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『ソロ温泉—「空白の時間」を愉しむ—(ICE新書)』第1章まで無料全文公開!

2021年7月15日に発売された書籍『ソロ温泉—「空白の時間」を愉しむ—』(著:高橋 一喜)の第1章までを無料全文公開いたします!

はじめに――ビジネスパーソンのための究極の休息法

 思い返せば、99%がひとりでの温泉旅だった。
 私はこれまで3600を超える温泉に入浴してきた。2008年から2009年にかけては、386日間で3016湯に入る旅を敢行した。その後も温泉めぐりを欠かさず、日本全国津々浦々、名の知れた温泉地にはほぼ足を運んでいる。
 その旅のほとんどがひとり旅。つまり、〝ソロ温泉〟だった。
 友人や家族と温泉に出かけたこともあるが、数えるほどしかない。友人が少ない、人づき合いが悪いという性格もあるが、それ以上に、ソロ温泉が気に入っている。99%という数字は、その結果である。

 本書の目的は、ソロ温泉の魅力を伝えることである。
 なぜ今、ソロ温泉なのか?
 おもに3つの理由がある。

 1つめは、もっと気軽に温泉に足を運んでほしいからだ。
 日本人は総じて温泉が好きだ。だが、多くの人にとって温泉旅行はいまだに特別な行事で、家族や仲間といっしょに行くもの、という位置づけのようだ。年に数回温泉に入るというのが平均的かもしれない。なかには、行こう行こうと思っていたけれど、「いっしょに行く人がいない」「仲間と予定が合わない」といった理由で、しばらく温泉から遠ざかっている人もいるだろう。
 だが、ひとり旅なら、いつでもどこでも行ける。誰かと予定を合わせる必要もない。ソロ温泉を実践することで、これまで以上に温泉が身近に感じられるはずだ。

 2つめは、もっと温泉に向き合い、その魅力を知ってほしいからだ。
 日本人は温泉が好きなわりに、温泉のことを知らない。宿の湯船につかって、「あ~、やっぱり温泉はいいなあ」と満足してしまうが、自分がつかっている湯が本当にいい湯なのか、どんな泉質なのかといったことまでは気にかけない。どちらかというと観光や食事のほうに興味が向いてしまうようだ。
 もちろん、家族や仲間とワイワイはしゃぎながら湯船につかるのも楽しいが、温泉そのものは二の次になりがちである。ソロ温泉なら、じっくり湯と向き合うことができる。マニアックな知識で武装する必要はないが、ちょっとでも温泉に興味をもつことで、ますます湯のありがたみを感じ、もっといろいろな温泉地を訪ねてみたい気持ちがわいてくるだろう。

 3つめは、ストレス社会で生きる現代人には、温泉が必要だからだ。これが最も切実である。
 コロナ禍になっても緩和されない満員電車、会社での激務や煩雑な人間関係……。現代社会で働く人は多くのストレスを抱えている。本来くつろぎの場である家に帰っても、家族関係がうまくいかず、暗澹(あんたん)たる気持ちになることもあるだろう。最近ではコロナ禍によるテレワークや自粛生活のせいで気分が晴れない人も少なくない。
 そんな人こそ、温泉に入って心身を休めてほしい。ひとりなら同行者に気を遣うこともなく、人間関係のストレスから解放されるはずだ。
 私は温泉に関する仕事以外に、ビジネスなどのテーマで書籍の編集やライティングなども手がけている。そのため、優秀な経営者やビジネスパーソンにお会いする機会も多いが、ビジネスエリートと呼ばれる一線で活躍する人ほど、うまく休んでいるものだ。短期間で大きな成果を出すためには集中力が絶対に必要である。だが、集中力はずっと持続させることはできない。オン(仕事)とオフ(休み)のスイッチをうまく使い分けるからこそ、最大限に集中力を発揮することができる。そのためには温泉での休息が必要だ。

 以上、3つの目的を達成するために、本書では積極的にひとりで温泉旅をすることを推奨している。誤解のないように最初に断っておくと、本書は「女性にやさしいおひとりさまの宿」を紹介するガイドブックの類いではない。老若男女を問わず、よりストイックなひとり温泉の旅を提唱するものである。だから、温泉宿の紹介も必要最小限にとどめている。その点はご理解いただいたうえで、読み進めてほしい。

 ソロ温泉は、ウィズコロナ時代に適した旅のスタイルでもある。
 2021年6月現在、ワクチン接種が進めば新型コロナウイルスは収束するという見方がある一方、ウイルスが変異を繰り返すたびに感染拡大と新たなワクチン接種のループが続くという見解もある。今後どんな経緯をたどるのかはわからないが、少なくともここ何年かは旅先でもマスクと消毒液は必需品で、つねに感染のリスクに注意を払うことになりそうだ。
 ソロ温泉は、団体旅行よりも感染のリスクが圧倒的に低い。マスクを外して家族や仲間と会話をするわけではないし、酒を飲みすぎてはめを外すこともない。受け入れる側の温泉宿の立場になれば、どんなに感染対策を徹底しても、お客が集団でマスクをとって飲食をしていれば、心理的に不安になるのは想像できる。これまで以上にひとり客が歓迎されるようになるかもしれない。
 また、温泉につかることは、人間の自律神経系やホルモン系のバランス、免疫系など生体機能を正常に整える効果がある。温泉で免疫力や抵抗力を高めることで、コロナウイルス感染の予防にもつながる。

