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#1 「同期の中でお前が一番いらん」と言われた1年目

いつもお読み頂きありがとうございます。新シリーズスタートです。

 当社を希望して面接に来られる学生さん達、就活で未来に希望や期待、はたまた不安や失望を抱いていることもあると思います。話をしていく中で、私の新卒時代に興味を持ってくれる方も多く出てきます。
 25歳という年齢で起業に参画し、20年を越えいろんな出来事があったことはこちらに記載しています。

しかし、起業前はもちろん社会人デビューは新卒生として一般企業に入社しました。
【社長の新卒時代 エピソード】では、タイトル通り私の新卒時代がどんな感じだったか綴っていきます。私の新卒時代のエピソードを振り返ってどんなことが今に生きてきているのか、当時はわからなかった今だからこその内容をお伝えしようと思って始めたシリーズです。就活生や新社会人、1年目、2年目あたりで活動している皆さんに何か気づきがあれば嬉しく思います!!


■就職氷河期という時代

私の社会人デビューは2000年4月1日、今、社会問題になっている就職氷河期のさらに最底辺の時代です。

【就職氷河期世代の問題】
「ロストジェネレーション世代」とも言われ、現在40代の貧困問題として取り上げられています。具体的には1993~2004年に学校を卒業した人達で、バブル崩壊後の雇用環境の厳しい時代に高校や大学を卒業した後に正社員になれず非正規社員やフリーターとして、その後の人生を余儀なくされた人が多かった世代の問題

国が出している内定率の統計データは取り方の問題もありあんまり当てにできませんが、希望の企業や職業に就くことはなかなか至難の時代。内定がとれずに進路未定だった人が30%弱となっていますし、私の友人の中でもあえて留年を選ぶ人ややむを得ず大学院に進学する道を選んだ人たちもいました。

そんな中でも、複数社から内定を頂き、さらに希望する研究開発職での採用だったので恵まれた形で社会人デビューとなったのは今考えればありがたい状況だったのだと思います。私の就活についてはまた別の機会にご紹介します。

■同期入社という仲間

私の新卒時代の同期は8名、大学院卒1名、学部卒5名、高卒2名、年齢は18歳~25歳と幅広くそして全員男でした。上の代も下の代も男女バランスよく入社していたので「うちの代だけ男だけ・・・」とよく同期で落胆していたのを覚えています。しかし、男だけの同期ならではの楽しみもたくさんあって、本当によい時間を過ごしていきました。

部品メーカーでしたが、営業1名、開発5名、生産(工場)2名と配属もアンバランス。当時の私はただの新卒者でしたので人事戦略なんてわかりませんので会社としてどのような判断だったのかは全くわかりません。

勤務地は名古屋でして、会社の寮に入り仕事を開始することになりました。独身寮と言うこともあり同期メンバーで東京、京都、大阪組は入寮。東海組は会社の規定で自宅からの通い組となりました。同期で寮に入ったのは4名。この寮生活メンバーが、私にとって新卒時代の様々な問題を一緒に乗り越える掛け替えのない同志となります。この辺りも追々記載していきます。

【私の同期の面々】
〇最年長、自由人過ぎてダブりが続いた面倒見の良い兄貴肌
〇ノリと笑いのセンスがあり、いつも明るいムードメーカー
〇生粋の関西人、常に笑いを求め若干クドイ、同期唯一の営業マン
●アメフト出身で脳筋丸出しの完全体育会系
●高学歴・院卒、引っ込み事案のいじられキャラ
●研修中に結婚宣言して周囲を驚かせた高卒同期
●明るく素直な弟キャラ、みんなが可愛がる高卒同期
そんな中で、〇クールドライの堅物、曲がったことが嫌いな私

 ※〇が寮メンバー

同期全員誰とも被らない面白い面々が集まった感じですが、結構真面目に要領よく生きてきた私は仕事の評価においては、同期の中でも誰にも負けない自負がありました。

■同期の中でお前が一番いらん奴だ

新卒1年目の冬、休憩中に廊下で同期と話をしているところにたまたま寄った開発部長が来て世間話をしている時に唐突に言われた一言。

「!!!!!!!!!!、???????」

開発部は3つの室に分かれていて、開発部長は全体と第一開発室の室長を兼務。ここに同期2名が配属されていて、私は第3開発室でした。新卒社員にとって「部長」の肩書は雲の上の存在にも等しく、さらに同期から部長の凄さや人間味を聞いていたので、急に言われたこの一言に私は大きな衝撃を受けました。

直接的な仕事はないので、何をもってそのような評価になっているのか全く分からずただただ混乱しかしなかったことを強く記憶しています。

仕事の手を抜いたことはありませんし、先輩方からは他の同期が「礼儀礼節がなっていない」「期日管理ができていない」「何とかしろ」と言われていろいろフォローしてきたので比較的高評価してもらっていました。

私の心の中は

「えっ、あいつより要らない!?」、「なんで!?」

これがエンドレスループです。そしてあまりの衝撃に、先輩にも同期にもこのことを話すことすらできませんでした。

■お前はそういう性格か!

そんなこんなで年を越し、この疑問はまったく解決しないまま過ごしていきました。
当時の職場でも若手の定着は問題だったようで、ある時期に開発部長が若手社員と交流を図る目的で業務後にイベントが行われ始めました。車通勤が主でしたのでお酒ではなく、ボーリング大会が開催されたりしました。そんな一環で寮で麻雀大会が催されることになります。

独身寮ですので、気兼ねなくメンバーが入れ替わり休日前夜ともなれば時間を気にせず徹マン(徹夜麻雀)にもなります。

先輩の部屋に呼ばれ、面子に入った私は、開発部長と対峙。
「同期の中でお前が一番いらん奴だ」あの一言が甦りますので日和るのでしょうが、麻雀は仕事ではありません。

目の前の部長に対してもともと負けず嫌いな性格もあり宣言。
「〇〇部長、これは勝負事ですから手は抜けません、私は接待麻雀はできませんから!」

そして、圧勝!悔しがる部長から

「お前はそういう性格か!」

膝を突き合わせてお互いを知るいい時間になりました。局が終わり件の評価について聞いてみると

「いや、以前のお前は何を考えているかわからない感じだった。他の同期メンバーはその点、掴みやすかったからな」

確かに私は他人に対して心を開くことがあまりなく、常に当たり障りない態度、発言をとることが基本姿勢でした。先輩達にはある程度、素が出せても要役職者の方々に素で接することはできていませんでした。

■人間味が距離を縮め、理解につながる

よくお互いを理解しろ!
なんて言いますが、正直すべてを理解することなんてないと思います。それでも、仕事という形式的なつながりではなく、人間としてお互いの理解を深めていくには「本音で話す」ことが大事なことだと体感した出来事です。

思っていることは自分の外に出し、しっかり発信しないと相手にはわからない。勇気をもって自己開示することから関係性がつくられ始めていくのだと思います。

20数年経っても本質は変わりません。
今は多くの若手や新人を受入、接する立場として部長の気持ちはよくわかります。

新卒1年目、年齢やキャリア、肩書や立場に対して腰が引けてしまいますが積極的に自分を見せると同時に相手の発言にもしっかり耳を傾けていく。このバランスが健全な活動につながっていくのではないでしょうか?

それにしても新卒1年目で「お前が一番いらん」と言われた男が社長なんて立場で活動しているんですから、世の中何が起こるかわかりませんね(笑)

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