見出し画像

第21回 第一逸話『テレマコス』その6 

 海辺を歩く三人。
ヘインズが聞きます「ここ借りてるの? マーテロ塔だっけ?」。
ここでやっと舞台の名前が出てきます。この小説はほぼスティーヴン(or後ほど出てくるブルーム夫妻)の意識の流れで書かれているため、彼らの目に映っても、独断と偏見により気に留めていない事物は、全部無視されているので、スティーブンのやつは読者に親切に説明なんてしてくれません

 で、今回はたまたまヘインズが口にしたから。
「そう、陸軍大臣から。年12ポンドだよ」
 本逸話の舞台マーテロ塔とは、元々大砲台なのですが、前にもお伝えしたように、ここでのお話は、作者ジェイムス・ジョイスの身に起きた事実をモデルにしております。本逸話の人物のモデルはそれぞれ、スティーブンがジョイス、マリガンがジョイスの友人オリバー・ゴーガディ、ヘインズがやはりイギリスからの留学生CS・トレンチという男です。彼らの年齢素性も同じです。彼らは実際、このマーテロ塔を借りて住んでいました。ただし事実の方は、マリガンのモデル、ゴーガディが家賃を払っていて、ジョイスは居候です。ジョイスは一週間ほどしか滞在していないそうです。というのも、本逸話の中で、ヘインズが夜中にピストルをぶっ放したという逸話が語られますが、なんとこれもほぼ実話で、トレンチという男は少々ヤバいやつで、ある夜「黒豹が見える!」とか言ってピストルをぶっ放したそうです。本逸話ではスティーブンは翌朝彼を許していますが、実際は翌朝早々にジョイスは逃げ出しました。
 
 ということで、事実の方はマーテロ塔の支配者はゴーガディになります。なので本逸話の方もその創作人の方マリガンが家賃を払ってる? …はちょっと違うと思う。それじゃ創作にした意味がなくなります。

 小説内では、この家賃を誰が払っているかは、はっきり示されていません。
で、長年いろんな研究者がスティーブンだ、いやいやマリガンが、という具合に議論されてきました。と言うのも、

スティーブンの独白で”あいつは鍵を欲しがっている。俺の鍵だ。僕が家賃を払ったのだからな”と言ってて、

じゃスティーブンが払ってんだろ?ってなるけど、実はこの独白には続きがあ流、のではないか…

”あいつは鍵を欲しがっている。俺の鍵だ。僕が家賃を払ったのだからな〜と、マリガンが僕に言ってたな”
があるんじゃないかと。

 つまり実際言ったのはマリガンで、やつの言ったセリフをスティーブンが意識の流れで復唱してると、そして最後の方はただ単に省略した、と。そんなことを言っている研究者がおられます

 これはすごい。
 たしかに上記の独白の直前、スティーブンとヘインズの少し後方にいたマリガンが「スティィィィィィィィィィィィィィィィブン!」と、
召使でも呼ぶ時のようにスティーブンを呼びつけ、スティーブンはうんざりする感じで「俺の使い魔が呼んでいる」と吐き捨てるみたいな独白が記されています。いくらマリガンでも、普通居候がこんな偉そうにはしないはず。

 とにかくスティーブンは、マリガンという男に心底うんざりしていることは間違いない。

 そしてそれに続くスティーブンの独白、”〜そのうち鍵をよこせと言い出すだろう(マリガンが僕に)。くれてやるさ。やつの目つきで分かった”
実際スティーブンが普段鍵を持っていて(なぜ持っているかは不明)、本逸話の最後、その鍵を独白通り、マリガンに渡している。
つまり辻褄が合う。
じゃやっぱマリガンですかね。さらに、本逸話最後の一文…。は、後ほど。

さて、
 ヘインズが聞く「君のハムレット論ってどんなだい?」
すると聞かれていない方のマリガンがすかさず口を挟み、「こいつのハムレット論最高だぜ(また金をせびろうとしているのか)。ハムレットの孫がシェイクスピアの祖父であり、ご本人(スティーブン自身)は実の父親の(サイモン・ディダラス)の亡霊であると、代数を使って証明するんだ」。

??なんのこっちゃ??
これについては第9逸話『スキュレーとカリュプディス』にて改めて…。

 その後の発言は意味深です。
「この父親探しのペテン野郎(柳瀬尚紀訳ではこうなっている)」

 ヘインズは今自分達がいた後ろの建物マーテロ塔が、ハムレットの舞台エルシノア城を思わせると言っている(1948年公開の映画『ハムレット』で描かれるエルシノア城は確かにマーテロ塔に似ている)。
 実は、この『ユリシーズ』と言う小説は、『オデュッセイア』だけじゃなく、ウイリアム・シェイクスピア作『ハムレット』』も枠組みに利用しているらしい。
 そしてスティーブン・ディダラスは作者ジョイスがモデル。スティーブンは『オデュッセイア』におけるテレマコス王子と、『ハムレット』におけるハムレット王子を、常に自分に意識している人物として描かれているみたい。