 ソロ温泉は、決してさびしい旅のスタイルではない。忙(せわ)しない日常から自分を解放し、未来を生きる力をチャージするためのクリエイティブな旅である。
 本書をきっかけに、ソロ温泉をたしなむ人が少しでも増えれば著者としてこれほどうれしいことはない。

高橋 一喜

序章 ソロ温泉の定義

┗激務の人こそソロ温泉へ

 ソロ温泉とは何だろうか?
 なぜ、ソロ(ひとり)なのか。
 通常のひとり旅とは何が違うのだろうか。
 まずは、ソロ温泉の定義から話を始めたい。

 そもそも私がソロ温泉を始めたのはいつのことだろう。
 今思い起こせば、初めてのひとり旅は、塩原温泉(栃木県)だった。
 20代後半だったから今から15年以上前、当時勤めていた会社で、私は激務に追われていた。終電で帰るのは当たり前、休日出勤もいとわなかった。あの頃は、仕事が楽しくて、残業や休日出勤も苦ではなかったし、なにより若かった。それでも、そんな生活を毎日続けていれば、心身ともに疲弊する。
「もう限界だ……」
 そう感じたとき、ふと思いついたのが温泉でゆっくりすることだった。その頃にはすでに温泉の魅力に気づき、週末などを使って友人や恋人と温泉めぐりをしていた。だが、今回は仕事の関係で明日しか時間をとれない。このチャンスを逃すと、しばらく温泉には行けないだろう。結局、急な旅なので誰かを誘うこともできず、ひとりで出かけることにした。
 翌日、レンタカーを借りて塩原温泉に向かった。雑誌で見かけた旅館の湯に心惹かれたからだ。青色の清流と茜色の紅葉を望む開放的な露天風呂に、抹茶のような緑色の濁り湯が満たされている写真だった。
 本格的な濁り湯にはまだ入ったことがなかった。「温泉情緒があっていいじゃないか」。おそらく、そんな感想を抱いたのだろう。とにかく、その露天風呂の光景がずっと頭の片隅に残っていたのだ。
 宿の名は「元泉館」。いくつかの温泉地が点在する塩原温泉のなかでも、最奥の塩原元湯と呼ばれるエリアに建つ温泉宿だ。
 今でも忘れられないのは、浴室の扉を開けたときに鼻をくすぐった硫化水素の香りだ。いわゆる硫黄臭で、ゆでたまごのような匂いと表現される。内湯には雑誌の写真と同じ緑色に濁った湯が満たされていた。
 露天風呂の向こうには、温泉街に寄り添うように流れる箒川(ほうきがわ)の支流である赤川(あかがわ)。そして生命力あふれる新緑の木々。木の葉が擦れ、ひそひそと耳にささやくかのよう。最高のロケーションだ。
 緑色に濁った湯は、パンチがきいている。これまで入ってきた透明の湯とはインパクトが違う。成分が濃い証拠だ。顔のまわりが温泉の香りにふんわりと包まれる。ああ、気持ちいい。日常の激務でカチコチになっていた心と体がほぐされるかのよう。それなりに泉温は高かったと思うが、のぼせる寸前までつかっていた。
 すっかり温泉でリフレッシュされた私は、次の日からバリバリと仕事をこなした。まるで生まれ変わったかのように。
「温泉には底知れぬ魅力がある」
 元泉館の湯に感動した私は、ひまを見つけてはひとりで温泉めぐりに励むことになった。
 元泉館を訪ねる前は、温泉旅行は友人や恋人、家族と行くものだと思っていた。だから元泉館の湯船につかるまでは、どこか不安な気持ちがあった。
 だが、湯船に身を預けたあとは、ひとりであることに何の抵抗もなかった。全然さびしくなどない。むしろ、隣に誰もいないことが快適だった。まわりに人がいる日常生活に慣れきっていたからだろうか、こうしてひとりの時間をもつのは久しぶりに感じられた。
 移動中のレンタカーの中では、好きな音楽を聴きながらドライブを楽しめるし、どこの温泉に行くのも自由だ。なにより湯船のなかで、ひとり湯とたわむれることで、ねじれた心がほぐれていく感覚があった。仲間といっしょにおしゃべりをしながら入浴していたら、このような感動は味わえなかっただろう。
 それ以来、「温泉はソロにかぎる」が私の温泉めぐりのスタイルとなったのである。

┗心と身体を解き放つ

 ソロ温泉を簡潔に定義するとこうなる。
 ソロ温泉とは、ひとりでただひたすら湯に身をゆだねて、心と体を解き放つこと。至ってシンプル。要は、ひとりで温泉に出かければ、立派なソロ温泉の実践者だ。

 先ほども述べたように、多くの人は仕事や日常に追われて心と体が摩耗している。

 仕事をがんばりすぎてはいないだろうか?
 人間関係でストレスがたまっていないだろうか?
 家に居場所はあるだろうか?
 犬も食わない夫婦喧嘩に明け暮れていないだろうか?
 コロナ疲れしていないだろうか?

