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土用の丑の日、雑で歪

 子供の頃、10歳くらいの時分で「好きな食べ物は?」と聞かれたら「ひつまぶし」と答えていた時期があった。ただ今考えるとそれは子供のカッコつけだったと思う。ひつまぶしをそれなりに美味いと感じていたがそれよりもひつまぶし、鰻重でも鰻丼でもなくひつまぶしと答えることがオトナっぽい、通っぽいからという子供らしい背伸びである。ブラックコーヒーやワサビと同じ。
 しかしブラックコーヒーやワサビは普通に成長するに連れて味覚や感性の発達でナチュラルに美味いと思えるようになったが、今考えるとひつまぶし、ウナギを美味いって言うのってオトナっぽいか? …と思う。ベッタリと漬けられた甘辛い醤油ダレの味が美味さの9割だし、それに最悪歯がなくてもほぐれる様なやわやわな味があるのかわからない白身の魚肉に合わさっていて美味さのベクトルとしてわかりやすい、子供舌や馬鹿舌でも美味いと感じるタイプの味、料理だ。山椒がある以外はハンバーグとかオムライスとかと大して変わらない。むしろ大人になってから甘辛い醤油ダレとかソースが苦手になった。冷凍食品の焼き鳥やカツみたいに質の悪い肉をごまかすためにベッタリ付いていることが多くて下品と感じるようになってしまった。

 散々言われているが、ニホンウナギは絶滅危惧種(IB類)、完全養殖が確立されておらず稚魚を捕まえて育てている、稚魚の大半が違法に漁獲されている、となると食べる気にならない。少なくともスーパーやコンビニ、回転寿司や牛丼チェーンが1,000円やそこらで扱っていいような代物じゃない。CSの「アニマル・プラネット」のスポンサーの通販番組が通年お値打ちなウナギを売り続けるのは理解に苦しむ。

 何年も食べていないしわざわざ「当店で扱う養殖ウナギはクリーンな業者から仕入れたものです」と宣言しているような店を探して高い金を払ってまで食べたいと思わない。

 大体夏バテ防止なのに夏の時期で旬から外れて身が痩せた魚を食うのは道理に合わない。丑の日だから「う」の付くものを食べるといい、という風習としてのルールが雑で発想としてなんか偏差値が低い。うどんや梅干しを差し置いてウナギがメインなのは恣意的だし。丑なんだから牛オンリーならまだわかるが。あと卯の立場はどうなんだ。まだ後発の恵方巻の方が方角だとか無言で食すとかそれらしいルールを取り決めている。ガセ雑学で発案者と言われ続ける平賀源内が不憫である。
 栄養があるたってこの飽食の時代、普通にウナギより栄養のある美味い食物、料理なんてフードロスで文字通り掃いて捨てるほどある。
「滋養強壮にいい」「特別な日、ハレの日に食べる」という固定観念が日本人に植え付けられてしまったのは新見南吉の『ごん狐』で、ごんが網からウナギを逃がしたせいで兵十の病気だったおっ母がウナギを食えないまま死んだのが大なり小なり噛んでいる気がする。しかしそれですらごんの罪悪感による思い込みだし。

 風習だなんだって言われたって多くの人は話題作りやSNS映えのために食っているに過ぎない。恵方巻やウナギは華やかだったりするから食べるけど冬至のカボチャ七草粥も大抵の人は食べない。大して美味くもないしバエないし企業側も扱ったところで儲けにならないから。だから最近の出来合いのおせち料理はなんの縁起と掛かっているかわからないローストビーフが当たり前のように入っている。

 土用の丑の日とウナギに纏わり付いた世間の空気感、とにかく雑で歪、漫然としていると感じるのです。


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