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「共産党はカネの話をせい」

§こんなことを言っているひとがいた。
<共産党や社民党が街頭演説で「憲法を守れ」などと言っているが、道を通るひとの多くは、キリスト教の宣伝トラックが「聖書の言葉です」などと言っているのと同じようにスルーしているだけだ。こう言ってやりたくなる「金の話をしなさい金の!」>

 おっしゃる通りだ。世の中万事カネが大事なんだから・・・
 いや、そう言ってしまうと話が単純すぎる。
 上の発言をしたひとの脳裏には、日本の75年余りの戦後史が思い浮かんでいたにちがいないのだ。
 いかにこの国が、カネだけで動いてきたか。ほんとうは、カネの話だけでなく、戦争をやっていいのか、とか、憲法で保障されてる人権を大事にしようよとか言いたい。しかし、そういう話ができないように、戦後の歴史は作られてきた。上記の発言は、そういう悔しさを逆説的に吐き出しているのだと思えてならない。それなら、ぼくもいたく同感だ。

§ たとえば、戦争反対の運動を起こすなら、ただのデモ行進だけではだめだ(今の日本では、そのデモでさえ、一部のひとがする変なこと、暴力のようなもの、と思われているフシがある。ひょっとしてあなたがそう思っているならお尋ねしたい。中国でゼロコロナに対しておおぜいのひとがデモを行って習近平独裁政権に政策を撤回させたのは、ありゃ暴力ですか?)。
 民衆(労働者)が抵抗権を持っていなければならない。抵抗権のなかで一番大事なのは、スト権である。
 ところが、日本の支配階級は、戦後数年もしないうちに、労働者の抵抗権を奪う法律を得てしまった。朝鮮戦争が近づく1948年にマッカーサー書簡にもとづく政令201号によって行われた国家公務員法と、戦争が始まった1950年に行われた地方公務員法の「改正」である。これで、日本の公務員はスト権を奪われた。(大河内一男『日本労働組合物語 戦後I』 第三章五五節および六六節)

 よそのどこの国に(少なくともOECD加盟国の中に)、こんなヒドい法律をもつ国があるか、よく考えてほしい。
 
 そんな法改正が行われたのは、きっと、当時ゼネストがさかんだった日本で共産主義革命が起こるのを防ぐという「大義名分」もあってのことにちがいなく、日本の支配層はそれを大歓迎したはずだ。
 労働者が全国でゼネストを起こし、そこにソ連がこっそりと介入すると、日本は赤化してしまう。そうなりゃ国体(実体は天皇にほかならないが、それに付随する財界政界官界旧軍部のヤカラがいる)はお終いだ。そういう危機感に駆られた支配層が、朝鮮戦争を控えてマッカーサーのよこした書簡を歓迎し、政令201号なるものを政府に出させて法を改変したのだろう。

 だとすると、日本がソ連か北朝鮮みたいになるのを防ぐことができたんだから、いいじゃないかと言うひとがいるだろう。
 ぼくはマルクス主義、共産主義、アナーキズムに親近性を持ってきたが、一定の距離は置いている。資本主義の終末を見据えようとし、民主主義が資本主義に抵抗する拠り所として国家は今後も必要だろうと思っている。共産主義とアナーキズムは、国家は悪であり、廃絶すべきものと考えるから、国家のある共産主義だのアナーキズムなどというものはあり得ない。共産主義国というのは形容矛盾である。(国家は、よその土地とその産物と女を奪おうという悪から生まれたから、素姓は悪だが、それに抗するためにやむを得ず結成された国家もあろうから、国家が全部悪ではないのではないか。ワルいのは大国だ、とぼくは思う)。だから言うが、公務員法改正で赤化が防げたのは、それはそれでいいとしよう。少なくとも、やむを得なかった、と言っておくとしよう。
 ただし、ものには限度とか有効期限とかいうものがあるではないか。状況しだいで、ものの善し悪しが変わるのは世の常ではあるまいか。
 公務員をいまなお縛り上げておくような、今の時代か、国際情勢か・・赤化の後ろ盾であるソ連が崩壊し、中国も国家資本主義でしかなくなったいまこそ、いい加減に公務員のスト権剥奪を見直すべきだ。