 少しでも「最近しんどいなあ」と感じるなら、ソロ温泉をおすすめする
 理想は、定期的にソロ温泉に出かけることである。心身が限界に達する前に定期的にメンテナンスをしておけば、「最近しんどいなあ」と嘆息することは少なくなるはずだ。
 私は温泉ライターという仕事柄、毎月のように取材で温泉地に足を運んでいる。もちろん、現地で温泉にも入るが、あくまでも仕事の一環なので完全に心と体のスイッチをオフにすることはできない。
 だから、毎月3~4回は仕事抜きのプライベートで温泉に入る機会を必ず設けている。余計なことを考えることなく、湯にすべてをゆだねる時間を大切にしているのだ。
 ソロ温泉で定期的に心と体を解放することは、私にとってアグレッシブな日常を送るために必要不可欠な習慣なのである。

┗自分への「ご褒美」ではなく「投資」

 ひとり旅に限ったことではないが、温泉旅行といえば、自分への「ご褒美」という文脈で語られがちである。
 たしかに、日頃の疲れやストレスをとるという意味では「ご褒美」ともいえる。私も当初は、「ご褒美」としてのひとり旅を楽しんでいた。
 しかし、今、私が提唱するソロ温泉の定義はもっとストイックである。
 ご褒美とは、頑張った結果、与えられるものだ。だが、ソロ温泉ではベクトルが逆で、「温泉は日々の人生を頑張るために入りに行くもの」と定義している。
 言い換えれば、ソロ温泉は自分への「投資」だ。将来の成果のために時間と資本を投入するのである。「この大きな仕事が終わったら、ご褒美として温泉に行こう」ではなく、「仕事で成果を出すために、投資として温泉に行こう」という発想なのだ。

 質の高い仕事をするためには、心身を整える必要がある。
 慢性的に疲れ切った脳や体では、集中力を維持できない。クリエイティブな発想や困難な問題の解決もおぼつかない。脳と体が疲弊していれば、精神的にもネガティブになりがちだ。大きな仕事になればなるほど、充実した体力とタフなメンタルが必要になる。
 先ほど、優秀な経営者やビジネスパーソンはオン(仕事)とオフ(休み)のスイッチをうまく使い分けているという話をしたが、彼ら彼女らは日頃からベストパフォーマンスを発揮するために、効果的に休みをとっている。目一杯、仕事をする一方で、休息や遊びにも徹底的に取り組むのだ。
 私の好きな言葉のひとつにこんなものがある。
「怠け者は休息を楽しむことを知らない。そのうちはげしい労働は身体に休息を与えないのみならず、心に平和をも与えない」
 銀行家、政治家、生物学者、考古学者として多分野で活躍したイギリス人、ジョン・ラボックの言葉だ。効果的に休息をとることは、仕事の成果にも心身の健康にもつながるのである。
 しっかりと休息をとることは、心の整理にもつながる。
 元サッカー日本代表で、現在もドイツのブンデスリーガで息の長い活躍を続ける長谷部誠選手は、「整理整頓は、人生の半分である」というドイツのことわざを心に刻んでいるという。
 身のまわりの整理整頓はもちろんのこと、自分の心の中も日頃から整理し、万全の準備をしていれば、ふだんから高いパフォーマンスを発揮でき、運がめぐってきたときにそれをつかむことができる。
 ムダな残業や休日出勤など日本企業の悪習が徐々に排除されていく一方で、生産性や効率が求められる現代社会を生きるビジネスパーソンは、かえって息の抜けない日々を送っている。さらには複雑で多岐にわたる人間関係、情報過多のデジタル環境の中で、頭と心は疲弊し、あっという間に時間が過ぎていく。
 そんな日々を送っている人こそ、心と体を徹底的に休めるための「投資」が必要だ。そのためにいくつか方法は考えられるが、ひとりの時間を確保し、心身を休めるのに適したソロ温泉も当然、有力な選択肢のひとつになり得る。

 あらためて定義しておこう。
 ソロ温泉とは、〝人生を頑張る力を得るために、ひとりでただひたすら湯に身をゆだねて、心と体を解き放つこと〟である。

第1章 ソロ温泉の極意

┗スケジュールを詰め込まない

 何事もやり方を間違えると、期待する効果を得られないばかりか、逆にマイナスの結果を招くこともある。
 この章からは、効果的にソロ温泉を実践するための秘訣をお伝えすることとしよう。

