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日本人の良心を問う『海と毒薬』


海と毒薬  著者:遠藤周作(1923ー1996)

<あらすじ>
太平洋戦争時、九州の大学病院で米軍捕虜を生体解剖実験した事件をもとにしたフィクション
肺外科を担当する橋本教授はアメリカ人捕虜3人を生きたまま解剖実験手術をすることになる。それは3通りの条件で死亡までの時間を測定するものだった。
医局研究生の勝呂(すぐろ)と戸田は、手術助手として参加のオファーを受け入れてしまう。
B29による空襲を受ける日々「みんな死んでいく時代や、病院で死なん奴は、毎晩、空襲で死ぬんや」と戸田はいう。施療患者への治療や手術が実験であり、それが医療発展のためというより、学内の権力争いのためと知った勝呂は苦悩する。
(施療…貧しい人などのために、無料で病気の治療をすること)

狐狸庵先生(遠藤周作)への手紙

「生体解剖」という字面のおどろおどろしさから、ちょっと敬遠していた本でした。
今年の夏「新潮文庫の100冊」になり、どの書店でも平積みされていると、潜在的には興味があるものですから、つい手にとっては何度も読んだ裏表紙のあらすじに目をやり、決断までのわずかな時間かせぎをした私です。

ショックでしたよ。
あまりにも人の命が軽い。
病院なのに人を救わない。
でも、狐狸庵先生が実際の事件を知ったときのショックは、こんなものではなかったのでしょうね。
日本人の良心はどうなっているのだ、と。
同じ日本人としての疑問と怒りが、先生の中で果てしなく膨れ上がったのではと想像します。
「どうせ死ぬ」という思考が身勝手な出世欲とつながり、敵国の捕虜だから人間扱いはしなくてもいい。
それを「よし」としていた日本人。

倫理観は時代とともに進化します。
その当時は、たとえば江戸時代にくらべたら進化しているはず、なのです。それが戦争で後戻りしたのでしょうか。
倫理が時と場合によっては、エゴに変換される実例を見せられた気がします。

先生にひとつ質問があります。
もし、勝呂や戸田がクリスチャンだったら、同調圧力をはねのけ「ノー」が言えたのでしょうか。
この本の解説でよく書かれていることに、神をもたない日本人、とあります。

キリスト教などの宗教には、絶対視される神の教えがあり、行動規範となるその教えのもとで、個人は自由で尊重される。
クリスチャンである作者はここに、神をもたない日本人、個人より集団心理で行動する日本人の良心へ疑問を投げかけたのだ。

最初にこのような解説を読んだとき、私はそうかしら、と思いました。
アメリカ人だって戦争で人を殺すし。
でも、そういうことじゃないんですね。

個人より集団での和が尊重される日本人の倫理観は弱いといわれています。
波風を立てない、空気を読む、出る杭は打たれる、日和見主義。
今日でも通じることですが、集団やコミュニティーにおいて明確なルールを設けず、その場の雰囲気に合わせることが美徳とされる日本社会です。

倫理観は個人にもあるし、社会全体で認識されているものもあります。
でも、良心は個人にしかありません。
この作品で先生が問うたのは、一人ひとりの良心だったのですね。
他人に合わせるのではなく、自分はどう考えるのか、どう行動するのか。
その決断に責任や矜持をもてるのか。

読まなければいけない空気。
その中をフラフラする思考が、人の命にたいする良心さえも捻じ曲げてしまった。

果たして今の日本人はどうなっていると思いますか?
状況こそ違えど、たいして変わっていないかもしれません。
テクノロジーの進化による監視社会は「ネット上の隣組」のようで、便利な反面、窮屈な社会だと感じます。
倫理を盾に掲げている正義が、実はエゴと紙一重だったりします。

ひとときさえも明るい気持ちになれなかった本ですが、読んでよかった。


こどもの頃の記憶でうっすら覚えていますよ。
あのテレビCMを。
♪ ダバダァ~ 遠藤周作・狐狸庵先生、違いがわかる男のネスカフ……

次は『悲しみの歌』でお会いしましょう。

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