心の沼から湧き出る呪い

 心の奥に沼がある。
 沼からは強い毒が湧き出てきていて、対処しなければそれは体と心を蝕み始めます。
 なので頻繁に毒を浄化するために自分は向精神薬を飲む。実際、デパスを飲むと毒で腐り果ててしまった心がすぐにスッと楽になりますし。

 今日は精神科の通院日でした。
 実はまだ主治医が決まってなくてそれについて軽く怒られたり(その病院も説明不足だったから自分の責任だけではない)、そもそも現在自分は向精神薬としてデパスの1mg錠を1日3回飲むような処方を受けているのですがそれについてくどくど言われたり。
 みーんな口を揃えて言うのが「デパスは依存性が強いからやめるべき」ということ。そして「あなたもう依存してるから少しずつでも減らしなさいね」とも言われたのです。
 デパスを飲まないと何もできない人間になってしまうため、この堕落を避けるべくそういうことを言ったのでしょうが正直なところ余計なお世話なんですよこれは。
 今の自分はデパスが無ければ何もできない。開き直るのであれば、もう手遅れなんですから。
 それにあの心の沼からこんこんと湧き出てくる毒を消すのにもデパスは欠かせない。
 確かに依存してしまってるのは自覚せざるを得ません。しかし別にこれでODしているわけでもなく、ほぼ適量できちんとした効果が出ているのだから今はもうそれで良い気がする。そうでもなければ市販薬ODに頼るしかないんです。処方される「抗うつ薬」というものがこれまでちゃんと効いたことがないし、自分の性格上毎日きちんと飲めないので(これは自分が悪いですが)とにかく合わないんです。(ちなみにデパスは抗不安薬という別の分類)。

 健常な人はきっと心の底にある病みの沼に蓋がしてある、もしくは少し開いてるくらいくらいなのでしょうが、自分の中の感覚としてはもう蓋とか無いです。
 自ら進んで病もうとしているのではなく、病気を自覚したせいでこうなったんです。
 何かあると病気のせいにして、そして自分は他人より劣っているという劣等感に苛まれて、もうまともには生きられないのかもしれないという不安に駆られる。
 アルバイトだって1ヶ月と続かない。もう何もしたくない。そしてやりたい事も無い。
 22歳なのに生きる指針を失ってしまったのです。本当に全て何も無いとは言いませんが、同年代の普通の人に比べたら酷く低迷した人生でしょうこれは。
 病気が無ければ健常に生きられていたかと問われるとそれは怪しい。高校生の頃のいつからか自分の中の倫理観や人生観はどこか狂ったものになってしまっていたのかもしれません。それが人生の最大の分岐点だったはず。

 もういいです。過去を悔いてるのは何も意味がない。まあ別に悔いてたつもりはないのですが。
 とにかく楽になりたい。死ぬか、薬を飲んで希死念慮を誤魔化すか。この選択肢を突きつけられた時に自分は後者を選ぶしかないのです。死ぬのはとても怖いから。

 目的の無い人生を毎日惰性で生き延びて、その果てに何があるのか。ここままでは何も無いでしょうね。それは嫌だ。
 では人生の目的を作れば良い……とは簡単にいかないのですが、これは覚えていたらいずれどこかで語りましょう。
 今はただひたすら、沼から湧き出る呪いのような病みを祓い続けることしか、自分にはできないのですから。

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