 ソロ温泉において絶対にやってはいけないことがある。
 それは、せっかく温泉に行ったのに疲れて帰ってくることだ。
 こんな経験はないだろうか?
 週末に友人や家族と1泊2日の温泉旅行。せっかくの旅行だからと、普段よりも早起きして車で出発。観光のスケジュールは万全。ランチをする店も決めてある。ところが、渋滞に巻き込まれて、スケジュールは後ろ倒しに。ランチも閉店ギリギリに駆け込んだけれど、まだまだ行きたいスポットを消化できていない……。結局、宿に着いたのは夕食の1時間前。あたふたと温泉につかり、なんとか夕食にありつけた。だが、満腹感と疲れから早々に布団にダウン。気づいたら朝で、眠い目をこすりながら朝食へ。
 2日目も観光のスケジュールはびっしり。なんとかスケジュールを消化したのはいいけれど、帰りはまたもや渋滞に巻き込まれ、家に到着したのは深夜0時。明日は7時起きで出社だ……。
 これは極端な例かもしれないが、誰かといっしょに温泉旅行に出かけると、スケジュールを詰め込みすぎたり、相手に振り回されたりして、かえって疲れて帰ってくるという結果になりがちだ。温泉で癒されるはずだったのに……。これでは本末転倒だ。
 ソロ温泉の目的はただひとつ、「温泉」そのものに尽きる
 温泉旅行というと、観光やレジャー、グルメなどもあわせて楽しむものというイメージをもっている人が多いかもしれない。「温泉はおまけ」という人もいるだろう。
 ソロ温泉では、温泉への入浴がメインディッシュである。温泉以外も満喫しようとすると、かえって疲弊してしまうからである。
 歴史の観点からいうと、本来、温泉は現在のようなレジャーではなく、湯治の側面が強かった。物見遊山の観光は一部にすぎず、温泉地に長期間(少なくとも1週間以上)逗留して温泉療養を行うのがおもな目的だった。
 百姓や漁師など日頃、重労働で肉体を酷使している人たちは、農閑期などに温泉地で心身を休めた。しかも数週間、あるいは月単位で逗留するのが通例だった。湯治に訪れた人にとって温泉といえば、ひたすら湯と向き合うことによって、心身を回復させ、英気を養う場であった。湯治では、日がな一日温泉にただつかって休むこと、それが主要な目的だったのである。
 ちなみに、江戸時代の旅は通行手形を要する許可制で、誰でも自由に旅ができる環境ではなかった。一般庶民の旅はお伊勢参りなど明確な目的があるものに限られ、基本的には温泉地へ湯治に出かけるにも届出が必要だったのだ。
 レジャーとしての温泉が市民権を得るのは明治に入ってからのことだが、戦後になって一大ブームが起きる。高度経済成長とともに温泉地への団体旅行が盛んに行われるようになったのだ。社員旅行でみんなと温泉に出かけてドンチャン騒ぎを楽しむようになったのも、高度経済成長期以降のことだ。バブル経済が崩壊してからは、団体旅行は下火になり、個人旅行が主流になっていくが、旅の主役はあくまでもレジャーで、温泉は付随的なものとして扱われてきたといえる。
 つまり、昭和、平成にかけて温泉は日本を代表する観光資源でありながら、主役の座をつかんできたとは言い難い。温泉そのものを旅のメインにすえてきたのは、こだわりをもつ温泉好きやマニアにかぎられていた。
 だが、個人旅行が当たり前の旅のスタイルになるにしたがって、少しずつ温泉を旅の主役とする、ひとり旅が浸透してきた。私は20年もの間、定期的に温泉地に足を運んでいるが、ひとりで温泉旅を楽しんでいる人と出くわす機会が、年々増えていることを実感する。ソロ温泉を実践する仲間が増えているのはよろこばしいことだ。

┗量より質をとる

 温泉は、旅の主役になるだけの価値がある。温泉につかるだけでも、現代人は心身を癒され、満足感を得ることができる。

「名物グルメを食べないと」
「名所に行かないと」
「せっかくの旅だから現地の人と触れ合わないといけない」

 旅の目的は温泉である。そう最初から決めていれば、このような強迫観念に縛られることはない。「誰かと感動を共有できない寂しさ」、そんな感情にとらわれる必要もない。
「ここに行った」「あそこにも行った」「あれも食べた」「温泉にも入った」と欲張るのも旅のひとつの形だが、そういう旅にどこか疲労感を覚えるようなら、温泉だけを目的にした旅を試してほしい。
 ソロ温泉なら、同行者の「観光をしたい」「グルメを楽しみたい」という希望に振り回されることもない。

「温泉に入るだけでいい」などと言うと、「温泉だけが旅の目的なんて辛気臭い」「せっかくの休みに遠出をするのだから、もっと贅沢な旅をしたい」などと反発する人もいるかもしれない。
 こう考えてみてはどうだろう。数万円で海外旅行に行けてしまう時代に、同額もしくはそれ以上の金額をかけて国内の温泉地に出かけて、ひたすら温泉に入るだけ。そんなシンプルな旅は、逆にとても贅沢ではないだろうか。まったく辛気臭くなどない。
 あれもこれもと手を出すよりも、ひとつのことをじっくりと楽しむ。量より質を重視するのが、大人の旅といえる。
 贅沢をしたいなら、少し値の張る高級な旅館に泊まってもいい。一流のサービス、料理を堪能し、良質の温泉につかれば、激安の海外パックツアーに行くよりも満足感を得られるはずだ

