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【スライドショー】を 創りながら。

昨日は、久しぶりに濃厚だった感情体験について(残ってた分離データを統合したことについて)シェアしました。


今回は、その逆に、【かつて統合作業したこと】が ちゃんと終えられてることを確認できたというシェアです☆



義母の葬儀に向けて、わたしは、想い出の写真をスライドショーにすることを担っています。


わたしが持っていた写真(データ)の他、義家族たちがそれぞれ持っていた紙ベースの写真を すべて集めてスキャンして。

日付を振り、時系列でフォルダに入れて、150枚ほどの想い出を選別しました。


そうして、夫経由でしか知らなかった義母の若かりし頃のことを、
義姉視点、義妹視点でも知ることとなり、

昭和から令和を生きた【義母という一人の女性の人生】に、改めて思いを馳せています。



そんな わたしの傍らでは、

夫が【介護ノート】(家族間での引継ぎノート)を片っ端から読みふけっては、インパクトの強いエピソードを引っ張り出していて、

「そういえば、こんなことあったねー(笑)」
「あの時は大変だった」
「この時のこと、まったく覚えてない・・・」
「母さん、こんなこと言ってたんだ(笑)」

など、声に出しながら、パソコンに打ち出していきます。


2015年に 明るく元氣だった母の様子がおかしくなって【老人性うつ】から始まっての・・・・その後の【認知症介護】の記録。

ノートの数は、2022年2月に入院となるまで、実に 84冊!(笑)

ほんと、ものすごいボリュームです。


最初は、わたしたち夫婦と 義妹が交代で通って、
2018年末からは、遠方の義姉が戻って来て両親と同居。

そこからは4人でスクラムを組むように介護に当たってきました。

その間、わたしは、義実家の真ん前に 職場を創り出したりね・・・(笑)

高齢の父のことも含めて、介護中心の7年間?でした。


そして、わたし個人は、この間に アダムと出逢って 統合に向かってのいろいろが始まりましたからね・・・。

まぁ~、いろんな意味でハードでしたねぇ・・・(笑)


で、これが、


バラバラな家族がまとまるための、大事な統合作業でもあったからか、

福祉&介護サービスを利用するまで(そういう発想になるまで)、かなりの時間を要したのですよ(苦笑)

家族だけで頑張ってた(頑張れてた)時期が、長すぎたんですね。(苦笑)

始めて認定を受けたときには、すでに【要介護3】でしたから。


な~んて わたしたち家族の、喜怒哀楽が 濃厚に詰まった軌跡(ときに揉めたり)を振り返りながら、

わたしは、自分の内面がまったくザワザワしないことを自覚するのでした。
(分離データが上がってこないということ)


・しんどかったことも
・義姉妹のストレスを一身に受け負っていたことも
・物質次元どっぷりに生きている義姉妹の周波数に 疲弊したことも
・夫家族の精神的サポートと、仕事としての精神科看護と、肉体的にもかなりハードだったことも
・義母が入院する直前の数か月間は、わたしが看護師役割で、在宅看護スタッフの一員を担っていた重責も、

・・・


懐かしさを感じることはあっても、負の感情は 一切 湧いてこないのです。

本当に、キレイに終わってることを、実感するのでした♡



今回の義姉妹との関わりでは、周波数の違いで多少疲れることはあっても(笑)、昔のような こじれた現実になることはなく。

《ああ、2年前までとは大違い♡》

だと、つくづく感じています♡



そして、夫家族の歴史を目にしながら、自分自身の家族との歴史も投影されて・・・。

・両親の結婚
・自分たちが生まれたあとのこと
・家族として生活してたときのこと
・祖父母との想い出
・成人して家を出てからのこと

等など・・・


思いを馳せては、感謝も感じて。

この作業そのものが、わたし自身の統合作業の一環になってることを想うのでした。



これまでも書いてきましたが、本当に、日常の全てが【統合作業】の材料となります。

まんべんなく。なんです。本当に・・・。


シェアしておきますね。

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