見出し画像

『ドラえもん』の空き地の中に"土管”が置かれている理由(#40)

御存知『ドラえもん』は1969年に雑誌連載が開始し、今尚、TV放映されている世界的アニメのひとつです。
同時にその中で映し出された世界は時間の経過とともに現在の日常から徐々に遠ざかっています。
しかし時間の経過がない世界、それがドラえもんの世界観としてまた世間に認知され、受け入れられています。
その一つが裏山の存在であったり、空き地の存在であります。
おそらく連載前後は日本中でまだそのような風景がどこにでも存在したともいえます。
のび太たちがいつも集まる空き地には土管があります。
ジャイアンはその土管の上でよくリサイタルを行い、大勢を震え上がらせていました。
のび太は寝床として家出の際、よく利用します。

この光景をみて少年少女時代、土管の中で寝てみたいと思った方々もいたのではないでしょうか。

しかしそもそもどうして空き地に土管があったのでしょうか。

『ドラえもん』の中ではまるで公園にブランコがあるように当たり前な光景となっていますが、よくよく考えれば不思議です。

実はこの土管、下水道に使う土管、つまり下水管の材料だったのです。

日本の下水道を使った水洗トイレ普及率は約80%

そもそも下水道とは何でしょうか。
下水道とは雨水や汚水(生活用水や屎尿、産業排水など)を地下で終末処理場(下水処理場)まで運んでいく設備です。
終末処理場で浄化した後、川や海に流されます。
目的は水害防止公衆衛生改善水質環境保全です。

ちなみに、現在日本における水洗トイレ普及率はどのくらいか御存知でしょうか?
答えは91.7%で、その内10%が浄化槽を用いたもので、下水道を使ったトイレは約80%になります。
この数字は世界的に高水準ですが(たとえばイギリスは90%以上)、先進国では低水準です。
また地域格差が激しいという課題が残されています。
現時点で48万キロメートルもの下水道が日本の地下に張り巡らされており、そのうち4万3千キロメートルほどがチェックポイントで、こうした設備の老朽化に加え、後継者不足等問題も様々です。

のび太たちが過ごした時代とはまさに“インフラ整備の過渡期”だったのです。

考えてみれば、戦後日本の高度経済成長の陰には産業公害(水俣病、イタイイタイ病等)のような様々な排水問題がありました。
それは企業だけではなく、個人単位でも同じだったのでしょう。
収入源となる都市部への人口流入に伴い、策を講じなければ公害はより顕著になるのは必然だったのです。
トイレはその個人の部分の最たる例で、今でこそ当たり前のように用を足していますが、それどころかまさに「臭いものには蓋」といわんばかり関心すら注がれていないかもしれません。
ですがこの「臭いものには蓋」という言葉ですら、トイレに纏わるものかもしれません。
かつての汲取り式トイレは和式に蓋があったそうです。
和式トイレにある「落ちてはいけない」というなんとも筆舌し難い恐怖と絶望感は汲取り式の場合、それ以上におぞましく、悲壮感が漂っていそうです。
しかし当然ですが、“蓋をしただけ”では何も解決しません。
ですが、縁の下で誰かが改善を図り、今に至っている――その歴史を知る上で『うんちの行方』は様々な謎を紐解いてくれます。

この『うんちの行方』の中では様々なトイレの“先”を時代を遡りつつ、追い掛けていきます。

黄害とは何か

ところで皆さん、「黄害」という言葉を御存知でしょうか?

実は私も本書を読むまで知りませんでした。

黄害とは電車内のトイレでした汚物が近隣へ被害を及ぼすもので、要するに悪臭や汚物そのものが周囲に飛び散り被害を及ぼすというものです。
その背景には走行中にすれば霧散するという発想があったのか、「停車中は(トイレを)しないでください」と注意書きがあったそうです。
改善のきっかけは近隣住民の抗議と労働環境の観点からでした。
近隣住民の抗議は然ることながら、線路や電車はメンテナンスしなければなりません。
今考えると恐ろしい時代だったな、とゾっとしてしまいます。

尚、電車のトイレは現在真空式を採用しております。

そこに至るまで以下のように進化していきました。

開放式
(いわゆる“垂れ流し”)

粉砕式
(殺菌・脱臭効果のある薬剤を混ぜ、
扇風機のように回転する羽根で砕き、吹き飛ばす)

貯留式
(専用タンクに薬剤を混ぜて貯め込む。
車両基地でタンクを交換。ただし、交換に時間を要す)

循環式
(青い薬品を便器に設置し洗浄。ただ、トイレの汚れとつまりの原因に)