┗何かをしようとしない

 ソロ温泉では、ただ湯船につかり、心身を解き放つのが目的である。だから、温泉宿に着いたら、ただ湯につかる。何度もつかる。それに徹する。
 もちろん、ずっと温泉に入っているわけにもいかないので、入浴と入浴のあいだには昼寝をしたり、好きな本を読んだりしてもいい。ただただボーッとしていたって誰も文句は言わない。
 無理して何かをしようとしてはいけない。パソコンを開いて仕事をするなど言語道断。パソコンはソロ温泉に持ってきてはいけない。仕事や人間関係などの日常から心身を解放するのが目的なのだから。
 ソロ温泉では、温泉に入るのが最優先事項なので、ひたすら湯と向き合うことになる。
 私の場合、温泉に入るときには、まず脱衣場に掲示されている温泉分析書をチェックする。温泉分析書には、源泉の湧出地、泉温、湧出量、成分、泉質、禁忌症と適応症、利用上の注意事項など、その温泉を知るためのあらゆる情報が記載されている。いわば源泉のプロフィールである。これから全面的に裸をゆだねる相手のことをくわしく知りたいと思うのは、自然な感情といえる。
 湯船では、湯の色とにおいを確認する。ひと口で濁り湯といっても、さまざまな色合いがある。同じ白濁の湯でも、青色をおびたもの、緑色をおびたもの、灰色に近いものもある。「ゆでたまごのような匂い」とよく表現される硫化水素臭にも、ツンと刺激的なものもあれば、どこか甘さを感じさせるやさしいものもある。
 無色、無臭のこともあるが、よく観察するとかすかに色がついていたり、ほのかな香りを感知できたりすることも多い。とくに源泉が注がれる湯口に近づくと、わずかながら温泉の個性を感じられることはよくある。
 そして、肌触りも温泉の個性である。水道水の沸かし湯と本物の温泉とでは、肌で受け取る感覚があきらかに異なる。すべすべとした湯もあれば、ヌルヌルと感じる湯もある。キュッキュッとした感触の湯もある。
 少しマニアックになるが、私は必ず温泉を口に含むことにしている。もともと飲泉(いんせん)(温泉を飲むこと)が保健所から認められている湯はもちろんのこと、許可が出ていない温泉でも少量を口に含んでみる(まねすることはおすすめしない)。
 温泉にはさまざまな地中の成分が溶け込んでいるので、それぞれに味わいがある。いい塩加減の湯もあれば、とんでもなく苦かったり、海水よりも塩辛かったりする湯もある。
 また、温泉に溶けこんだ成分の量でも、温泉の特徴は大きく変わってくる。成分が濃い温泉だと、パンチのきいた入浴感なので長時間つかりすぎるとかえって疲労感を覚える。一方で、成分が薄い温泉だと、長時間のんびりつかっていられる。
 つまり、自然の産物である温泉は一つとして同じものはない。人の個性も十人十色であるように、温泉も〝十湯十色〟である。その個性は色や香り、肌触り、味などにあらわれる。
 こうした個性をじっくりと知るのが、私の温泉浴の流儀である。もちろん、温泉マニアのような知識をもつ必要はないが、入浴が目的のソロ温泉だからこそ、その源泉のことを多少でも知ることは大切である。温泉の泉質や特徴に興味をもつと、そのうち温泉の違いや奥深さを実感できるようになるはずだ。

┗「源泉の質」にこだわる

 ソロ温泉では、ただただ湯と向き合う。だからこそ、「いい温泉」であることが最低条件である。
 温泉施設の良し悪しには、さまざまな基準がある。浴室の清潔感を重視する人もいれば、デザインや雰囲気を重視する人もいる。宿で提供されるサービスや設備、料理を重視する人もいる。
 それらも大事な要素ではあるが、ソロ温泉を実践するにあたっては「源泉の質」をいちばんに重視したい。
 源泉の質を決めるものは何か?
 これにもさまざまな基準があるが、自分のなかでは明確だ。
 温泉の「鮮度」である。つまり、湯が新鮮で、その個性がいきいきと感じられるか。
 生まれたての鮮度の高い湯は、入浴したときの居心地のよさが違う。やさしい泉質の湯は肌にすっとなじむ。成分の濃い湯は、肌を直接刺激し、個性を訴えかけてくる。
 その鮮度を見極める、わかりやすい目安が「源泉かけ流し」という概念である。
 この言葉は、温泉を取り上げたテレビや雑誌などで頻繁に使われているので、多くの人がなんとなく意味を理解していると思われる。
 では、正確にこの言葉を説明することはできるだろうか?
 源泉かけ流しとは、湯船に注がれた源泉がそのまま湯船からあふれて出ていく湯の使い方のことを指す。なお、源泉に水を加えることなく、湯船に注ぐことを「100%源泉かけ流し」とも言う。加水すると温泉の成分が薄まってしまうので、100%源泉かけ流しは鮮度が高く、理想的といえる。
 だが、源泉かけ流しの湯船は全体の3割程度しかないといわれる。100%源泉かけ流しの湯船にかぎれば1割とも2割ともいわれる。この数字は、私の経験値とも一致する。
 では、源泉かけ流し以外は何かといえば、循環ろ過方式の湯船となる。簡単に言えば、源泉を浴槽内で使いまわしている。
 湯船の数や大きさと比して源泉の湧出量が少ない場合、かけ流しだと湯量が足りなくなる。そこで、浴槽内の湯を回収し、汚れを取り除き、塩素などによる殺菌を施したうえで、適温になるように調整しながら湯船に戻す。大型旅館の大浴場は湯船が複数かつ大きいので、たいていは循環ろ過方式を採用せざるをえない。
 循環ろ過方式なら、温泉の汚れをとって殺菌したうえで湯船に戻すので、湯の清潔度は保てる。その代わり、循環ろ過・殺菌するたびに温泉の個性が失われ、ただの水道水のようになってしまう。何度も使いまわして塩素を投入するので、まるでプールの水のような匂いを放っている浴槽にもよく出会う。
 循環ろ過方式は、鮮度という点で、源泉かけ流しよりも数段落ちる。場合によってはもともとの源泉とは別物になっていることさえある。したがって、鮮度を重視するなら、源泉かけ流しかどうかをチェックする必要がある。
 だが、実際は見分けるのが難しいケースもある。温泉宿が「源泉かけ流し」をうたっている場合でも、実際には循環しているケースが多々あるからだ。湯口からは新しい源泉が投入され、湯船から湯があふれているけれど、浴槽内では循環している。この場合、どうしても純粋な源泉かけ流しよりは湯の鮮度が落ち、個性も薄まってしまう。これを「かけ流し循環併用式」「放流一部循環ろ過方式」などというが、純粋な源泉かけ流しとは異なるので注意が必要だ。
 もちろん、循環式でも湯の個性が感じられる湯船はある。また、限られた温泉資源を大切に使うという面では、循環式にも価値はある。
 反対に、源泉かけ流しの湯船であっても、湯船の大きさに比して源泉の投入量が少ないと、浴槽内の湯が入れ替わるまで時間がかかり、湯船全体の鮮度は落ちていく。そんな湯船にたくさんの人が入浴すれば、どうしても湯が汚れて、清潔感が失われてしまう。したがって、「源泉かけ流しは絶対に鮮度が高い」とは言い切れないのが、もどかしいところである。
 最初は鮮度の違いを見極めるのは少々難しいかもしれないので、温泉の専門家やマニアの執筆した書籍や雑誌、ネットの情報などを活用するといいだろう。温泉好きには源泉かけ流しにこだわる人が多いので、彼ら彼女らがおすすめする温泉から選ぶのが賢明である。