 このスト権剥奪が生み出した結果を見るがいい。

 公務員の参加できない民間企業だけのゼネストなどは、体制側にとって痛くも痒くもない。その民間労組は、世界でも珍しいのではないかと思うが、労使協調路線というものを打ち出した。70年代のオイルショックのとき、経営者側が、賃上げはコストプッシュインフレを起こすから自粛せい、と迫ると、日本の労組はまったく無抵抗にそれを呑んだりした。いま、経営者の手先としか言いようのない芳野友子などが連合の会長になっているのを見ても、日本の労組というのは、一体誰のためにあるのだと思うが、その大きな原因のひとつは、公務員のスト権を奪ったことにあるはずだ。
 ついでに、と言ってはなんだが、付け加えると、ドイツなどの企業には経営委員会という機関が常設されているが、それには会社重役と組合幹部が同等の資格で参加するのだ。日本は、会社に忠義な労組幹部を重役に取り立てるという、階級的裏切りの制度化がある。

 いま、日本の勤労者の40%余りを占めるにいたった非正規雇用を支えるもののひとつ、それもとても重要なひとつは、一般の国民が労働法を知らず、自分の身を資本のいいようにされても守る発想が乏しいことだ。電通の高橋まつりさんの自殺などはその典型として見なければならない。なぜそんなことになるかといえば、本来は中学で教わるべき近現代史と、憲法と労働法を知らないからだ。学校の教員(公立なら公務員だ!)は、そんなものを教えたくても教えたらアカ呼ばわりされるし、そもそも今の世代では教師自身がそんなものには不案内なのだ。

 イラク戦争のときは、世界中で米国の開戦に反対の声があがった。当の米国でもそうだった。だから、先進国の各都市で数十万規模の開戦反対のデモが行われた。スペインなどは1都市だけで100万〜300万。そのときに日本は全国合計で4万でしかなかったが、それでも日本としては異例だったのだ。それというのも、ゼネストが打てないからではないか。そして、日本でゼネストが不可能なのは公務員の参加が不可能だからだろう。

§ 戦後のいわゆる「奇跡の復興」のなかで、日本人は鼻の先に人参をぶらさげられたウマのごとく馬力を出して頑張り、その報償として「豊かな暮らし」を得たつもりだった。じつは奇跡どころか、中国が賠償請求権を放棄してくれ、朝鮮、ベトナムと相続くご近所の災難がもたらした特需に支えられての復興であり、豊かと言ったって、やたらに世界各国の食べものが手近で食べられるようにはなったが、カタツムリが大きな殻を背負ってのろのろと歩むように自分の家のローンを背負って一生を勤め上げるというものでしかなかったのだが(*)、これがもたらした高度成長とバブルは日本人の目をくらました。いまなお、企業と株主に途方もない内部留保と利益を与えるために、我々は懸命に働かなければならないしくみが続いている。
 そんな日本人は、デモなどできない、しようと思いつくことすらない、ストなど悪いこと、としか思わず、それが自分の本来の権利だとは知らない。安保反対の国民など一握りで、多くの国民はテレビで後楽園の野球を見ている、などとうそぶいた岸信介は、まさに、してやったり、の思いだった。日本の国民が、テレビで世界の「あらゆること」を見聞きしているつもりで、そんな基本的なことも知らないというのも、じつは、地方公務員である教員が自主的な教育を行う権利を奪われたからだ。

 50年代から60年代にかけて、教員の闘争がいろいろとあったのは、子どもだったぼくも、なんとなく記憶に残っている。それらが敗北に終わって、いま、日本の教師たちは、文部省がよこす学習指導要領にしたがった授業しかできない。
 だから、教師たちは、日本政府に都合のわるい歴史の真実(対中侵略だの日韓併合といった対アジア関係)は教えられなくなった。そんなことをすればアカとしてパージされる。太平洋戦争で最大の犠牲になったのは沖縄と広島、長崎だろうが、それが今に見るように一般国民の関心を惹かないのも、教育に原因がある。そして、わずかに残された貴重な教材である『はだしのゲン』すら、こともあろうに広島の教育委員会によって学校で使えないようにされようとしている。
(*)
 
