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アポトーシス

ヒゲダン(official髭男dism)の新しいアルバムから”アポトーシス”という曲が発表されました。

”訪れるべき時が来た”

どこか終わりを見据えつつもあたたかさを感じる言葉から始まるこの楽曲。
大切な人や大切なモノとの時間、愛おしさ、別れに向かう姿、この曲を通じて描かれるメッセージ。
歌詞を読みとき制作背景に迫るほど胸にこみ上げる想いがある。
そんな感情をnoteに書いてみます。


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アポトーシスの意味

アポトーシス。
まずこの曲名は何を意味する言葉なのか。

アポトーシス、アポプトーシス[1](apoptosis) とは、
多細胞生物の体を構成する細胞の死に方の一種で、個体をより良い状態に保つために積極的に引き起こされる、管理・調節された細胞の自殺すなわちプログラムされた細胞死(狭義にはその中の、カスパーゼに依存する型)のこと。ネクローシス(necrosis)の対義語。

Wikipediaより引用)

ー 細胞の死に方のひとつ。

ヒゲダンのボーカル藤原聡くんが作詞したこの楽曲。
制作背景には30歳を迎えるにあたって永遠に戻らない20代という時間の残酷さ、自分たちの音楽活動、家族の健康など、永遠には続かないという事実と向き合う瞬間からこの曲が生まれた、とのこと。
ROCKIN'ON JAPAN のインタビューより要約)

そんな制作背景もあり、この楽曲には人としての死の迎え方、あるいはいつか訪れる大切なものとの別れ、その心情が歌われている。

最初の歌詞も、

訪れるべき時が来た
もしその時は悲しまないでダーリン
こんな話をそろそろしなくちゃならないほど素敵になったね

まるで長く連れ添った大切な存在へ語りかけるようにはじまる。
そして、そんな日々も終わりに近づいている、と。

別れを迎えはするけれど、そこにどこかあたたかさを感じる。
それはそれぞれの生きてきた人生に”幸せの瞬間があったこと”を知っているから。

ただ別れを嘆くだけでなく、
そこに向かっていこうとする覚悟、
答えは出ないけれど前を向いていこうとする心情が歌われているのかもしれない。

”115万キロのフィルム”と”アポトーシス”

アポトーシスが表現する別れには冷たさや切なさだけでなく、
どこかあたたかさを感じる。
それはおそらくヒゲダンが過去にも日々の営みや生活のあたたかさを歌っているからかもしれない。

・・・

いつかヒゲダンのファンのコメントで
「”アポトーシス”は”115万キロのフィルム”のアンサーソングかもしれない。」
という考察を目にしました。

115万キロのフィルムでは、
日々の営みを映画監督と主演俳優になぞらえて描く。
良い姿も情けない姿も撮影を続け、一つの作品にしていく。
エンドロールなんて作りたくない、この命ある限り。
そんな生き方を歌ったこの楽曲。

アンサーソング、そんな言葉を聞いた時に私はこう感じた。
”アポトーシス”は”115万キロのフィルム”の世界観の先を描いているのではないか、と。

日々の営みは続く。
けれどその一方で、いつか別れは訪れる。
それは誰にでも平等に。

大切に時間を過ごして来たからこそ、
”訪れるべき時が来た”
なのではないか、と。

楽曲を超えて描かれる世界観の深み。
ヒゲダンの生み出す言葉や人生観にこんなにも共感することができる。
この”共感”こそ、彼らがヒット作品を続けて生み出すことが出来るの要因なのかもしれない。

MVの演出解釈

MVでは4人組の男女3世代の人々が登場します。

はじめ私は、登場する4人が世代を重ねていく姿を描いているのかと思いました。

けれど、見ていくほど登場する各世代の人物が向き合う世界は異なる事に気付きます。
そして最後にはそれぞれの世代が合流し、共に語り合う。

その時に初めて、
「アポトーシスのテーマはどの世代にも共通するモノなんだ」と実感することができました。

別れとは必ずしも死を意味しない。

10代の女の子は馬と寄り添い

画像1


3~40代の男性は儚げにバイクを見つめ

画像2


7~80代のおじいさんはひとり遠くを見つめている。

画像3


(「アポトーシス」ミュージックビデオより引用)

世代それぞれに訪れるべき別れと、人それぞれに大切なものが違うということ。
しかし一方で共通して訪れるべき別れがあるという事実。
この多様性を表しているように感じました。


それぞれの世代に大切なものがあり、
そこに優劣も差もない
別れは本当にいつ何時起こるかわからない。
それぞれの形で向き合うしかない。

そんな当たり前だけど、どこか見落としているものを
この”アポトーシス”はそっと思い出させてくれるようにも感じるのです。

別れの時まで
ひと時だって愛しそびれないように
そう言い聞かすように

別れとは難しいテーマ。
そして人それぞれの答えがある話。

そこへ彼らヒゲダンの視点で歌として切り込んでいく。
そんな、姿勢や探究心がまた素敵だと思うのです。

皆にいつか訪れるアポトーシス。
その時、自分は何を思うだろうか。
その度にきっと、自分はまたこの曲を聞き直す。

近づくことで見える事

ここからは私個人の話。

いつからかアルバムをシャッフルで聞くことがなくなりました。
それはヒゲダンに限らず、映画のサントラでもジャズのアルバムでも。

無意識的に自分の中で"このアルバムの並べられた意図"を考えるようになったのかもしれない。

常々思う事として、
”どんな物事も近づいていくことで見える視点が変わる”という感覚があります。

これは写真を撮っていると特にダイレクトに感じる感覚で
同じものを見ていてもグッと近づいて撮るか、遠く離れ風景の一部として撮るか、見え方は大きく異なります。

全ての物事って、もしかしたらこれと同じなのかもしれない。
近づこうとすること、生み出されたもの、生まれた経緯を考えながら寄り添う事でこれまで見えていた景色とは違った見え方がする。

音楽も、このアルバムも同じようにどの順番で並べられ何を思って生まれたのかを考える。

そんな思考が自分に豊かさを与えてくれる。

今はもう少し、この豊かさに包まれたいと思います。

ライ

他にも本や映画、感じた事や学んだことを書いています。

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