┗早めにチェックインする

 ソロ温泉の目的は、湯船につかり、心身を休めることだ。
 だからこそ、できるだけ早く宿にチェックインするのが望ましい。多くの宿は15時からが通例だが、顧客サービスの一環で13時、14時からチェックインできる宿も増えている。
 私も投宿する場合は、できるだけチェックイン開始時刻に合わせて到着するように心がけている。むしろ少し早めに現地に到着し、あたりを散策してからチェックイン開始時刻ちょうどに訪ねるようにしている。
 温泉宿に滞在できる時間は意外と短い。15時チェックイン、翌日10時チェックアウトの1泊だと、計19時間の滞在となるが、そのうち7~8時間は寝床にいる。さらに食事の時間や就寝準備、チェックアウト前の身支度の時間などを除けば、本当にゆっくりできる時間は正味6時間くらいである。
 この残された6時間のあいだにどれだけ温泉を満喫し、リラックスできるかがソロ温泉の充実度を決定づけることになる。
 もし観光のスケジュールをぎっしり入れてしまい、宿に到着するのが17時を過ぎたとしよう。チェックインを済ませると、「夕食は18時から」とのこと。急いで浴衣に着替えて時間を気にしながら入浴。部屋に戻ると、すでに夕食のしたくが始まっている。1時間半ほどかけて食事をたいらげると、満腹感でしばらく動けず。複数の浴室があることを思い出し、重い体に鞭打って21時頃に温泉へ。戻ってくるやいなや、旅の疲れと温泉効果であっという間に入眠。
 目が覚めると、朝7時過ぎ。ぐっすり眠れたのはいいが、朝食は8時からだ。ゆっくりする間もなく、浴室へ。朝食をいただいたら、すでに9時過ぎ。もうチェックアウトに向けて準備をしなければ……。
 温泉に入って、おいしいものを食べられれば一般的な温泉旅の目的はほぼ果たしているともいえるが、ソロ温泉ではとことん温泉と向き合い、ゆっくりとするのが目的である。温泉宿についてバタバタと余裕がないようでは、不完全燃焼で終わってしまう。
 大切なのは、温泉に入る時間をできるかぎり確保すること。
 2泊、3泊できれば十分に時間をつくることはできるが、現実的には1泊の旅が多いだろう。その場合は、早めにチェックインし、チェックアウトぎりぎりまで滞在する、という戦略が必要になる。
 そのためにも、湯浴(ゆあ)み以外の余計な旅のスケジュールを削ぎ落とす。名所観光やグルメは二の次である。
 15時にチェックインできれば、夕食が18時からであっても、3時間は確保できる。これくらいあれば、1時間くらい湯浴みができ、入浴後の余韻も楽しむことができる。
 私は温泉につかっている時間も好きだが、入浴後のぽかぽかと火照った体のまま、ぐうたらする時間も好きである。冷えたビールがうまいこと! 外にふらっと出かけて涼風にあたるのもいい。寒い時期ならこたつに入って、ボーっとするのもいい。入浴後の読書も至福のときである。うとうとしてきたら、ちょっと昼寝するのもいいだろう。
 夕食までの時間を自分でコントロールできれば、そのソロ温泉は半分成功したのも同然である。温泉旅館に泊まると、食事やチェックアウトの時間が決まっているので、旅館のペースに合わせざるをえなくなる。それでは、心身は休まらない。チェックインを早めに済ませることで、ゆっくりと温泉につかり、時間的にも精神的にもゆとりがもてる。ソロ温泉では、この「ゆとり」の有無がカギとなるのだ
 旅館のペースではなく、自分のペースで温泉を楽しむための有効な方法はまだあるが、それについてはあとで触れよう。

