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真夏の無計画 4日目 ~北の大地と天国と地獄~

旅に出ると睡眠時間が短くなる性分である。その日を振り替えって写真を見返したり、翌日の行程や食事を考えたり、とにかくテンションが上がりっぱなしだからだ。一方で、寝るのが遅いため当然起床はつらい。寝ぼけ眼で窓を開けると札幌の朝は予報通り雨。チェックアウトを済ませて8:00ごろにあの狭い駐車場からデミ夫を脱出させる。どんよりとした空の下、デミ夫だけは元気だ。

セイコーマートで朝食を買って車内でもぐもぐ食べていると雨が急に強くなってきた。デミ夫を恐る恐る発進させる。
唐突だが、私にはワイパーのスイッチが理解できない。私はいつも、ウィンカーをつけるためのハンドルの横にある棒状のスイッチに機能を集約しすぎではと思っている。シンプルさはときに記憶力頼みであり、あいにく私は記憶力を持ち合わせていない。私はいつまでたってもあのスイッチの役割ごとの配置が覚えられないので、ワイパーを起動しようとすると指示器が点滅をはじめ、ハイビームが点き、フロントガラスに洗剤が出て、やっと動いたと思いきやリアワイパーである。後ろの車は、やべえやつがいる、と慌てて車間を開ける。私は車内で軽くパニック状態なので後続の車のドライバーは懸命な判断である。いじくり回して何とかワイパーを起動したが、やたら高速で窓を拭いてくる。しかし、スピードを緩めようとして止めてしまったらまた最初からやり直しだ。というわけでデミ夫は小雨の中、前後のワイパーをバタバタさせながら走っていた。

私の頓珍漢はさておき、今日の行程をおおまかに説明しよう。今日は北部を除いて全道的に雨になる予報だったので、雨雲から逃げるべく北の果て、稚内まで走る。天気によって行き先を決めるのは当日まで目的地を決めないからこそ為せる技である。

稚内まではまっすぐ行っても300km以上はある、大変な旅程だ。
はーるーかなー北をーめーざーせー(古い)

札幌➔新十津川➔留萌

留萌から日本海沿いに出てオロロラインと呼ばれる国道を北上する最短経路をとることにした。高速道路を使うのは景色がよくないし、好きなところで止まれない。貧乏学生は下道が性にあっている。

留萌までの道のりは雨降りとはいえどこにも寄らないのも面白くないので、今年3月に廃線になってしまった札沼線に並走する国道を通ってみる。運転手の強権を行使して鉄道ファンでないF氏を言いくるめた形である(かわいそうなF氏...)。まずは秘境駅と名高かった豊ヶ岡駅に着いた。

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レールはまだ残っているが、まっすぐな線路を横切っている真新しいフェンスがここに二度と列車が来ないことを物語っている。鉄道ファンとしては辛い光景である。去年は列車でここを通ったというのに。ショボーンと豊ヶ岡駅を後にして新十津川駅に向かう。

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駅の手前を走っているとキツネが道を横切った。驚いて止まると、普通の住宅街なのに平然と道端で頭を掻いている。こういう光景はテンションがあがる。神威岬の時といい、暗い気分になるとなぜかキツネが出てくる。やさしいせかいだ。

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新十津川駅は小さな観光案内所になっていた。交通の結節点という役目を失ってなお、街のシンボルや人の交流の場であり続けることもある。駅というは不思議な空間だなーと思う。

札沼線に別れを告げて留萌へと走る。新十津川の時点で雨はほとんど上がっており、北の空には晴れ間が見える。カーナビに載っていない新しいバイパスが完成していたので想像以上に早く着いた。カーナビが知らない道路を走るとカーナビが憤慨して無言になるので楽しい。留萌を過ぎると大きな街はしばらくない。給油と昼食をすませなければ、と慌てて店を調べる。