§ いわゆる公共事業の民営化も、政府にとっては、困難なく行えるようになった。
 国鉄民営化を、中曽根康弘は、自分がたくらんだと、著作の中でも書き、テレビでも公言していた。それは明らかに違法な不当労働行為であるのに、彼は抵抗もなく実行し、自分のたくらみだと平気で公言できた。それというのも、国鉄職員にはスト権がなかったからだ。
 国鉄職員は、仕方がないから、規定通りのダイヤで運行するという戦術を採って、それを順法闘争と呼んだ。裏を返せば、通常は違法運行を強いられているんですよ、という皮肉な訴えだったのだ。ところがそれすらも、メディアによって、まるで違法行為であるかのごとく糾弾された。かくして、中曽根の企みは、ヤスヤスと成功した。

§ 戦後の日本人にとって、いかにカネが呪縛であったかは、教育を見れば明らかである。一般に親たちが自営業者で職住接近していた昔の時代と異なり、戦後の「復興」から高度成長の時代のなかで企業に搾取されて働く親たちは、子どもに手間をかけていられないから、それを教師に押しつけた。親たちの多くが、子どもに「いい学校を出て、いい会社に就職を」と望んだからだ。それが受験地獄を生み出した。
 なぜそうなるかというと、「いい会社」のほうが、終身雇用で老後が安定するからだった。今やそれが崩れてきた。それでも、学歴社会は変わらないというのは変な話だが、それよりぼくが驚くのは、そんな終身雇用制が、何も戦後の産物ではないことだ。それを最初に企んだのは戦前の財界だった。
 それは、従業員を「家族的」になるべく長時間会社に縛りつけて、外に目が向かないようにするため、四六時中会社のことばかり考える典型的な日本的会社人間にするためだった。世界から、日本人はシゴトシゴトシゴト、と呆れられる、誰のためにもならない異常な勤勉さと集団主義が、そうやって生まれた。経営者は、従業員に「一体感」を持たせれば、うまく支配できると考えたのだ。そしてその通りになった。
 かつて、教師批判が盛んだったとき、教師は若い頃から学校にしか勤めたことがないから世間を知らないなどと、じつに高慢なこと言った自称ビジネスマンたちは、自分たちこそ新卒ばかり採用され中途採用の少ない日本の企業社会のなかで、両目の横側を塞がれ鼻先にニンジンをぶら下げられて走るウマのようになっていることをまったく覚らなかった。そして、社宅なんてものがあれば、そこで奥さん同士の間でも、部長夫人は課長夫人より偉いことになったりしていた。選挙と言えば組織票なんて当たり前みたいに言うが、会社から言われた通りの候補にしか投票しないなんて、露骨な憲法違反じゃないか。こうもニッポン人は、生活がまるごと企業に絡め採られていたのだ。

 受験競争のなかで、教師だけでは望まれるような教育はしきれなくなり、塾が盛況を呈し、ロコツに教育がカネ儲けを生んだ。
 そのうえ、子どもに学科を教える以外のことまでやらせるから、教師は疲労困憊する。日本の教員は世界で一番多忙で、かつ社会的に蔑まれる、割に合わない職業である。彼らにスト権があったら、日本はまったくちがった様相を呈していただろう。

§ 戦争に反対とか、憲法が、とかいう話を共産党や社民党がしているのを耳にする通行人は、そういうニッポン国民たちなのだ。立ち止まって耳を傾けることがまれなのは、当然である。なんとなれば、そういう話をするひとは、ガッコのセン公みたいな臭気を感じさせるだろうし。

(*教育費こそ、住宅費とともに国民を縛った大きな財政的負担。教育に関する重要なもうひとつのカネの話を、別の記事で書いてみました。教育無償化は日本にとって国際的義務なのです。政府のお情けではないという論旨です。ぜひご覧ください。 https://note.com/qiuguliang/n/naa381a48380b )


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