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言語意識の間取り

マヤ文明のピラミッドとして有名なククルカン神殿は、春分と秋分の日を知らせる仕掛けが施されているとか。それもすごいことですが、私としては、頂上にある神殿の間取りが気になります。

神殿の間取りは、次の図の青い直線のように区画されています。

この図は独学の具体例の一つにすぎません。

神殿には入口が四つあります。そのうちの三つは内部のU字型の廊下でつながり、北側にある入口だけが神殿の中心に出られる間取りです。

なぜ、そのように入口を配置したのでしょうか。

また、よく似た発想に古代中国の四神があります。青龍・白虎・朱雀・玄武のうち、北を守護する玄武だけが内側と外側の世界をつなぐ霊獣だとか。

そこで、まずは、四方位を次のように哲学用語で喩えたい。

東は直感、西は認知、南は知覚、北は自我。

直感の動詞文、認知の名詞文、知覚の形容詞文、そして、それらをまとめる自我の主題文があります。そのように、言語そのものを意識すれば、言葉ではなく神話で考える古代人の感覚に迫れるかもしれません。

神殿を言語意識の間取りに喩えると、次の見方もできます。

哲学者の西田幾多郎は神殿の東側から入り、ウィリアム・ジェームズは西側から入ったのです。両者はU字型の廊下を歩いて言葉を放棄し、壁を越え、神殿の中心へ向かったのです。中心を超えたかどうかはわかりません。

以上、言語学的制約から自由になるために。