┗ただ温泉に入る

 ソロ温泉のいいところは、気軽だという点だ。実行しようと思えば、いつでも誰でもできる。
 同じ単独行でも、ソロキャンプやソロ登山などはハードルが高い。揃えなければいけないグッズがたくさんある。車も必要だし、初期費用もかかる。
 その点、ソロ温泉は身一つで実行できる。極端な話、手ぶらでも行ける。仕事終わりに、ふと「温泉に入りたいな」と思ったら、お目当ての温泉に向かう電車に乗り込み、宿泊可能な宿を検索し、予約すればいい。現地に着けば浴衣もタオルもある。下着は途中のコンビニなどで買えば事足りる。
 ひと昔前なら、そんな思いつきの旅は「冒険」の色をおびていたかもしれないが、今はインターネットがあるから、当日に宿を探すのも簡単だ。翌日の予約であれば、もっと選択肢は広がる。
 このようにソロ温泉は物理的にはハードルは低いはずだが、意外と心理的なハードルが高いようだ。
 温泉に行きたいという願望はあっても、「ひとり旅はちょっと……」という漠然とした不安が行動にブレーキをかけてしまう。
 私が10年ほど通っていた美容室での話。ずっと同じ男性美容師さんにカットしてもらっていた。だいぶ打ち解けていたので、カット中に温泉や旅のこともよく話題にあがった。
「僕もひとりで温泉行きたいんですよね」
 1年に一度くらいの頻度で、美容師さんからこのセリフを聞いたが、結局、彼はソロ温泉を決行しなかった。話を合わせてくれていた可能性もあるが、話しぶりからは本当にひとり旅に憧れがあることは伝わってきた。たぶんソロ温泉をしてみたかったのだと思う。
 それでも、10年ものあいだ実行に移せなかったのだから、私が思っている以上にソロ温泉は、心理的なハードルが高いようなのだ。彼の背中を押すことができなかったのは、私の熱量不足ゆえかもしれない。もっと強力にプッシュしておけばよかったと後悔している。
 ひとり旅をしたことがない人からよく聞かれる声が、「ひとりで温泉に行っても何をしたらいいのかわからない」という漠然とした不安だ。
 答えはシンプル。
 何もしなくていい。温泉に入るだけでいいのだ。
「何かをしなくてはいけない」という先入観があるから、面倒くさく感じ、あきらめてしまう。
 温泉旅なのだから、湯船につかって帰ってくればいいのだ。ゆっくり温泉に入って心身を休めることができれば、それでソロ温泉は成立しているのである
「せっかくの温泉旅だからいろいろ楽しみたい」という思いがどうしても消えないなら、今はあなたの心がソロ温泉を求めていないのかもしれない。ソロ温泉ではなく、家族や友人を誘って温泉に出かければいい。旅のスタイルに優劣はない。ソロ温泉は、あくまでも旅のスタイルのひとつにすぎない。あまりむずかしく考えないことだ。

┗温泉「旅行」と分けて考える

「何をしていいのかわからない」と同じくらいよく聞かれるのが、「ひとり旅はさびしいのでは?」という声だ。
 実際、ひとりだと孤独を感じ、旅を楽しめないという人も多いだろう。無理して温泉に出かけても、かえって気疲れするだけなので、ソロを押しつけるつもりはない。
 だが、ソロ温泉の魅力を知っている私からすれば、普段、顔をあわせている家族や友人と、なぜ温泉もいっしょに行かなければならないのか、と感じてしまう。普段の人間関係やしがらみから逃れられるのがソロ温泉の魅力だというのに。
 だから、家族やグループで温泉に来ている人たちを見ると気の毒とさえ思えてしまう。もちろん、誰かといっしょに来ている人から見れば、私のほうこそ「ひとりで気の毒に」と思われているのだろうが……。
 ひとり旅が向いているかどうかは、もともとの性格も大きく関係するかもしれない。私の子ども時代は、友達と遊ぶのも楽しかったが、それ以上に、想像の世界で遊ぶことが好きだった。小学校・中学校と野球に打ち込んでいたが、団体スポーツは苦手だった。野球自体は大好きだったが、チームプレーという概念にあまりなじめなかった。
 それよりも、想像の世界で自分の架空のチームをつくり、ひとり空想しながら架空のチームと対戦している時間が好きだった。練習から帰っても自宅の庭で素振りをしていたので、まわりは練習熱心だと思っていたかもしれないが、じつは素振りをしながら頭の中で想像の試合をひとりで楽しんでいたのである。
 ちなみに、中学校の最後の大会で敗退が決まったとき、チームメイトはみんな号泣していたが、私はいくらがんばっても涙が出なかった。気まずくて顔を隠して泣いたフリをしたほどである。
 この性格は社会に出ても変わらなかった。新卒で入社した会社で仕事を覚えたら、30歳で独立し、ひとりでもできる編集とライティングの仕事を始めた。そして、温泉旅もたいていソロだった。もともとひとり旅に向いている性格なのだと自分でも思う。
 ひとり旅には向き不向きはあるだろうが、多くの人は「ひとりになりたい」「人間関係に疲れた」と感じるときがあるはずだ。そのときこそ、ソロ温泉に出かける絶好のチャンスなのである。

