憂鬱に生きる

 こんな夜は、そう、市販薬ODで偽りの幸福を得た夜は幸せについて考え込んでしまう。
 単純な話、お金や愛があれば幸せと言えよう。では自分の胸中にあるこの温かな気持ちの正体は何なのだろうか。
 いやこれが偽物の何かであるのは明白である。しかし確かな感情として脳髄と心臓を突き動かすこれは単純な感情の所為とは考えがたい。

 まあ答えは薬の作用であるのだが、この偽りの幸福を得るために自分は生きているのかと思うと、途端に違和感を覚える。

 自分は何のために生きているのだろうか。将来の夢なんて無い。やりたい事はたくさんあるけれど経済的事情でそれらはほとんど実現不可能。
 社会でも最底辺の暮らしをしていて、何一つとして裕福と言えないこんな環境でも自分はどうして生きてるのかと自問することしかできない。それしかやれないのだ。

 自身の精神病を自覚してからというもの労働ができなくなった。やれたとしても一ヶ月。そしてその途中でも病むので、結局は一ヶ月すら労働というものに触れられないのだ自分は。
 異端だろうか。身体的にも精神的にも重篤な障害を抱えているわけでもないこんな人間が、暗い部屋でスマホの画面を見つめながら脳内に浮かんでくる言葉をこうして書き出しているのは普通なのだろうか。

 普通って何。「ありのままの自分でいい」なんて言われたって、それなら自分はこうしている他何もやる事がない。
 いとこ、姉、妹、そして友人達が人生の駒を着々と進めている。今頃は結婚に向けてみんな足並みを揃えている頃だ。
 自分だって恋愛欲がないわけじゃない。ただ経済力が皆無だから誰の面倒も見れない。そんな理由で独りでいる。

 誰だって他人が羨ましい。「隣の芝生は青い」なんてよく言うものだ。
 全部欲しい。容姿も経済的も社交性も、何かを創る才能だって、あるがままにしたい。
 自分に無いものを持ってる人を恨めしく思ってしまう。経済力があれば欲しい物だって買えるのに、社交性や容姿が良ければ恋人だっていたのに。
 でもそれは、やっぱり才能のある人やちゃんと努力をした人が全部持っていく。何もしなかったら何も手に入らないんだ。

 だからもがく。生きたくないなら死ねばいいだけなのに、死ぬのが怖いから惰性で生きている。
 今は22歳で若いから……なんて言っていられても、これをいつまでも続けるわけにはいかない。
 それじゃあどうしたいんだ。幸せになるには、端的に言えば経済力が必要で、お前はそれを持っていないし持とうという姿勢すら見せない。心の中では幸せを望んでいるけど結局行動に移していない。
 何もできないのなら自分はこの世界にいらない。
 自由になるために生きてるのに、生きるために何かに囚われ続けている。

 行きたくないのに上を目指し続けさせられている。その先に富や名声があろうとも、自分には絶対に手が届かないと知っていながらも、それを強いられる。これが生きるということ。
 生きるとは競争だ。常に自分と他人を比較して、そんな事の積み重ねと何かと優劣をつけて更には善と悪をも区別する。

 頭がこんがらがってきたところで話を戻そう。
 自分は何のために生きてるのか。それは、よくわからない。ただ自由になりたいだけなのかも。
 自由というのは、やりたい事をやりたい時にやれたり、色々と思い通りに物事を進められたりとか、そんな単純なこと。
 単純なのに叶わない。それなら自由という概念は単純じゃないのかもしれない。

 幸せな夢を見た。
 しかしそれは所詮夢でしかなく、自分の脳が見せた幻想だ。
 夢の中で幸せであっても現実で幸せじゃなければ何の意味もない。だからそんな夢を見る時は決まって、何かに対して空虚に感じている時なんだ。

 お金があったら。と言えば小学生でも理解できるはず。そう、お金が欲しい。お金は働くと貰えるけど、先述の通り自分はそれができない。
 自分は労働をするためにここまで生きてきたわけじゃないし、そんな志を持った覚えもない。
 それなのに労働をしなければ生きられないなんてのは理不尽極まりない。
 みんなやってる? 知ったことか。個人の能力不足に全員のルールを押し付けるな。

 だから自分は社会不適合者なんだな。集団行動とか昔から苦手だったし、多数決も少数派になることが多かったし。
 どうにもならないな人生。
 生きる指針さえあれば良いのにそれが無いというのが最大の問題だ。今は何のために生きてるのかわからない状態だから。
 だから、明日死んだとしてもきっとあんまり心残りはない。

 何を変えれば良いのかは理解している。だが怠惰で社会不適合かつ社会不安の自分は身を動かせない。
 自分が変われば良いのが最適解。次に環境。これだけのこと。これで人生はきっと豊かになる。
 そう思っているのにそうしないのはなぜだろう。もはや自分でも疑問に思ってしまうほどだ。
 ああ、そうだ、働けないんだったね、自分。
 だったらいつまでもそのゴミ山にいればいいさ。自分を愚かだと自覚していながら何も改善しようとしない無能さには本当に呆れる。死ね。
 自分からは何もしないのに幸せだけは欲しいだなんて、そんな虫のいい話があるものか。

 ……いやしかし、だからと言って「みんなやってるから」なんて理由で、自分の精神衛生を犠牲にしてまで無理に社会に触れたくない。
 世の中の人間はみんなこれをしているのだろう。本当、皮肉じゃなく素直に尊敬する。自分にはとても無理だ。

 それで、もう何の話だったか覚えてないけれど、とにかく自分はゴミだ。
 昨日TwitterのDMで「死ね」と送られてきたし(マジでこれっぽっちも気にしてないけど)、まあ世間的には自分はODを広めてる悪い奴に見えてそうだし、そういう意見もあるのは覚悟の上だし、本当にどうでもいいのです。むしろちゃんとアンチがいることに安心したくらいです。

 もう眠りましょう。
 起きてから続きを書くだなんてことはしない。今の気持ちは今この起きている時間に書かなければならない気がするから。
 世界はひどく憂鬱だけど、いつかどこかで救われると信じて、自分は今日を終えるのです。

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