 ヘインズが言う「この塔は、どこかハムレットのお城に似ている」も、それを示唆している。
 自分をハムレットと重ねるなんざ、並の小僧にはできない自意識の塊(なにせ作家志望のインテリにして家系も良い。絶対自分は選ばれた人間と思っている)。

ハムレットがいう、劇中の名台詞…
”生きるべきか、死ぬべきか? それが問題だ”
ってね。


 
 唐突ですが、筆者である私もたまに浮かんで見ますよ、この言葉を。
何か失敗をやらかした時…。
カップラーメンのお湯ぶちまけた時。朝遅刻しそうになった時。漢字の読み仮名の間違いを誰かに指摘された時。

“あぁ〜、俺は生きるべきか、死ぬべきか”

 すると何だか気持ちが楽になるのです。なんか全てが、大したことなさそうに思えて。

 余談はさておき。

  父親を探すテレマコスと、父の亡霊に動かされているハムレット王子。
 でも、スティーブンにはれっきとした父サイモン・ディダラスがいるのに、無視されている(もちろんのちに登場)。イエスの父(養父)ヨセフのように…。

「どこかであれの(戯曲『ハムレット』)神学的解釈を読んだ事があるな。父と一体になろうとする息子」とヘインズ。
?????????????????????????????????????
 『ハムレット』ってそんな話だったの? 
 お父さんの仇を取ろうとして、でも結局なんだかんだで色々罪を犯したせいでバチが当たる話だと思ってたのに。
 あ、でも父の亡霊に動かされているハムレット王子…。亡霊は実は王子の都合の良い創作で、彼はただ憎い叔父を殺し母を取り戻したい動機が欲しいだけだったのかもしれない。つまり亡霊とは彼自身だったのかも?
(あでも守衛たちも目撃してたっけ)

 何にせよ、今スティーブンは、自分の背中を押してくれる父のようなものを探しているんじゃなかろうか。

 さて、その後マリガンが歩きながら口ずさむ歌は、イエスやキリスト教そのものを冒涜した恐れ知らずな歌。

”お袋はユダヤ人(マリア様)で親父は鳥だ(神様のこと)
反りが合わんぜ叩き大工のヨセフとは
(マリア様の夫ヨセフの職業は大工)

”俺を神だと思わぬやつにはワインなんか飲ませねえ(キリスト教のミサでは赤ワインをキリストの血に見立てることから)、代わりにおしっこ飲ませたる〜(こいつおしっこ好きだなあ)

「随分ひどい歌だね」「イエスのバラードさ」「いつもあんなの歌ってんの?」「一日3回。食後にね」「…はあ」
「スティーブン、君も信者じゃないんだろうね。あの奇蹟とかなんとか…。僕はあの位格神(三位一体。父と子と精霊)がどうも信じられないんだが。君はどう?」
「僕は自由思想の忌まわしい見本ってわけか」
 スティーブンは、前作『若い芸術家の肖像』のラスト、信仰からの落伍者(自由思想?)になっている。

「つまりね」とヘインズ。「君は自由に行動できる能力があると思う。誰の指示も受けない男だ」
「僕は二人の主人に支える召使さ」とスティーブン。「?」
「イギリスとイタリアさ。大英帝国と、ローマ・カトリック(捨てたくせに、捨てきれていないのか?)。それと今は三人目もいる(マリガン、やっぱり彼は居候?)」
「あ〜。そりゃ僕はイギリス人だし。…君たちアイルランドに不当の仕打ちをしていることはわかっている。悪いのは歴史だよ」
マリガンはクソだけど、ヘインズはそうでもなさそう。



 彼ら三人の前に、二人の男が現れる。商人と船頭らしい。

「ブロック湾へ行きますね」「あの辺りは五尋の深さだ。一時ごろにはあっちに流されちまう。今日で九日だ」

 ここで唐突な展開、九日前にここで溺死した人がいたらしい。船があっちこっち、その水死体を探しているとのこと。
 
 そして、”膨れた水死体がポッカリ浮いてきて、日にさらけ出す。ほら俺は(死体)ここだよ”
スティーブンの気味悪い独白。
 
  しばらくすると、今度はある若い男が登場。スティーブンの知らない男らしい
 そいつはマリガンとは親しそうに話している。
「お前の兄貴元気?」「ああ、今ウエストミースに行ってんだ、バノンの家に泊まっている」「バノンの?」
「バノンの奴、向こうでカノジョ見つけたそうだ。フォトガールだって」「もうかよ。まさに短時間露光の早業だね」
 どうでも良さそうな短い会話ですが、このバノンとか言うマリガンの知り合いは、後半で登場するそうです。そしてこのフォトガール(写真屋の売り子)ってのも、のちに登場願う、ある重要人物の娘らしいです。

