アイマイエ

特別な人が、特別にならなかったら。

小さな頃から"一家団欒"が少し苦手だ。

祖父母を合わせて7人の二世帯家族(+犬猫5匹)である我が家に、三兄弟の長男として僕は生まれた。
少子高齢化が叫ばれる昨今において、些か時代に逆行した家族形態である。

母はすごくヒステリックな人で、父は少しアホだけど少年漫画が大好きで優しくて、周囲からの信頼が厚い人だった。

僕は多分、母の危うさと父の熱さや温厚さを混ぜたような人間に育っている。

今思えば、母は、子との分離ができない人だった。
適した距離をはかれなかった愛情は、ただの凶器になる。
あれだけ人に好かれる父が追い詰められていく姿を見るのも嫌だったし、家に帰れば誰かがいて、自分と相手の距離が取れない我が家は、僕にとって心底窮屈な場所だった。
僕は家庭で全く喋らない子供になった。

祖父母が1階に住んでいて、両親や僕ら兄弟は2階に住んでいた。
中学生くらいから、僕は2階でご飯を食べられなくなった。
母は自分が作ったご飯を食べない息子に対し輪をかけてヒステリックになっていたが、僕は自分自身の心のバランスを保つために、あの強いられた一家団欒の中に身を置くことができなかった。

今も僕は2階でご飯を食べられないし、他愛のない話だって上手くできない。

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自分は生きていく上で身についた自信と自己肯定感の高さに反して、人から受け入れられることに対しての自信が著しく低い。
他人からの愛に、安心して身を任せられない。

愛を感じないわけではないし、湧いてこないわけでもない。
ただ、そこに身を置きに行ったときに執着に変わってしまうのが心底怖くて、少しだけ浮遊した状態で自分は人と関わる。

地面に足を着けると、溺れていってしまう。
特に自分が与える側に回っているときはより注意が必要だ。
とっても怖い。

足がついてなくても、飛んでいかないように手を取りながら、少しずつ距離を詰めていく環境や関係を築けたらものすごく幸せである。
もちろん、今まで出会ってきた人たちがそうじゃなかったわけじゃないけれど。
それでもまだ、自分は少し、浮遊している。

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そんな自分は、大人になってからシェアハウスに住んでいる。
実家と変わらない人数だけど、全然違う距離感で、毎日を送っている。

たまたまそこにいた住人と、一緒にご飯を食べる。
じゃんけんで負けて皿を死ぬほど洗う。放置して怒られる。
ごみを捨て忘れ、怒られる。
週1の家族会議(=シェアハウス内での住民会議)を寝ぶっちし、怒られる。
同じ怒られるでも、自分が傷つかない怒られるもあるんだなと知った。
(反省はしている)

人の環境への適応力はすごいもので、当初は家であまり話さなかった自分が、半年経った今ではおそらく一番喋っている。
この疑似家族の構築の過程は、慣れないけどとても新鮮で、すごくエキサイティングだ。

今まで考えたこともなかったけれど、自分が家族を持つということは、思っていたよりも近くて、手の届く将来に待っているものなのかもしれない。

僕は今、人生を再編集している。


僕には、僕なりの関係を作っていく路があるんだと思う。
僕の特別は、僕が特別にして、生きていく。

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最後、記事広告みたいになってしまった。笑
明日は朝からシェアハウスの小掃除なのでもう寝ないと・・・

#日記 #コラム #家族 #自己肯定感 #自信

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