二回目の給油もモダだった。まさか余市の怪しいガススタがここにもあると思わなかったので驚いた。3日目の記事で述べたとおりこのあとも散々お世話になる。

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昼食は漁師の店富丸という店に入った。1000円くらいに納めようと思っていた貧乏性の我々は比較的安い1000円のホッケフライ定食とエビフライ定食をチョイスしたが、どちらも売り切れと聞いて戦慄した。仕方なく少々お高い刺身定食の竹を頼んだがこれは大当たりだった。刺身はどれも分厚くておいしい。北海道は本当に食に恵まれている。少々お高いとか言ったが後から考えるとこれで1650円は破格だろう。堪能した。

留萌➔天塩

留萌を出発し、満腹の我々とデミ夫は海沿いの道を快走する。まっすぐに北へ向かう一本道。カーナビは90km先右折とぶっきらぼうに言って沈黙してしまった。北海道を感じる。

右側は崖(海岸段丘)、左側は海という光景が延々と続く。いい景色といえど飽きてくるのも事実である。途中で休憩に、と道の駅に入ると鰊番屋が残されていた。

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面白い構造である。鰊だけで長者になれるほど漁が盛んだったころに思いを馳せていると鰊そばが食べたくなった(たぶん思いを馳せたのが直接の原因ではなく鰊というワードを聞いたからだ。食い意地がはっている)。しかし、留萌からまだ30km、一時間も来ていないことに気づいてやめた。先は長い。

北海道の道は信号が極端に少なく、人口密度が低いので警察の取締り濃度も低いといえる。飛ばす条件は揃っているわけだ。前の車に合わせて走っていると普通に高速道路並みの速度になる。前の夜にテレビで警察24時を見た我々は気が気じゃない。壁に耳あり障子に目あり、幹線道路に交通隊

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100km以上続く景色は睡魔を呼ぶ。眠いので初山別の岬で休憩した。雨はぎりぎり降っていないが半袖だと寒い。日本で一番北の土地へ向かっていることを実感する。灯台から見えたのは利尻島か。

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ずっと走っていると話題が尽きてくる。そんなとき会話の起点となるのが「ナイスウポポイ、フー!!!」という謎の叫びである。
道路には交通情報などを知らせる電光掲示板がある。北海道の電光掲示板に映されるのはなぜか最近(当時)オープンしたアイヌの民族博物館(共生空間?)「ウポポイ」の広告ばかりなのである。2日目、3日目は数が多いなとは思いつつもウポポイのある道央を走っていたので特に疑問はなかった。しかし、この4日目、ウポポイのある白老とはまったく逆方向の道北に進んでいるにも関わらず、ずっとウポポイが広告されているのだ。だからどうした、と言われればそれまでだし、実際そうなんだが、どれだけ離れても出てくるウポポイを見かけるたびに我々はなぜかテンションが上がってしまい、どちらかが「ナイスウポポイ!」と叫んだのを契機にウポポイの広告を見るたびに「ナイスウポポイ、フー!!」と盛り上がった。冷静に記述すると狂気の沙汰であるが旅行中の知能指数なんてだいたいこんなもんだ。ちなみに電光掲示板がたまに「鹿注意」など他の掲示を出していたときや消えているときは「ノットウポポイ、ブー!!」とブーイングを残して走る。やべえなこいつら。
精神的に極めて危険な状態である。

ウポポイはさておき、さらに一時間ほど走って手塩川の河口付近まで来た。国道を逸れて海沿いのオロロンルートに入る。

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海岸の原野を突っ切る道の横に現れたのは整然と並んだ風車群。ここはオトンルイ風力発電所である。建物がなく木も山もない、広い緑の平原に白く背の高い風車がズラリと並んでいるのでかなり異質な感じがする。だがそれがいい。

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望遠レンズで撮るとこんな感じだ。F氏にカメラを渡して撮ってもらった写真をトリミングした。

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利尻岳とF氏。ここはいいところだ。説明はいらない。レンズのほこりが写っててつらい。

まだまだ北へ。オロロンラインの道道106号線にはたまにシェルターがあって面白い。冬にホワイトアウトが起きたときに逃げ込めるように作られているようだ。サロベツ原野の人工物はなにかとディストピア感がすごい。最終戦争が終わって人口が一万分の1くらいになった300年後の地球こんな感じしてそう。