真空式
(タンクを真空状態にし、水洗された屎尿を一気に吸い取る。
車両基地で屎尿を抜き取られ、終末処理場へ運ばれ、処理される。
1997年から採用)

富士山のトイレが増設できないわけ

富士山もかつては“無法地帯”でした。
富士山には元々川もなければ、車もある標高までしか入れません。
だからこれまで初期の電車同様「垂れ流し」でした。
変化のきっかけは世界遺産登録への機運の高まりです。
また市民の行政への働き掛けもあり清掃活動とトイレの改善も図り、2013年ユネスコの世界遺産に登録されるに至りました。

ではトイレはどのように改善されたのでしょうか。

富士山では「バイオトイレ」という微生物を介して屎尿を分解させるトイレや山頂の浅間大社などの灯油で燃やす「燃焼式トイレ」が採用されました。
ただ富士山のトイレにある一番の課題は維持費です。
バイオトイレはトイレットペーパーを分解しません。
また分解する材料として使われるオガクズやカキガラなどの材料費なども発生します。
その材料や燃料を運ぶのもメンテナンスも時間や人手が必要です。
つまり増設も難しく、かつ建設したらまた維持費用が相当嵩みます
反面、世界遺産登録の影響もあり、登山客は増加しています。
登山客というより観光客という感覚で来るため、「備え(トイレ持参等)」に対する意識も低いようです。
需要があるのに簡単にサービスを拡充できないという難しい問題を抱えているのが分かります。

“おわい船”とは

うんこの60%は水分で、その水分は終末処理場(下水処理場)で浄化され、川や海に戻します。
では残った40%はどこへ行くのでしょうか。
トイレットペーパーなどと分別され、一般的にはすべて焼却処分されます。
ただ温室効果ガス排出抑制のため、近年ではバイオマス発電燃料や肥料として再利用を促しているようです。
では下水道普及が十全でない時代の人口過多な東京のような都会では、家庭で排出された汚物はどのように処理されていたのでしょうか。

ここで出てくるのが「おわい船」と呼ばれる屎尿処理船です。
おわいとは漢字で「汚穢」と書きます。
文字通り、汚なく穢れた船ということです。
美味の裏返しが穢れであり、穢れは本能でもあるという、表現って面白いですね。

さて、この船、何をするかというとバキュームカーで汲み取られたものを船積みし、海洋投棄するのです。
航行しながら垂れ流す、かつての電車のそれと全く同じ発想ですね。
2003年に海洋投棄が全面禁止になります。
つまりゴミ同様、汚物も不法投棄の対象だったのです。

1970年に海洋汚染防止法が公布されたのは公衆衛生の観点からでした。
食物連鎖で屎尿で汚染した海産物を食べたことで赤痢患者が増加したといわれています。
それでもこの法律ではまだ遠洋での投棄が認められていました。
また船のサイズなどで規制対象にならないなどもあり、問題視されるまで屋形船ではなんと海洋投棄が許容されていました。
それが明るみになったのは2010年、たった10年前の話です。
ちなみに現在、屋形船は基本汲み取り、終末処理場へ移行する方式に変わったそうです。
おそらく禁止になったから投棄しなくなったわけでなく、社会的意識の高まりなどもあり、また投棄が割に合わなくなったという側面が大きいのかもしれません。

まとめ

日本のトイレは最先端だといわれています。
その代表でもある温水洗浄便座、いわゆる“ウォシュレット(この名称は正しくはTOTOの商標)”は元々痔の患者向けにアメリカで開発されたものです。
そんな起源を上回るクオリティとなり、今に至っております。
水洗の面でも少量の水で清潔さを保てるなど質の向上は目を見張るものがあります。
かつて1920年代、水洗トイレに必要だった水量は20リットルだったといわれております。
それが今や3.8リットルで済むのです。
広く「トイレ」と括ると日本は“入口で接点部分”で最先端にいます。
しかしながら、出口部分では課題も多く、その裏では現在トイレ環境を快適に過ごせているのは、縁の下の存在や弛まぬ努力の賜物であることに気づかされます。
公害の根本は「放置すれば自然になくなる」という発想があったのかもしれませんが、その否定と改善の歴史であり、そして実は発展途上でもあります。
排泄という生活と切り離せない部分はそれゆえ生活の質を向上させるヒントとなり、先例となり得るのです。
本書はその他、日本におけるトイレの歴史や災害時のトイレなど様々な角度から知ることが出来ます。

汚いものを見つめることで、真の綺麗なものを見つめたい、そう思う次第であります。

<紹介書籍>
うんちの行方(新潮新書)/神舘和典・西川清史


この記事が参加している募集

読書感想文

頂いたものは知識として還元したいので、アマゾンで書籍購入に費やすつもりです。😄