンの複数の読者がその後訪朝し、ユンジュさんに「日本人がツケ残して帰ったんだって?そのツケ、オレが払うよ」と言ってくれたという。ユンジュさんはその度に「あの日本の先生にちゃんと頂きますから」と健気に返してくれていたという。

 ぼくは頭を抱えた。おいおい在日コリアンの読者のみなさん。何してくれてるの…。

 それを耳にした朝鮮総聯の幹部が、訪朝した際にポケットマネーから6ドル払って一件落着としてくれたのである。

 後日、その幹部からも電話がかかってきた。「平壌ホテルのツケの件は心配しなくて結構。私がちゃんと払っておいたから」。

 ぼくはビビった。電話越しの声が実にドスが効いていたからである。これ、絶対ヤバい話になってる。

「日本人訪朝者が平壌のバーで踏み倒し。朝鮮総聯幹部が支払い」。新聞の見出し風にするとなかなかまずい。これが産経新聞ならもっとまずい。約1年後にこの幹部にお目にかかる機会があった。クレームとお詫びにはとらやの羊羹。これ大人の鉄板。かき集めた6ドルと共に最敬礼で渡すと大笑いされた。

「いやー、あなたはすごいことをやったよ」とは別の在日コリアンの方。「オレたち在日も訪朝するとバーに行くの。で、日本に帰る朝よ。なじみの女性接待員がオレの顔を見て笑顔で『先生様~』って手を振ってるの。嬉しいじゃないの。なに?オレのことそこまで思ってくれてたの?と思ったら『先生様、◯ドル支払ってください』ってんだもん。絶対朝鮮の接待員からは逃げられないから。逃がさないから」。別の70代の男性も静かに笑っていった。「あの国がね、借金そのままにして帰すなんてまずあり得ませんからね」。じわりと背中を嫌な汗が流れた。

 でも待てよ。”あの”北朝鮮に借金残して帰って来た男。字面にするとむしろカッコよ過ぎないか。男の勲章ではないか。

 そう得意になっていたら母にため息を吐かれた。何でも父と結婚した時に初めてしたことが父がため込んだ飲み屋のツケを返すことだったという。ああDNA。脈々と流れる血は争えない。

 ちなみに朝鮮総聯幹部に返した6ドルの出所は妻。海外出張に行った妻に事情を話し余ったドルを貰ったのだ。「下戸のくせにバーに行くだけじゃなくてツケまで残してくるって、北朝鮮と北朝鮮の人にどれだけ迷惑かけてるの!」と怒られた。妻から金をもらって、国交のない国の女性バーテンダーにツケを払う流れはまさにダメ男。こうなればもうダメ男を地で行くしかないな。妻には一生頭が上がらない。これを機に色々なことをぼくは捨て、また諦めることにした。

 この記事は幸い強烈な印象を残したようで、その後も朝鮮総聯の機関紙、朝鮮新報で連載の機会を頂き、現在も記事を書かせてもらっている。日本人がなかなか書けない媒体である。そしてありがたいことに今も取材先では在日コリアンの読者の方によく声をかけられる。

「あ!平壌ホテルの」「あ!ユンジュさんの!」「あ!我が国にツケ残して帰ってきた」北岡さんですね、と。

 わかるだろうかこの恐怖。突然知らない相手から声をかけられるのである。何かに似てるよね。何だろう。そうだ。指名手配犯だよ。みなさん笑顔で親し気に声をかけてくれるから嬉しいけれど、結構ぼくはビビりな人なのでせっかくの読者の人との会話もぎこちない。

 おかげで取材はスムーズに進むのだが、何かが間違っている気がする。それにしてもなぜここまで話題になるのか。たかが6ドルのツケ(しかも清算済み)のためにここまでぼくはびくびくして生きねばならぬのか。

 ぼくはとんでもない女性と出会っていたことに気付く。そんなユンジュさんの魅力の理由は次回。

■ 北のHow to その35
 ホテルでの飲食や日本への電話などの経費は基本、帰国の朝にカウンターで支払うことになります。払いそびれることは基本ありません。払いそびれて帰ると間違いなく接待員の自腹となるはず。ツケは残さず、立つ鳥跡を濁さず帰国しましょう。おまえが言うな!と言われると思いますが。

#エッセイ #カクテル #北朝鮮 #平壌 #北のHowto
#バー #ツケ #コラム #北の国の忘れ得ぬ人々 #旅行 #編集者さんとつながりたい #バーテンダー #借金 #美女 #朝鮮総聯 #とらや #指名手配 #ダメ男 #男の勲章 #妻

  

サポートいただけたら、また現地に行って面白い小ネタを拾ってこようと思います。よろしくお願いいたします。