 私の場合、ソロ温泉と家族や友人といっしょに行く温泉は、まったく別の旅のスタイルだと分けて考えている。家族サービスで温泉に行くなら、サービスに徹する。自分が癒されようと思わず、同行者がよろこんでくれるよう最善を尽くす。そう割り切れば、誰かといっしょに行く温泉も楽しめる。
 いちばんいけないのは、同行者と目一杯旅を楽しむだけでは飽き足らず、同時に温泉でも存分に癒されようと、二兎を追うことである。
 ソロ温泉と、その他の温泉旅行は切り分けてとらえることが大切である。そういう意味では、ソロ温泉を始める適齢期があるとすれば、独身時代かもしれない。働き盛りの20代、30代の若い人にこそ、ソロ温泉の魅力を知ってほしい。
 若いうちにソロ温泉で心身を休めることの魅力を体験し、それを習慣にできれば、これからの長い人生、ストレスとうまく付き合っていくことができる。ソロ温泉は、よりよく生きるための知恵でもあるのだ。

┗リスクなし! 怖がらない

「ひとりで温泉に行くのは怖い。何かトラブルにあったらどうしよう」と不安になる人もいるかもしれない。
 だが、これまでの経験から言っても、国内のソロ温泉では海外旅行のような予想外な出来事はなかなか起きない。日本は治安もいいし、地方の温泉地はのんびりしたものである。カギのないロッカーに財布やスマホを入れたまま入浴しても盗難に遭うことはめったにない(もちろん貴重品はロッカーに入れるように!)。
 電車や飛行機、バスなどの交通機関はだいたい時間通りに動くし、ひとたび乗ってしまえば目的地まで連れて行ってくれる。
 ソロ温泉の初心者にとって、日本の旅には安心感がある
 もちろん、見知らぬ土地に出かけるわけだからトラブルに見舞われることもある。私のこれまでの旅でいちばんひどかったのは、2泊3日の旅の中で、寝坊で飛行機に乗り遅れ(自業自得)、レンタカーのタイヤがパンク、道幅の狭い悪道で立ち往生といったトラブルに立て続けに見舞われたことだ。当時は、絶望的な気持ちになったが、今となってはいい思い出である。ちょっとしたトラブルなら、旅のスパイスとなるだろう。

┗ニューノーマルの旅スタイル

 ソロ温泉は、これからの時代に適した旅のスタイルでもある。
 コロナ禍は、観光業界に大ダメージを与える結果となった。とくにインバウンドで息を吹き返しつつあった温泉地にとっては悲惨な状況である。温泉宿もまた旅行者の激減で苦境に陥っている。
 一日も早くワクチンが行き渡ることを祈るしかないが、ここ何年かは感染に気をつけながら、新しい旅のスタイルを模索することが必要になるだろう。
 そのひとつが、ソロ温泉である。ソロ温泉なら基本的に会話することもないので、感染リスクを抑えられる。湯船では「黙浴」となるので飛沫が飛ぶこともない。ひとりならお酒を飲みすぎて羽目を外すこともないだろう。

 コロナ感染のメカニズムについても研究が進んでいる。国立病院機構仙台医療センター・ウイルスセンター長である西村秀一さんは、『もうだまされない 新型コロナの大誤解』(幻冬舎)の中で、感染経路のほとんどは接触感染ではなく、エアロゾル感染(空気感染)であるとしたうえで、「露天風呂や温泉は換気の優等生」と述べている。
 露天風呂は絶えず風が吹いているし、屋内にある内湯や脱衣所も湯気が充満しないように換気を徹底している施設がほとんどだ。温泉施設でクラスター発生のニュースを耳にしないのは、換気が感染対策の肝となるからだろう(ただし、人が密集する脱衣所などは要注意)。

 旅行者を受け入れる温泉施設にも、ソロ温泉は安心感を与えられる。
「このご時世に大勢で宿泊してくれるのはありがたい。でも、正直にいえば、マスクを外してお酒を飲み、騒いでいるのを見ると、感染しないかと不安な気持ちになる」
 ある温泉宿の女将さんが漏らした言葉だ。
 これまでひとり旅を受け入れない宿は少なくなかった。受け入れていたとしても、平日限定だったり、料金がだいぶ割高だったりする宿も多かった。団体客と食事の席が近くて「もう少し配慮してくれてもいいのに」と思ったこともある。ひとり客は落とす金額が少ないのだから、あまり歓迎されないのも当たり前かもしれない。
 しかし、コロナ禍を経て、ひとり客への宿の対応も変わってくるかもしれない。
 実際、ひとり旅を歓迎し、専用のプランを用意している宿は増えている。最近はテレワークプラン、ワーケーションプランと称して、ひとりでの長期間の滞在をすすめる宿も出てきている。
 今後、さらにソロ温泉歓迎の宿が増えることを期待したい。

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無料版はここまで。以降ではソロ温泉のさらなる魅力や楽しみ方だけでなく、具体的な温泉地についても解説しております。

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