 で今度は中年おじさんの登場。みんなからは少し離れたところにいるらしい。おじさんは朝っぱらから海水浴してて、今岸に上がって一休みらしい。スティーブンの独白によると、頭のてっぺんは禿げ上がり、その周りを花輪飾りが取り巻くとある。
 マリガンが一人、このおじさんの近くに行くと、スティーブンとヘインズの方に目をやり、額と唇と胸に指を回し、十字架を切って見せる。このおじさんはカトリックの司教様だったのだ。だから禿げてるのは司祭がする剃髪(トンスラ)で、わざわざそうしてる。花輪飾りは、周りの輪っか状の頭髪をスティーブン的に表現しているらしい。

「もう行くよマリガン」、スティーブは仕事に行こうとする。ちなみにマリガンとヘインズは現在学生。
鍵を置いてってくれ。あと2ペンスも。後で一杯やりに行くんだ」
 それを聞いたスティーブンは、鍵と2ペンスを置く。

 おい、ちょっと待て!


 お前(スティーブン)、自分が持ってるのに、あん時ケチって、気の良いミルク売りおばさんに借金したのか!

 で、2ペンスを置くスティーブンを見てマリガンが「貧しきものより盗むものはエホバに貸すなり」と言います。これは箴言(旧約聖書の中の一書)に出てくる「貧しき者をあわれむ者はエホバに貸すなり」を自分の都合でもじったもの。意味は、「貧しいものから盗みを働いたら、神はそれに報いてくださる」(いや地獄行きだね)。
その後「ツラトゥストラはかく語りき!」って言う。ニーチェの『ツラトゥストラはかく語りき』でツラトゥストラ君が引用でもしたのかな。

「じゃあとで」とヘインズが立ち去るスティーブンに微笑みながら言った。
スティーブンの独白。「牡牛の角、馬の蹄(どちらもアイルランドでは注意するものの例え)、それとサクソン人の微笑み(アングロサクソン=イギリス人=ヘインズ)」やっぱりスティーブンはヘインズにも懐疑的。支配国のやつだもん。

「シップ(飲み屋。実際にあったらしい。この後も出てくる建物や通りも全て実際にあったものらしい。ブルーム夫妻の貸家も)で会おう。12時半だ」
 昼から飲むんかい?

二人と別れ、一人浜辺を歩くスティーブン。
【百合に飾られ…】また母を思う。

 また独白「今夜は帰らない。うち(実家)にも帰れないけど」
鍵も渡したし、マーテロ塔ともマリガンともおさらばってこと?
家賃払ってるやつがこんなセリフを吐かないだろう。じゃやっぱり塔の間借り人はマリガン?

 さっきの司祭さん海からスティーブンを呼ぶ。スティーブンも手を振った。二人は知り合いかな。
そしてついに、第一逸話、最後の一文…、で唐突に出る一文、

王位を奪うやつ(柳瀬版では簒奪者)”

 これは何を意味するのか? 
 スティーブンは『オデュッセイア』におけるテレマコスと『ハムレット』におけるハムレット王子に、自分を重ねている。と言うことは『オデュッセイア』における、王のいぬ間に神殿を荒らす近所のチンピラたちのこと? または『ハムレット』における兄を毒殺して王を奪ったクローディアス? の比喩表現?
じゃあそれは、鍵を奪ったマリガンのことを言ってるの? 
 アレェ、本物の間借り人に鍵を返しただけなのに。

…それとも、最後に出てきた(ローマ・カトリックの象徴として)司祭さん?
 なぜならラスト二行、

 ”甘い長く尾を引いた声が海から彼に呼びかけた(司祭さん)。彼は角を曲がりながら手を振った(スティーブン)。声がまた呼んだ。艶やかな茶色い頭が、アザラシの頭が、遠くの水の上に、丸く(スティーブンから見た司祭さん)

 そして唐突に、”王位を奪うやつ

 なんで司祭さんが”王位を奪うやつ”、なんだろう?
 後でわかるのか?

 ちなみに色々研究書とか読んだが、誰も司祭さんだとは言っていません。 



 第一逸話終わり。

 残り17逸話…、はぁ〜。


 遅れましたがここで、ジョイスが『ユリシーズ』執筆にあたり、作った計画表というのがありますので、少し記しておきます。

第一逸話
表題
『テレマコス』 場所マーテロ塔(ダブリン湾沿い) 時刻午前8時 学芸神学 象徴相続人(マーテロ塔をめぐるスティーブンvsマリガン) 対応(『オデュッセイア』と『ハムレット』との)スティーブン=テレマコス、ハムレット王子 マリガン=アンティノオス(『オデュッセイア』に出てくる王の留守中に王の妻に求婚する豪族のボンボン) ミルクおばさん=メントル(『オデュッセイア』に出てくるテレマコスの旅のお供)

 となっています。



よろしければ、サポートお願いします。励みになります。