天塩➔稚内

北緯45度を越えた。天気予報は的中し、きれいに晴れてきた。日頃の行い(主にF氏の徳と思われる)の賜物である。海岸の道を一旦離れてサロベツ原野センターに立ち寄ってみた。

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国内有数のすばらしい生態系を持った原野だ。まるでWindowsの起動画面のよう。しかし、特別動植物に知見のあるわけではない二人にとっては正直広大な原っぱにしか見えない。勉強不足が悔やまれる。早歩き気味にコースを巡る。木道の無いところは湿地で泥炭のせいか水は真っ黒なので底無し沼の雰囲気があった。室内展示を見るのもそこそこにサロベツ原野センターを後にする。

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海沿いの道にもどって傾き始めた太陽を横目に北へと。稚内はもうすぐそこである。夕陽がいい感じに見えそうな気配がするので、セコマで飯を買って(定期)、夕陽台という展望台から眺めることにした。

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なんとまあ美しいことでしょう。夕陽が赤く煌々と輝いて、ほら、レンズについたホコリがくっきり...。レンズはこまめにふきましょう...。

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手前の斜面に鹿がいた。夕陽に映えた角がすごく立派である。神々しい生き物だった。いいところに住んでますな、鹿殿。

陽は沈み北の大地は冷え込んでいく。ここで重大なことを発表する。今日は宿を取っていない。gotoキャンペーンなので安い宿があると踏んでいたが見つけられないままこの時間になってしまった。ではどうするのか。もうこれしかない。車中泊だ。そしてこれは、危険な選択であった。

とりあえず風呂には入りたい、ということで日本で一番北の温泉こと稚内温泉童夢というスーパー銭湯へ行く。夕陽台から数キロなのだが、恐ろしい道のりだった。理由はさっきの神々しい生き物たちである。

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いったい数キロの間にどれだけ鹿がいたのか。特に山道というわけでもなく海沿いの線形のいい二車線道路なのに、「飛び出す鹿を避けろ!」とかそういうゲームなのかと言わんばかりの頻度で鹿が横断するので、いつ轢くか気が気でなかった。時速20km以下で走っていたら、稚内ナンバーの車がすごいスピードで抜いていくので、鹿殺戮マシンかな、と思った。温泉の建物が見え、ようやく着いた、と思ったら鹿が敷地内に飛び込んで行くのが見えた。奈良といい勝負の鹿無法地帯である。

さすがに温泉の中に鹿はおらず、いい湯だった。露天風呂を二階にしてよかったね、と思う。下手したら鹿の行水場である。

車を走らせて道の駅稚内にたどり着いた。調べるとここで車中泊する人はけっこういるようなので安心した。換気用に少しだけ窓を開けて座席を限界まで倒す。小さい車だが何とか寝れるだけのスペースは確保できた。長い一日もこれで終わり。おやすみ稚内....

いや寝れん。さっむい。何だこれ。8月の気温じゃない。雪降りそう。このまま寝たらまじで凍死するでは?8月に凍死ってどゆこと?

とりあえず着るものを探す。しかしなぜか長袖が一枚もなく(用意が悪い)、羽織るために持ってきた上着さえ肘までしか布がない。何だこの中途半端な袖は!窓が!開いてるんだよ!でも、F氏は用意周到にバスタオルを持ってきておりすでに眠ってしまったため、窓を閉めるためにエンジンをかけて起こしてしまうのも忍びないなあ。(このあたりはもう寒さで正常な判断ができなくなっている。)エンジンをかけて暖房をつけたまま寝るというのを思い付かなかった私は、ジャージのズボンを両腕に通し、上着を腰に巻き、フェイスタオルを顔にかけ、靴下を二重にはくという未曾有の前衛的防寒ファッションに身を包んだ。

なりふり構わず生を優先するのは死に直面した厳冬の雪山ビバークでは当然のことだろう(真夏だし、雪山ないし、テントでないのだがこのときは本当にこんなことを感じていた)。寒さと凍死の恐怖にガタガタ震えつつ、深夜1時ごろになってようやく眠りについた。稚内、恐怖の夜であった。



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